2015年12月13日日曜日

おいしいと言え!

ほぼ毎日、子供の弁当に昼と夜の家族の食事を作るようになって、1年半ほど過ぎました。フィリピンに移住して、早期定年退職状態の日々。毎日時間はあるし、だいたい日本にいるのと変わらない食材が手に入るので、日本食欲しさに始めた料理。さすがにこれだけ続けると慣れてきて、家族も私が作るのが当たり前状態になってきました。

以前にも書いたように、日本食と言っても本格的な和食ではなく、カレー、トンカツ、ラーメンに餃子などなど。日本の家庭で普通に出てくるような食事です。ありがたいことに、キッコーマンの醤油、ほんだし、みりん、味噌、といった調味料は、割高ですが手に入るので、味噌汁や肉じゃが、麻婆豆腐、ゴーヤチャンプルーなど、日本で食べた味を再現できます。

家族にも好評で、特にカレーの日は息子だけでなく、メイドのアミーも大喜び。先月の万聖節(フィリピンのお盆)に帰省の時には、ぜひ両親や弟・妹たちに食べさせたいと、カレーのルーを持って帰ったほどの気に入りよう。(こちらの輸入食材を扱うスーパーでは、ハウスのカレー・ルーを売っています。)

こんな具合に、最初のうちは食事の度に「美味しい、美味しい」と言ってくれていたのですが、最近は感動がすっかり薄れたようで、頑張って作っても黙って食べています。寂しいことですね。

しかし、よ〜く考えてみると、生まれてから30歳を幾つか過ぎるまで、母親に毎食料理してもらってたわけですが、あんまり「美味しい」と言って食べた覚えがありません。今頃になって、あの時もう少し感謝の念を表現しておけばよかったと思っています。家内に対しては「いただきます」の代わりに「〇〇(家内の名前)、ありがとう」と言ってますが、美味しいとはあんまり言ってないなぁ。

そんな過去の自分の姿は棚に上げて、この頃は家内や息子に「不味かったらしょうがないけど、美味しいんやったら美味しいと言え」と、半強制的に「美味しい」を言わせてます。アミーまで日本語の「美味しい」を覚えてしまい、食事中に目が合うと恥ずかしそうに「オイシィ」。

これを読んでいただいてる方で、日々誰かに食事を作ってもらっている人がいたら、ぜひ「美味しい」を言ってあげてください。絶対に喜ばれますから。





2015年12月11日金曜日

二度目の初聖体

今日はカトリックの宗教行事について。聖体拝領という言葉を聞いたことがありますか? カトリックの信徒ではなくても、映画などで教会のミサ中に信徒が一人づつ小さな煎餅みたいなものを、神父さまの手から食べさせてもらっているのを、見たことがあるかもしれません。正式にはそれだけではなく、ぶどう酒を杯から一口づつ頂きます。

これはパンを模したもので「ホスチア」日本語では「聖餅」(せいへい)と呼ばれ、パンはキリストの体、ぶどう酒はキリストの血を意味します。聖体拝領とは文字どおりキリストの聖なる体を頂くこと。これがカトリックのミサの核心部分。

カトリックは多くの信者が、生後数日から数ヶ月ぐらいで幼児洗礼を受けます。しかし、洗礼を受けたからと言って、すぐに聖体拝領ができるわけではありません。小学生ぐらいでクリスチャンとしての自覚ができたと思われる頃、「初聖体」という儀式を経て、ようやく日曜日のミサで「ご聖体に与る」ことができます。

この初聖体、一律に年齢が決まっているわけではなく、所属する教会や地域によって違います。息子の場合、最後に住んでいた福岡市内の教会で、離日直前のイースターのミサで初聖体。この時、息子は7歳。小学校の1年の最後の頃でした。

ところがフィリピンでは一般的にもう少し遅いようで、先週息子の通う小学校、聖テレシタ学院で、3年生の約70名を対象に初聖体がありました。この学校は学長をシスターが務めるミッション・スクール。この日は3年生以外は休校で、7朝時半から講堂にて保護者を集めての大々的なミサ。こういうのを見ると、やはりフィリピンはカトリック大国ですね。ところで、息子も3年生なので当然のように参加しましたが、二度目なんですけど...。


初聖体の朝。日本晴れならぬ比国晴れ?


講堂に設えられた祭壇


こういう事はフィリピンでは実におおらかで、別段何のお咎めもありませんでした。フィリピン人の家内からして、全く疑問に感じていない。まぁお祝い事やからね。

しかし初聖体だけではなく、何と息子は洗礼を二度受けたという前科があります。息子が生まれたのは横浜にいた時。フィリピンから駆け付けた義母と私の母親にも出席してもらい、横浜市内の教会で、イタリア人神父から洗礼を受けました。

これで無事終了と思っていたら、息子が生後8か月の頃、フィリピンに里帰りした時に、家内がもう一回洗礼を受けさせようと言い出しました。日本の教会ならばあり得ないことでしょうけど、フィリピンではこれまた何の問題もないらしい。二度目は無効なんだろうと思いますよ。まぁいいか。フィリピンでは洗礼の後、家族・親戚・友人を招いての大パーティになります。なるほど、これがやりたかったのね。


2015年12月8日火曜日

アニメを字幕なしで見たいから

さて、成り行きで始めることになった日本語教室。生徒さん第1号は、ちょっとぽっちゃりだけど可愛い顔立ちの女子大生キム。別に私の好みでキムを選んだわけではなく、隣街バコロドを拠点に活動中の日本のNGOマネージャーYさんの紹介です。しかし自宅に毎週若い女性とマンツーマン授業では、家内に変な気を回されそうだし、いろいろとやりにく。そこで、同じように日本語を勉強したい学生さんにも声をかけてと、キムに頼んでみました。

集まったのが、追加で3人。結局キムを含めて男女2名づつの合計4名と、いいバランスに。実は他の3名は以前一緒にテニスをした旧知の人たちでした。ニニンはお調子者の女の子。ちょっと真面目すぎる感じのキムに比べると、くだらないジョークにも反応してくれて日本語教室のムードメーカーになりそう。

キムよりもさらに真面目なのが、黒縁メガネがトレードマークのポール。彼はフィリピン人では珍しいタイプかも知れません。もう一人は、私がフィリピンで初めて知り合った回教徒のサイッド。名前もそうだし、しっかり髭を蓄えて見るからにイスラムな兄ちゃんです。

そして迎えた先週の土曜日。キムを紹介してくれたYさんともう一人の日本人の学生さんが、是非見せてほしいとのことで、オブザーバー含めて6名を前にして、人生初の教師としての授業が始まりました。日本から取り寄せた教科書をベースにはしましたが、日本語で日本語を教える「直接法」ではなく、英語を媒介語に使う「翻訳法」。教科書もそのままコピーしてというわけにはいかず、アルファベットで二重の振りがなを振った、ややクドいテキストをPDFにして事前配布しました。女子2名はちゃんと予習してましたね。さすが。

さて始めてみると、そこは真面目といってもフレンドリーなフィリピン気質の学生さん。積極的に質問してくれるし、かなり関西系のネタふりにも的確な反応が返ってきます。(もちろん英語ですよ。)これは楽しい。最初はそこまでするつもりはなかった、漢字での数字の表記も、西暦の読み方まで教えてしまいました。「千」は「千と千尋の神隠し」に出てくる女の子の名前だと言ったら、知ってるんですよ、これが。


二階ベランダの特設教室

漢字は表意文字なので、一文字一文字に意味がある。だから日本人の名前は全部意味付き、という話から広がってフィリピン人の名前の意味はと聞いたら、キムは「私の名前はパワーレンジャー(日本発「スーパー戦隊シリーズ」のアメリカ向けの英語版)のキャラクターから付けられたの」。すごいね、キムの両親。

授業が終わってから生徒さん全員とFBで友達になりました。早速サイッドがシェアしていた記事が「なぜ日本語を勉強したいのか?」。注目されたいから? 就職に有利だから? 圧倒的大多数が「字幕なしで日本のアニメを見たいから」なんだそうです。冗談かと思いましたが、どうやら本当らしい。よ〜し、それならば、次回はみんなに日本のアニソンを歌わせてやろう。


2015年12月6日日曜日

日本語教えます

1週間ほど前から、意外な成り行きでフィリピンの学生さんに日本語を教え始めました。日本では教員免許があったわけでもなく、日本語検定を受けたこともありません。でもとりあえずやってみたら、思ったよりも楽しい時間を過ごせました。

事の発端は、隣街のバコロドを拠点に活動している、日本の環境NGOマネージャーのYさんとの雑談。移住してもう2年半経ち、そろそろ生活も安定してきて暇な時間が増えそうなので、地元の役に立って自分の人生も充実させるために、フィリピンの学生さんに日本語を教えるというのはどうでしょう?と尋ねてみました。

実はこれ、その場の思いつきでもなくて、移住前から家内と話していたことです。その時は教師役は私ではなく家内でした。家内は私と結婚して日本に来るまで、日本語は全く話せませんでした。そこから数年で敬語までマスターしてしまった学習能力と経験を、そのまま埋もれさせるのは勿体無い。

ところが家内が先に仕事を見つけてしまい、最近はけっこう多忙な毎日。食事の支度はしているというものの、どちらかというと自由な時間が多いのは私の方です。そういう経緯があって、Yさんとの話になりました。

割と軽いノリだったのですが、それを聞いた行動力抜群のYさん、あっとう間に日本語を勉強したいという学生さんを紹介してくれました。それが地元のラ・サール大学で生物学を専攻し、修士課程にいるキムという女の子。半分学生で半分先生なんだそうです。そしてつい先日、JICAの支援で日本への研修旅行に行ってきたところ。今、日本に熱中していて日本語学習意欲満々。

思ったより随分早い進展だったので、慌てて色々調べてみました。やっぱり教科書は必要だろうと、家内の使っていたものを探したところ「みんなの日本語」という本が。ところがなぜか「初級2」からしかない。内容は良さそうなので、Yさんの一時帰国に便乗して「初級1」を持って帰っていただきました。


しかしよく考えてみると、この教科書のベースは「直接法」つまり、他の言語を媒介せず日本語で日本語を教えるスタイル。日本国内では、生徒の国籍や言語がバラバラであることが多いため、翻訳法よりも直接法が一般的なんだそうですね。早い話が、日本語の全くの初心者に教えたいけれど、アルファベットも発音記号も併記していない。さてどうしよう...。ということで、次回投稿に続きます。


2015年12月3日木曜日

もう日本には戻れない 車検編

日本で自動車のオーナーになって、一番頭が痛いのは車検ではないでしょうか? その他にも保険やら駐車場費用やらあります。しかし車検が鬱陶しいのは、よほど自動車の仕組みに詳しくて、ちょっとした不調なら自分で修理できるか、少なくともどこが悪いのかが分かる人でもない限り、明細を見せられてもかかった費用が妥当なのかどうかが分からないところ。

それでも安ければお任せでもいいけれど、10万円とか言われるとちょっとツラい。厄介なのは、ひたすら安いだけの業者さんに任せると、車検が通った直後にぶっ壊れても文句が言えないそうですね。私が日本で車を所有していた時は、ディーラーに完全に丸投げでした。考えてみれば、ずいぶんディーラーの売り上げに貢献してたと思います。

ここフィリピンでは、一応エミッション・テストという排ガスチェックと簡単な検査が年に1回必要ですが、基本的に自動車の整備は自己責任。実は私は一昨年新車を購入しましたが、最初の3年は検査不要なので、まだこの検査を受けたことがありません。しかし日本と比べると随分簡素なようで、費用もエミッション・テストが700ペソ(約1600円)、LTO(フィリピンの陸運局)での検査に4000ペソ(約1万円)ぐらい。

ただしこれは実質的に何の保証にもならないので、ちゃんとした点検は自分でディーラーに頼むなり、街の修理工場に持ち込まないといけません。それでも、よほど悪質な業者にでも引っかからない限り、日本での車の維持費に比べると格段に安いのは間違いないでしょう。やっぱり日本の車検制度が異常に高くつきすぎる。素人考えですけれど、最近の車って、あそこまで神経質に大金かけて点検しなくても大丈夫だと思いますよ、特に日本車は。

でもフィリピンの場合、自己責任と言うと聞こえはいいですが、実際20年落ち30年落ちのすごい車も走ってます。当然ながらトラブルは多くて、道のど真ん中で修理中なんてのは日常茶飯事。困るのは刈り取ったサトウキビを満載して、大通りを塞ぐように立ち往生するでっかいトラック。こちらはパンクが多いみたいです。ラッシュ時にこれをやられると、大渋滞。それにしても、本当に年一回の排ガスチェックを通ってるんか?というぐらい真っ黒けの煙吐いて走ってるなぁ。





現役で頑張っている1980年代の日本車たち


フィリピンの家族写真

最近の日本で、街の写真屋さんに撮影をお願いするのは、かなり稀なんじゃないでしょうか? 結婚式にはさすがに多くの人が依頼するにしても、他には成人式とか子供の入学・卒業、七五三、お見合い写真ぐらい。この頃はスマホのカメラがずいぶん高性能になってその場で自足してしまい、わざわざスタジオに行ったりすることは少ない気がします。ところが同じようにスマホや携帯がすごく普及しているのに、こと写真になるとフィリピンではずいぶん様子が異なります。

私がフィリピン初渡航した20年前、デジタルカメラが普及するずっと以前から、フィリピン人は大の写真好き。撮るよりもとにかく被写体になりたがる。こういう国民性なので、人が集まる場所にカメラ持っていくと異常なほど盛り上がりました。無邪気というか子供っぽいというか。今ではフェイスブック・アクセス率世界一を誇るフィリピンで、誰の投稿も変顔自撮り写真オンパレードになるのは、当然の流れというべきかも。

だからと言って、街の写真スタジオが暇にはならないのが面白い。だいたい、どんな小さな街を歩いても、記念撮影や家族写真のサンプルをたくさん並べた写真屋さんのショーウインドウはすぐに見つかります。その佇まいは20年前とほとんど変わらない。



私たち家族がフィリピンに移住して2年半、一度スタジオで家族写真を撮ってみたいと思ってました。そこで先日の家内の誕生日、家内の父親、弟夫婦とその子供が揃ったところで満を持してのスタジオ入り。普通の日曜日の午後だったんですが、すでに2組の別家族が待ってました。やっぱりフィリピンですね。

小一時間ほどのち、狭いスタジオに案内されておもむろに撮影開始。まぁ親戚たちの慣れきっていること。いきなりリラックスで、照れがまったくありません。ポーズ違いにメンバー違い、滞ることなく30枚ぐらい連写状態であっという間に撮影終了。

そこから先はデジタル時代のお手軽さ。店頭のパソコンで撮った写真をモニターチェックさせてもらい、大焼きするものを選び1時間でプリント完了。選に漏れたものも全部名刺サイズに。さらには全部の写真データをCD-ROMで貰いました。閉めて3000円ちょっと。こうしてどの家庭にも、額に入った家族写真が居間や客間にズラリと並ぶのでした。


2015年12月2日水曜日

50歳女子

最近の日本では「女子」(「じょし」です。「おなご」ではない)という言葉の使い方が、ずいぶん変わったみたいですね。いつ頃からか、年齢に関係なく自称・他称問わず女性一般をそう呼ぶらしい。私は別に構わないと思いますが、中には異論を唱える人も。

私の子供の時の語感だと、なんとなく学生さんのことだったと思います。女子高生、女子大生...。しかしなぜか男子高生、男子大生とはあまり言わない。

それはともかく、私の家内の話。先月末にとうとう50歳の大台に乗ってしまいました。たくさんのお客さんを呼んでの大パーティはしなかったものの、節目なのでネグロス島でも最高級と言われるホテルのレストランで、本当に近しい人だけ10名ばかりで食事をしたり、写真スタジオで記念撮影をしたり。

ランチを頂いたのは、隣町の州都バコロドにあるホテル「エル・フィッシャー」(L'Fisher Hotel)。格式だと同じバコロド市内の「シュガーランド ホテル」の方が歴史は古いそうですが、エル・フィッシャーは設備も新しく綺麗だと評判。だいたいどんなホテルでもロビーのあるフロアのトイレを見れば、サービスレベル分かるもの。さすがにここはピカピカに掃除が行き届いていて、洗面所も便器もちゃんと水が流れました。(日本では当たり前でも、これができている場所の方が少ない。)

久しぶりにお高い場所での食事に写真撮影なので、いつになく家内は気合を入れてメイク。この人、ちょっと驚くほどの童顔で、40歳近くの頃に日本の教会で、神父さまから高校生に間違えられたり。今でも50歳にはとても見えず、まさに「女子」と呼ぶにふさわしい。私など結婚当初は「10年以上歳の離れた女の子をフィリピンから騙して連れて来た」と、ひどい噂を立てられたりしました。

そんなナチュラル・アンチ・エイジングな家内は、家にいる時はほぼノーメイク。近所に出かける時でもあっさりしたものです。ここまで頑張るのは誰かの結婚式でドレスアップする場合ぐらい。なかなか新鮮だったので、毎日したら?と言ったら「面倒くさい」と一蹴されしまいました。


バコロドから帰ってから、自宅近くのサトウキビ畑にて