2019年12月13日金曜日

何もしなかった地震大国日本



先週(2019年12/4〜12/8)日本では、NHKスペシャル「パラレル東京」という、日本の首都圏で直下型大地震が発生したという想定のドラマが、4日間に渡って放送され、大きな反響があったそうです。SNS経由で予告編が共有されたり、番組に関する記事がニュースサイトで多数投稿。

ネットでの評判によると、被害の映像がリアルすぎて吐き気がしたとか、ここまで深刻な内容を地上波の総合テレビで放送した、NHKの英断への称賛など、概ね高い評価。

ネグロス島の我が家では、日本語のNHKはケーブルテレビの契約に入っていないので、フィリピン国内で同時期に視聴できたのかどうかは分かりませんが、翌日にはYouTubeに上がっていました。

そこまでの評判なら、これは見ないわけにはいかないと、パソコン画面で鑑賞。放送時刻と、架空の地震発生時間をシンクロさせ、NHKお得意の分かりやすい映像表現で、実際に東京周辺に大地震があったら何が起こるかを、視聴者に実感させるという点では、大成功と言っていいでしょう。

確かに、被害が想定される場所に、家族と一緒に住んでる人なら、吐き気...とまでは行かなくても、背筋が凍る思いだったと思います。

ただ、これを見てヤバいと思ったとしても、現実問題として何ができるかとなると、少々疑問。1995年の阪神淡路大震災を経験した者としては、地震発生がいつで、その時自分がどこにいるかで、生死の運命はほぼ決まると思うのが、正直なところ。

あの時は、たまたま地震発生が通勤ラッシュ前の早朝5時台。3連休明けだったので、もし7時とか8時だったら、おそらく多くの人が混雑する電車内や駅構内にいたはず。当時も言われていたように、その数時間の差で、死傷者数は何倍にもなっていたでしょう。今頃私は、フィリピンに移住どころか、兵庫県内のどこかのお墓の中だったかも知れません。

私の実家は、倒壊こそしなかったものの、重たい本棚・食器棚が軒並みぶっ倒れて、もし下敷きになっていたら、死なないまでも大怪我は間違いなし。実際に多くの方が、それが原因で亡くなっています。私と家族が無事だったのは、偶然以外の何でもない。

人口がざっと300万人程度だった、阪神大震災の被災地域でもそうなのですから、その10倍以上の人口3,800万の首都圏が同程度の地震に見舞われれば、個人や町内レベルでどんなに防災活動をしても、劇的な効果は望めないでしょう。

率直なところ、ドラマの出来云々より、テーマ自体に関しては、今頃何を言うてんねんと感じ。番組で紹介されていた「群衆雪崩」や大火災で発生する「火災旋風」など、呼び名は多少違っても、今まで何度も映像化や書籍化されたものばかり。

最も有名なものは、私の敬愛する小松左京さんが、半世紀も前に書かれた「日本沈没」。これを機会に、フィリピンにまで持ってきたこのSF小説の「第二次関東大震災」の箇所を読み返してみました。

さすがに、携帯電話の広域障害はありませんが、地震発生時が冬場の夕刻という設定は同じだし、被害のアウトラインはよく似ている。地下街でパニックになった人々が折り重なって多数圧死、大火災が都内各所で同時に発生。つまり、パラレル東京で描かれた状況は、1970年代初頭にはかなり予測可能だったわけです。

要するに、この50年間。あるいは、堺屋太一さんが「遷都」を論じた、1980年代以来の30年間としても、日本は、首都を襲うであろう直下型地震に対して、抜本的な対策は何も講じてこなかった。何もしないどころか、東京への一極集中は、21世紀に入ってもまったく止まる気配もありません。

「明日、起こるかも知れない」なんて口では言っても、おそらく心底そう考えている首都圏住民は少数派。そうでなければ遠の昔に大勢の人が、地方に移住しているでしょう。

冗談ではなく、私が今ネグロス島に住んでいる理由の一つには、日本に比べると地震が少ないということがあります。台風被害や治安の悪さはあっても、大地震の予測のできなさ、被害の防げなさに比べれば、まだ何とかできる。

兎角、後進国扱いされるフィリピンですが、連邦制を導入して、行き過ぎた首都圏への一極集中を防ぐという点では、日本より現実を直視している。実現には至っていないものの、剛腕大統領ドゥテルテさんの公約の目玉。少なくとも、日本ではすっかり忘れられた(としか思えない)「道州制」「遷都」の議論に比べれば、本気度が段違い。

ということでせっかくNHKが、わざわざ東京オリンピックの開催直前にぶち上げた渾身の問題提起。結局今まで同様、せいぜい対処療法的な政策が小出しに講じられるだけで、終わっちゃうんでしょうね。


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