2022年9月12日月曜日

「自己責任」が国を滅ぼす

 以前から「自己責任」という言葉が大嫌いでした。最初に公の場で使われたのが、2004年に自衛隊がイラクに派遣されていた時に発生した、日本人ジャーナリスト3人の拉致事件に関して、当時の小泉純一郎首相による発言とのこと。

今、改めて調べてみると、人質になった人物が、日本政府は、自分達のために自衛隊を撤退させるべきだったとして、解放後に訴訟を起こしてたんですね。こんな経緯ならば「自己責任」との発言につながったのも、分からなくはありません。

ただその後、言葉だけが一人歩きして、ビジネスに失敗したり、不摂生が原因で病気になったケースに対してまで、自己責任だ、自業自得だと、一切の救済を認めないような風潮になったのは、どう考えても行き過ぎだと思います。

フィリピン移住に際しても、「自己責任」は呪いのように降り掛かってきました。見込み違いだったり、予期せぬ不運があって困窮邦人となり、在マニラの日本大使館に駆け込んで、帰国の航空チケット代金の借用を求めても「自己責任」だからと門前払い。

家内の日本への入国ビザ申請時に、実際にそういう人たちを目の当たりにして、フィリピン移住への心理的障壁が、一気に高くなったものです。

戦前のブラジルやハワイへの移民時代から、日本政府は国を出た同胞を顧みない「棄民」を旨とすると批判されたそうですが、「自己責任」が流行語になって、錦の御旗を得たようなものだったんでしょうね。

仮にフィリピーナの尻を追いかけて、すべてを無くした人だったとしても、日本政府を代表する役人が、助けを求めて来た同国人を見捨てちゃだめでしょう。自分の意志で酒を飲み続けたからと言って、それが原因で運ばれた急患の治療を、拒否するようなものです。

こうした「理由」や「経緯」に対する感情によって対応に違いが出るのは、一般人同士の関係ならば仕方ないでしょうけど、行政機関が国民に対してやるのは、筋違いも甚だしい。典型的なのが生活保護で、ただでさえ申請する側はプライドを傷つけられるのに、追い討ちのように根掘り葉掘り尋問されて、やっと受給できても、あれダメこれダメと、生活に制限がかかるらしい。

こんな担当者の匙加減で、いくらでも恣意的になれるようなしくみは、制度設計自体が間違ってるとしか思えません。外国のシステムが全部良いとは言いませんが、コロナ禍が始まった2年前に、アメリカやドイツでの生活支援の現金支給の際には、一定の書類さえ揃えば、申請者が日本人であっても、速やかに銀行口座に所定金額が振り込まれたそうです。

こういう話をすると、「中国人ガー」な連中が、外国人による不正受給のリスクを喚き立てる。確かにそういうケースもあるでしょうけど、そっちに神経質になり過ぎて、本当に助けを必要としている人の捕捉率がたったの20%ってのは、どう考えても本末転倒。審査を厳しくすると、本当は資格があっても諦めてしまい、逆に準備万端で不正狙いの割合が増えるなんて話も聞きます。

 人間がやることなんだから、間違いゼロや不正ゼロは無理。そんな完璧さを追い求めるのではなく、とにかく溺れてる人を、出来るだけ多く助けるのが、正しい税金の使い方だと思うんですけどねぇ。

その壁をぶち破っているのが、明石市長の泉房穂さん。有名なのが、所得制限なしの子供への医療や学校給食の無償化。本人の弁によると、これらの政策は泉さんの独創ではないそうですが、多数の反対派を抑えて実現させた手腕はお見事。

とにかく今の日本に必要なのは、セーフティネットの拡充だと思います。新しい仕事や生活にチャレンジして運悪く失敗しても、自分や家族だけは何とか生活していける。これだけでも、国の活力はずいぶんと回復すると思うんですよね。「自己責任」言い過ぎて、辞めたい会社に我慢して居続けて、結局メンタル病んだり、挙げ句の果てに自死したり。国民全員が我慢して不幸せになるなんて、誰得もいいところ。

私の理想を言えば、年齢関係なく努力してお金が溜まったら、数年ぐらいは海外暮らしにトライして、お金が無くなって帰国しても生活はできる...ぐらいのチャレンジへのハードルが低い国にならんものかと思います。「失敗は許されない」と目を三角にするなんて、もう止めましょうよ。


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