2016年11月21日月曜日
母とネルジー 両親のフィリピン滞在・後編
今年八十歳になる両親のフィリピン滞在レポート、前回の続きで、これが最終回です。
母の足の負傷で、丸二日はバタバタしてしまったものの、それ以外は概ね順調だったフィリピン滞在。今回、両親にとって目新しい体験だったのは、日常生活にメイドさんがいるということだったかも知れません。
大抵の日本人、特に日頃すべての家事を一人でこなしている人は、メイドさんにどう接していいのか戸惑うのが普通。母は、6人兄弟姉妹の一番上で、祖父母が共働きだったこともあり、子供の頃から幼い弟や妹の世話をしたり、家事は一通りしてきました。父と結婚した時に、専業主婦とは何て楽なんだろうと思ったほど。
おそらく、十日間も何もかも人任せは、本当に小さな頃と入院中を除けば、初めてだったようです。ただ食事に関しては、一度だけ夕飯を作ってもらいました。献立は肉じゃがと味噌汁。ジャガイモ、ベーコン、玉ねぎ、人参など、日本とほぼ同じ食材があり、包丁もオタマも道具類は日本から持ってきた物が揃っているので、別にどうってことはないだろうと思いきや、意外にも大緊張の母。
日本の感覚からすると、ダダっ広い台所に、アシスタントに我が家のメイド、ネルジーを付けたのが原因。狭い所での孤独な調理を何十年もやってきた人なので、かなり面食らったようです。ネルジーの方も初めて接する日本人のバァちゃんなので、緊張が感染。携帯カメラを向けても、笑顔が引きつってました。
料理の手伝いなんて、身振り手振りでなんとでも頼めるはず。でも妙に律儀な母は、「スンマセンけど、◯◯をしてくれませんか?」と大阪アクセントの完璧な日本語。ネルジーが軽くパニックに。後でネルジーに聞いたら「英語で何を聞いても、全部日本語なんですぅ〜」と笑ってました。
それ以外にも、洗濯をしてもらうのには、抵抗があった。「他人さんに、下着を洗ろてもらえるかいな」とのことで、滞在中、自分と父の衣類一切の、洗濯、干し、たたみを一人で完結。まぁ日本メーカーの全自動洗濯機があるので、手間自体は日本にいるのと同じですが。
そんなこんなで、メイド不要の母だったけれど、やはり同じ家にいる同居人。私が見ていないところで接点がいっぱいあったらしく、帰国前には「素直なええ子や」と感心することしきり。チップを上げたいと、月給3000ペソのネルジーに、1000ペソも渡そうとするので、さすがにそれは多すぎだと止めました。(ごめんね、ネルジー)
途中いろいろあったけれど、何とか十日間の日程を終了し、予定通り朝6時のマニラ行き早朝フライトで帰国の途についた両親。当日の夕方には無事帰国の連絡がありました。私にとってもいろんな体験になった、今回の両親の滞在。
最近では「介護移住」などという言葉があるらしい。これは遠方の介護施設や、都会に比べて広い住居が確保しやすい、日本国内の地方に引っ越すことで、一般的には海外移住を指す言葉ではないようです。私も介護が第一義で、フィリピンに移住したわけではないものの、もし高齢の両親を引き取るとなった場合、海外移住は、かなり有望な選択肢と言えるかも知れません。
フィリピンならば、広い家を持つのは、そう難しいことではないし、必要ならば住み込みの看護士を雇うこともできる。寒い冬もなく、煩わしい近所付き合いもない。問題は環境の変化を、介護を受ける側の人が受け入れられるかどうか。誰にでもできる話ではないけれど、ある程度の条件さえ整えば、介護する側にとっても、ずいぶん負担が少ないんじゃないかと思います。
両親の帰国後、孫である息子に「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしたいか?」と尋ねてみたら、「うん!」と即答したのが印象に残りました。
場所:
フィリピン シライ市
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