2016年11月22日火曜日
悪夢再び
今日は、珍しく平日に早朝テニスをしようと、朝5時(日本時間午前6時)に携帯の目覚ましで起床。何気なしにツイッターを見たら、地震や津波関連のつぶやきで画面が埋め尽くされてました。
滅多に見ないテレビ、しかもさらに滅多に見ないNHKワールドにチャンネルを合わせて、慄然。福島県沖で強い地震があり、沿岸に津波警報発令のニュース。5年前と同じような画面構成で、緊急放送。ただし国際配信なので、日本語の上に英語表記を重ねたもの。もっと雑然として、余計に尋常ならざる空気が伝わってきました。嫌でも思い出すのは、5年前のこと。
2011年3月11日は、まだ日本在住。折しも心療内科医からのドクター・ストップで、約1年に及ぶ休職期間中でした。当時暮らしていた大阪府茨木市のマンションで、津波襲来の第一報から、テレビの前に釘付けになったのを、今でもはっきりと覚えています。
今回は幸いなことに、2011年のような大惨事になることはなく、この投稿を書いている昼過ぎの時点で、津波警報・注意報はすべて解除されました。
フィリピンでも、私たちの移住直後の2013年10月に、ネグロス島と同じビサヤ諸島にある島、ボホールでマグニチュード7.2の地震が発生。多くの建物が倒壊し、200名近くの死者を出しています。シライ市内でも、震度2か3程度の揺れを感じました。日本に比べると、段違いに頻度は低いとは言え、火山もあり地震も津波も来るフィリピン。やはり、もしシライ市が津波に襲われたら...、と思うと、ぞっとします。
まず、警報の類が出ることは期待薄なので、強い揺れを感じたら自分の判断で、行動するしかありません。シライ市のあるネグロス島の西側は、沿岸から島の中央山岳地帯まで、緩やかな傾斜のサトウキビ畑が広がる地形。市内では3階建てのビルすら数えるほど。しかも自宅は海から2kmも離れていない場所。高台に逃げると言っても、徒歩ではとても間に合わず、車を飛ばして山に駆け上るしかないでしょうね。
何とか生き延びても、その後がたいへん。3年前のスーパー台風ヨランダで、まるで津波のような高潮に襲われた、近隣の島レイテの州都タクロバン。あの状況から考えて、災害からの復旧は絶望的に時間がかかると、容易に推測できます。
数年前まで「ネグロスには地震がない」と言い切っていた、建築技師の義弟。しかし、2012年には、島の反対側で死者が出るほどの地震がありました。私も人のことは笑えません。関西では大地震はないと思っていたのに、1995年の阪神大震災で、尼崎の自宅はかなりの被害が。やはり、日本人もフィリピン人も、自然災害から逃れられない宿命を背負っているようです。
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