2023年12月11日月曜日

お試し介護移住 その3「やっぱりストレス」

 前回からの続きで、両親の介護移住について。

お陰さまで無事、日本からフィリピン・ネグロス島の家に到着した父母。かつて住んでいた日本の実家を再現した、一戸建ての2LDKも気に入ってもらえたようです。再現したとは言え間取りのみなので、木造の安普請だったオリジナルに比べると、鉄筋コンクリートだし天井も高め。建築が仕事の父は、すぐに意図を理解しましたが、それでなくても認知能力がやや下がり気味の母は、イマイチ分かっていないらしく「えらい豪邸や」と感心するのみだったのには、一抹の寂しさ。

さて、住まいに関しては、一応の合格点だったと思いますが、問題は気候や食事、その他の細々とした日常生活について。

寒くなってきた11月の日本から、日中の最高気温が普通に30度を超えるネグロスだし、飼い犬のゴマは無駄吠えが多い。体調崩すんじゃないか、眠れないんじゃないかとの私の心配を他所に、二人ともよく食べるし、睡眠も問題ない様子。もちろん80代の後半なので、食べる量は大したことはないけれど、肉・魚・野菜。皿に取った分はきれいに平らげ、好き嫌いがないのは助かります。さすが子供の頃に食糧難を体験した昭和十年代生まれ。

まぁ食事に関しては不肖の息子である私が、それなりに日本的な献立を毎日用意しているので、大丈夫だろうとは思ってました。食事の次に気になってなのは、NHKを始めとする日本のテレビ放送が視聴できないこと。NHKの日本語放送が受信できるスカイ・ケーブルが来ているのは、隣街の州都バコロドまで。

ところが昨年の私の一時帰国の際、実家のテレビにクロームキャストを接続しておいたのが功を奏して、父はユーチューブのニュースや、ネットフリックスの映画などは、自力で見ることができる。むしろ、同じ機材が揃っているテレビを見て、大喜びしたぐらい。母も最近はNHKの朝の連続テレビ小説も見ないし、紅白にも興味なし。

他には、シャワーで使うようにと、わざわざ日本のアマゾンで購入した、浴室専用の椅子も結局不要だったりで、事前にあれこれ悩んでいた件は、概ね杞憂。危うくトイレに手摺りを取り付けてしまうところでした。

たった2週間余りの滞在だったので、本格的な移住となったら、これ以外の問題がいろいろと顕在化するんでしょうけど、どっちかと言うと大変だったのは、受け入れる側の私の方。よく二世帯居住では、水回りを分けることが肝要なんて話を聞きます。我が家の場合は、水回りどころか、完全に分離独立した家二軒。ここまでやっても、やっぱり私にはストレスがかかりました。

まぁ、ほぼ10年も家族三人だけで、一般的な日本の住宅に比べれば、かなり広い家に慣れてしまったせいでしょうか。実の親であっても、自分のテリトリーに二人が加わるだけで、心理的には負担があるものらしい。さらに、「美味しい美味しい」と食べてくれる食事も「きちんと用意しないといけない」なんて変な義務感が生じてしまい、最後の方はちょっと疲弊気味でした。う〜ん、これは力み過ぎたようです。

このブログの読者の中には、身内の顔さえ分からなくなったガチの認知症や、まったくの寝たきりになってしまった親御さんを、介護されている方がいらっしゃるかも知れません。たとえ健康だったとしても、人間関係が上手くいかず、精神的に疲れ切ってしまうケースもあるでしょう。それに比べれば私の両親は、はるかに扱いやすいと言えそうです。

ただ、子供の頃から圧倒的に接する機会が多かった、元来すごいお喋りだった母は、会話を成り立たせるのが困難な状況。素直に言うことは聞いてくれるし、自分の置かれた状況は理解しているとは思うものの、向こうから話しかけることはありません。

これに対して、身体も頭もまだまだ大丈夫な父。弱ってしまった母を積極的に面倒を見てくれるのは大助かりな反面、若い頃から相変わらずのコミュ障ぶり。例えば、一言「散歩に行ってくる」と言えばいいのに、黙って一人で出掛けて小一時間も帰ってこなかったり。職場ではちゃんと会話していたのに、なぜか家族を相手にすると、コミュニケーション能力が半減しちゃうようです。

こういう状況について、その都度目くじらを立てていては身が持たないし、今頃になって父の性格が変わるはずもないので、こちらの対応を改めるしかなさそうです。つまり、自分でできることはやってもらうということ。独立した台所もあるので、朝食ぐらいは両親で完結してもらうほうが良いでしょう。毎度の上げ膳据え膳では、私も疲れるし両親も居心地が良くなさそう。これは夫婦でも同様で、同居していても、それなりの距離を取るのは、とても大事なんですね。

そして大きいのは、家内の存在。平日の昼間は働いているけれど、夕食は全員一緒。自分から両親へ話題を振る配慮があり、両親もそんな義理の娘に心を開いています。一般的にフィリピンでは、年寄りに優しく介護も自宅でというのが当たり前とされてますが、家内の態度を見ていると、なるほどなぁと感心します。もちろんフィリピンでも、不仲な嫁姑はいくらでもいるので、これは持って生まれた、家内の人徳なんでしょうね。

ということで、まだまだ改善の余地が大有りのお試し介護移住。それでも来年以降(時期は未定)の本格移住に向けて、だいたいの感触がつかめました。次回も続きます。



2023年12月5日火曜日

お試し介護移住 その2「問題は飛行機」

 前回の続きで、今回は高齢両親のフィリピンへの渡航について。

まだ母が元気な頃から言ってたのが「飛行機に乗る体力が残っているうちに、移住してや。」ということ。空港に到着さえしてくれたら、どうにでもなるし、もう両親専用の一軒家も竣工済み。介護士や看護師を、何なら住み込みで雇っても、日本に比べればまだまだ人件費の安いネグロス島。ちなみに今働いてもらってるメイドのグレイスおばさんは、看護学校を卒業してます。

逆に言うと、飛行機に乗ること自体が最大の難関。遅延さえなければ、朝に関空を出発して、夕方には西ネグロスの玄関口バコロド空港に到着までの道のり。健常者ならちょっと疲れる程度でも、長時間ベンチで待たされたり、介助が必要なトイレ使用のことを考えると、なかなか難しいことが想像されます。

そこで最初に弟が出したのが、豪華客船に乗せる案。これなら数泊かかってもホテルに泊まってるようなものだからと思いついたらしい。でも考えてみれば、そんなに便数があるものでもないし、最寄りのバコロド港に着く船なんて、フィリピン国内のフェリーか貨物船ぐらいのもの。おそらくマニラからは飛行機になるので、これではあんまり意味がない。

結局は、当たり前にマニラ経由の飛行機になったものの、せめて少しでも快適にと、国際・国内共にPAL(フィリピン航空)のビジネスクラスを予約。そうすれば、サービスの質が世界最悪レベルのマニラのNAIA(ニノイ・アキノ国際空港)でも、荷物の乗せ替えは楽だし、マブハイ・ラウンジが使える。国内便延着で、とんでもなく待たされたりすることもありますからね。

さらに手厚く、往復をフィリピン人の家内が母に付き添うことに。というのは、トイレの介助となった場合、いくら息子とは言え、私や弟よりも女性の方がいいだろうし、実は以前、母が骨折して入院した際、入浴の手伝いに、家内が毎日病院に通ったという経緯がありました。この時までは「フィリピン人の嫁なんて」と嫌悪感を露わにしてた母が、「うちの嫁は、ええ嫁や」と急転直下の手のひら返し。以降「癒し系嫁」などと呼んで、ずいぶんな可愛がりようなんですよ。

とまぁ、みんなで散々心配しまくって用意した、日本〜フィリピンの往復飛行。最終的には、弟まで同行した気の使いようなのに、蓋を開けてみれば、ほとんどこれと言ったトラブルもなく、あっけなく完遂。何と言ってもどっちの国でも助かったのが、車椅子利用者への優遇ぶり。「いつも最初に乗り降りできるので、楽ちんだったよ。」とは、家内の弁。

トイレも母一人で済ませたようだし、元々食べ物の好き嫌いがまったくない。案ずるより産むが易しとは、まさにこのこと。バコロド空港に車で迎えに行ったら、母は、車椅子に座ってはいても、実に元気そうに笑っていて、ちょっと拍子抜けです。

ただ後で聞いた話では、日本では父以外、誰とも顔を合わせず会話もない生活で、ずいぶんとショボくれてたらしい。それが家内が到着した途端、表情が明るくなったんだとか。有難いというか、分かりやすいというか。

ということで、なかなかいい感じで滑り出したお試し介護移住。さらに続きます。



2023年12月2日土曜日

お試し介護移住 その1

 もう1ヶ月以上もブランクを空けてしまいました。ざっと40日なので、まるで日本の夏休みですね。申し訳ない。結局11月は完全スルーで、気が付いたらもう12月。まぁフィリピンにいると、寒くなるわけでもなく、クリスマスの飾り付けは下手すると9月からやってるので、まったく師走という感じはないですけど。

なぜこんなに長くブログを書かなかったかと言うと、実は日本から高齢の両親が来て、しばらく滞在していたんですよ。執筆の時間を捻出できなかったわけではないけれど、やっぱりいろいろ疲れてしまって、なかなかブログを開けないまま、ズルズルと。

さて、父は87歳で母は86歳。後期高齢者もいいところ。最近の日本では元気な爺さん婆さんが多く、人によっては元気過ぎて「老害」「迷惑老人」なんて呼ばれても、さすがに90が迫った両親は、見た目も振る舞いも正真正銘の老人。

この両親をフィリピンの我が家に受け入れて面倒を見ようという計画は、ずいぶん前から練っておりました。そのための2LDK、通称ゲストハウスを自宅敷地内に建てたのが、もう4年前。ご丁寧にも、両親が新婚当時の60年以上前に住んでいた家の間取りを再現し、少々ボケても大丈夫なように配慮した一軒家。

ところが、皆さまご存じのコロナ禍の襲来。飛行機は飛ばなくなり、移住どころか、日本でもフィリピンでも、高齢者は外に出ることすら御法度。まるでそれにタイミングを合わせたかのように、それまでうるさいぐらい元気で、父と一緒にゴルフを楽しんでいた母が、急激に弱ってしまいました。とうとう歩行さえままならぬ状況になって、介護施設に入所したのが、2年前の冬。

この間、私もフィリピンから出られなかったので、身の回りの世話は、文字通り老老介護で父が行い、その他の段取りはすべて弟に任せっきり。もちろんLINEなどで頻繁に連絡は取り合っていたとは言え、この隔靴掻痒感は並大抵ではありませんでした。だから、足腰の立つ間に、早くフィリピンに来てと頼んでたのに。

このまま寝たきりになって、結局、母のために用意したゲストハウスにも住めないままかと、半ば諦めていた昨年(2022年)、ちょっとした奇跡が起こりました。

何と、要介護3(着替えや入浴、トイレに助けが必要な状態)から、施設を退所しても大丈夫なレベルまで回復したというのです。聞くところによると、ゆっくりながら歩くこともできて、食事の量が足りないと文句を言うほど。これにはケアーマネージャーさんも「こんな人は初めて見ました」とのこと。

その年末、つまりちょうど1年前に、ようやく私は久々の一時帰国を果たし、退所直前の母と面会。まだコロナが予断を許さない時期だったので、ガラス扉越しの再会となりましたが、思った以上の回復ぶり。私の冗談に笑顔を見せる余裕もあって、カップ麺やスナック菓子を差し入れて来ました。

その後、弟の尽力もあって、段差を無くしたり手摺りを設置するなど、自宅のバリアフリー工事を経て、めでたく帰宅した母。食事や洗濯は父が引き受けているものの、これで何とかフィリピン渡航の目処が立ちました。いきなり完全移住は無理でも、まずは「お試し」として11月後半の2週間強、両親にフィリピン・ネグロス島での生活を体験してもらおうという運びになったわけです。

前振りだけで長くなってしまいましたので、以降何回かに分けて、15日間に渡ったお試し移住について、投稿しようと思います。ということで、次回に続きます。



2023年10月19日木曜日

味の素と陰謀論

 何かと槍玉に上げられる味の素。私が子供の頃、つまり60年ぐらい前には、もう普通に日本の食卓に普及していて、私の父など、卵かけご飯にも味付け海苔をひたす醤油にさえ一振り。その影響で、私もいろんな料理に使ってます。

その後、AGF(味の素ゼネラルフーズ)の企業努力の結果、日本だけでなく世界中で味の素は広まって、ここフィリピンでもどんな田舎のスーパーや市場でも当たり前に売っているぐらい。日夜、ネグロス島で日本の家庭料理の味の再現に邁進する私としては、キッコーマンの醤油、キューピーマヨネーズと並んで、台所の必須アイテムとなっております。

それにしても、ここ最近のツイッターなどでの味の素に対する謂れ無き誹謗中傷は止まるところを知りません。マトモなサイトや医師、学者によって、味の素が健康被害を与えたという言説は、ことごとく否定されているし、少なくとも私の知る限り、味の素が原因で病気になったなんて事例は見たことも聞いたこともない。

昔から味の素を摂取し続けている60過ぎの私も、後期高齢者の両親も、とっても元気にしておりますよ。

ちなみにネット上でマトモかどうかを判断するのは簡単で、やたら断言口調だったり、煽り立てるような書き方はまず信頼できない。そして論拠となる調査や統計、論文がないものは、文字通りの論外。

商品名を使えないNHKの料理番組で「化学調味料」なんて紹介の仕方をされたり(現在は「うま味調味料」に変更)、見た目が白い粉末というのも、ずいぶんイメージとして損をしている側面はあるものの、成分自体は、グルタミン酸を始めとする自然の昆布に含まれる物質。砂糖や塩と同じく、よほどの過剰摂取(大量に水に溶かしてドンブリに何倍も飲むとか)でもしない限り、害はありません。

でも最近は、「何となく見た目が体に悪そう」という印象があると、それにつけ込んでYouTubeやいろんなSNSで、まことしやかな「味の素・悪玉論」を展開。なんでそんなことをするかと言うと、アクセス数がたくさんあれば儲かるから。おかげで、味の素を使った料理を紹介した料理研究家が、ひどい誹謗中傷を受けたりする。果ては「悪魔崇拝者」とまで呼ばれて、なんで味の素使ったぐらいで、そこまで言われんねん。

まぁ個人として「何となく嫌いで、私は口にしません」なら理解できるし、それは各自の自由。かと言って、他人さんにそれを押し付けるのは、明らかにやり過ぎ。ただ味の素を目の敵にする人って、それだけでは収まらない怖さを感じます。

というのは、以前から味の素が健康に悪いと決めつけてた人物が、今回のコロナ禍でガッチガチの反ワクチン論者になったのを見てるから。どうも、味の素をどう扱うかと、陰謀論にハマりやすいかどうかって、相関性があるんじゃないかとい気がします。単なる見た目からの感覚を、それらしく説明されると、どんなに胡散臭い情報元でも飛びついちゃうんという点では似ているかも。

特定の食材についてのことなら兎も角、それなりに影響力のある政治家や医師免許を持っている人が「対コロナ・ウィルスのmRNAワクチンが免疫力を弱める」なんて妄言を広めるから、本来ならワクチン接種して無事に生き延びるはずの人が亡くなったり、死なないまでも長くツラい後遺症に悩まされたり。そういう悲劇が実際に起こってますからね。これは日本だけでなく、フィリピンでもコロナ禍は陰謀で、実在しないと頑なに信じてる人が、一定の割合で存在します。実に困ったことです。



2023年10月18日水曜日

フィリピンの梅雨明け宣言


梅雨明けだけど秋のような青空

 またまた前回から間が開いてしまいした。自分の誕生日パーティがあったり、来月に控えた高齢の両親の、2週間に渡るネグロス島滞在に備えてリノベをやったりで、何となくバタバタしておりました。

さて、今日のお題。日本の梅雨明けとはかなり様子は違うんですが、先日パガサ(PAGASA / 日本の気象庁に相当する部門)が、南西季節風の時期が終わったとの発表がありました。つまり、インド洋からの湿ったモンスーンによって、大量の雨雲がフィリピン上空に運ばれる季節が過ぎて、今年の雨季は終了というわけです。

もう10年も住んでる割には、この梅雨明けを意識したのは初めて。そう言われれば、年末頃って比較的涼しい晴天が多い気がしてましたが、こういう理屈だったんですね。とは言え、4〜5月の一番暑い真夏から、急転直下、ある日突然大雨になる梅雨入りに比べると、そこまでのコントラストはありません。10月から11月は、台風も来るし夕立も多い。まぁ、終日の雨がないだけ過ごしやすいし、良い季節ではあるんですけどね。

南西季節風は、フィリピンの言葉でハバガット(Habagat)というそうで、それに対して、これからは北東季節風アミハン(Amihan)が、吹く乾季。要するに方向が違うだけで、年中モンスーンが吹き荒れている。ほぼ毎日、広大なサブディビジョン(宅地)を、健康維持のために自転車漕いでいるので、風向きには敏感になります。確かにここ数日で風が変わり、帰路が向かい風に。トータルの疲れ方は同じでも、帰りがキツい方が余計に体力を使ったような気になります。

遠く離れた日本とフィリピン。季節の変化は無関係なように思えますが、地図で見ると、海を挟んでいるだけの隣国のようなもの。日本でもだいたい時を同じくして、長かった酷暑から、急に冷え込み出したとの話題が。「地球の風」というアプリで見ると一目瞭然で、元々アミハンは、日本に秋をもたらす大陸からの風が、巡り巡ってフィリピンに届いています。なるほど、だからネグロスでも晴れて乾燥した気候になる。

おかげで、サトウキビの焼畑の時期と相まって、時ならぬ花粉症に悩まされているのは、前回の投稿した通り。こっちで入手できる風邪薬で症状は抑えられるし、本物の花粉症の激しい症状に比べれば、全然大したことはありません。

それにしても最近の日本。もはや四季ではなく二季の国になったようです。ネットからの情報だけなので、実感は伴わないとは言え、SNSなどでの友達の投稿を見ると、数日前まで30度越えの真夏日だったのが、いきなり朝晩は長袖のシャツがないと寒いとのこと。こりゃ、風邪も引き易くなるだろうし、メンタルにもあまり良い影響は出ないでしょう。寒暖や気圧が短時間で極端に変わるのが、一番堪えますから。

ということで、年間の温度差があんまりないという点では、日本よりも格段に穏やかで過ごしやすいフィリピンの気候。ごく僅かながらの季節感がある10月です。その10月も半ばを過ぎ、そろそろハロウィンも近づいてまいりました。今年はハロウィン前日がバランガイ(最小行政単位で、町内会みたいなもの)の選挙。18歳になった息子が、投票デビューとなります。



2023年10月9日月曜日

雨季なのに熱波・フィリピンなのに花粉症

 10月に入った頃から、ここネグロス島では妙に暑い日が続いてます。大雑把にフィリピンでは、4〜5月が乾季で真夏で6〜10月が雨季。そしてそれ以外は、比較的過ごしやすい涼しい乾季ということになってます。5月末か6月の初め、乾季から雨季への切り替わりは明確で、うだるような暑さ(最近の日本の酷暑よりはだいぶマシですが)から一転、連日の土砂降りというパターンが多い。これに対して、雨季から涼しい乾季は、これといった線引きはありません。

今年の場合、まるで5〜6月の梅雨入りの逆の如く、10月に突然暑くなってしまいました。唯一の救いは、本本格的な乾季と違って、夕刻や夜間にまとまった雨が降ること。そのお陰で、就寝時には気温が下がり、寝苦しいというほどでもない。ただ、毎日必ず降る保証はなくて、雨のなかった昨夜など、久しぶりにスリープ・タイマーでエアコンを使いました。ちょうど今、体育の日の日本では、ダラダラと続いた残暑から急に冷え込んで、体調崩したりメンタル不調を訴える人が多いとのことですが、気温は逆でも、やっぱり体には良くないパターン。

さて、10月の3日に61歳の誕生日を迎えた私。当日は火曜日だったので、親戚が集まってのパーティは、土曜日のランチタイム。もう還暦祝いでもないし、別にしてくれと頼んだわけではないんですが、そこはパーティ大好きなフィリピンの人々。しかも私が作る「日本っぽい」料理は人気があるので、こんな機会を見逃すはずがありません。

我が家のメイド、グレイスおばさんの勤務日は週三回の月・水・金。本来は休みの土曜日ながら、パーティではいつも大量の料理と、食後の洗い物が大仕事。なので、特別に休日出勤してもらいました。朝から熱帯の日差しが照り付けて前日同様の暑さの中、何と、選りに選って料理が佳境に入った午前11時前に停電。すぐに発電機を起動させて、炊飯器で定番メニューのピラフ(炊き込みご飯)の調理開始。ところが先日の修理以来、イマイチ電圧が安定しません。

困ったことに、まだ米が固い状態で、炊飯器の電源が切れたり入ったり。仕方がないので、生煮えのご飯を鍋に移し替えて調理続行したんですが、そこは慣れない鍋炊飯。炊き上がったら底に焦げついた米がごっそり。何とかピラフは食卓に出せたので、まぁいいか。ちなみに扇風機や冷蔵庫は、問題なく稼働。


発電機の音はちょっと耳障りながら、家族と親戚が揃ってのランチ・パーティは無事に終了。3時頃には電気も戻り、夕刻にはお客さんたちに、満腹・満足で帰っていただきました。やれやれと思ったら、今度は私の体調に異変。ネグロスにいるのに、なぜか花粉症のように、くしゃみと洟水が止まらなくない。

スギ花粉はない代わりに、島全体を覆うように栽培されるサトウキビ。年に2〜3回の収穫後に焼畑をやるんですよ。焼畑の時期になると約一週間ほどは、近くで焚き火をするように、焦げ臭い空気が充満。日本ではほとんど花粉症には悩まされたことがなかった私なんですが、どうもサトウキビの煙とは相性が良くないらしく、数年に一度は、鼻が大洪水。

実は、ちょうど今がその焼畑シーズンで、数日前にも発症。特に今回は、暑くて乾燥しているので、煙の拡散がいつもより激しいのかも知れず、日本から持って来たコンタック600を使い切ったところ。

さてどうしようかと考えて、ダメ元で家内が常備しているフィリピンの薬局で買った風邪薬を服用してみたら、これが意外にも効果抜群。デコルゲン(Decolgen)という、一般的な市販薬。効きめは、コンタックをマイルドにしたような感じ。眠気はそんなに強くなく、1回1錠で1日3回だそうですが、1錠で約24時間は効くようです。薬の効果や副作用は個人差が大きいので、飽くまで私の場合ですが。

翌日の日曜日は、いつものように私のイロンゴ語レッスン。今週はエイプリル嬢が来る予定が、突然の変更で叔母のバンビが。前日の暑さと停電で扇風機が使えず、エイプリルの小一の息子さんが、発熱しちゃったそうです。我が家の周辺では午後3時だったのが、エイプリルの家では、電力復旧が夜までかかったらしく、つい先週、12時間もメンテナンスで電気止めた上に、台風でもないのに長時間停電。エイプリルもバンビも、電力会社への怒りが収まらない。

ということで、予想外の気温の変化は、フィリピン人にも日本人にも、いろいろとトラブルの元になるようです。


2023年10月2日月曜日

日本が動き始める予感

 外国に住んでいる方が日本のことが客観的に見られる、なんて言われますが、国内にいる人のほとんどが感じてるんじゃないかと思うのが、日本の行き詰まり。「失われた10年」だったはずが気がつくともう30年。私やその上の世代なら、失われる前の「行け行けドンドン」の時代を知っているけれど、今の30代前半ぐらいまでの人たちって、物心ついた時から失われっぱなし。この閉塞感が当たり前なんですよね。

収入が増える見込みはないのに、税金と保険や年金の重圧だけはのしかかる。しかも40代以上の、声だけはデカくて異様に元気なオっさん供が、社会全体を牛耳っていて、どっちを見ても良い方向に変わる気配すらない。政治にも期待できない。そりゃ頑張って家庭を持って、子供を産み育てようと思わなくなるのも、無理はありません。少子化は必然。

なので私は、定年を迎える10年前に精神的な限界を迎えてしまい、トットと国外逃亡を図って、家族と一緒にフィリピンに住んでいるわけです。とは言え、母国が没落してゆく様を見て嬉しいはずもなく、移住してからもずっと心の端っこに、魚の骨でも引っかかったような嫌な感じは続いてました。数年後の年金支給も当てにしてますし。

ところがここ数年ほどで、それまで微動だにしなかった状況が、俄かに動き始めました。代表的な例を上げると、まずはただいま大騒ぎ中のジャニーズ事務所の性加害スキャンダル。典型的な「黒船案件」で、イギリスBBCが制作した告発ドキュメンタリーが発端。あっと言うまに火が燃え広がって、遂にNHKやその他の放送局でも番組にジャニーズのタレントを使わない方針を発表。

この件は、大手新聞社や放送局の衰退が背景にあるのは間違いないでしょう。購読者数は激減し、テレビの視聴率も上がらず。企業広告は新聞・テレビの旧態依然たるメディアからネットへ大幅にシフト。

さらに驚いたのが、昨年の元首相暗殺に始まる、統一教会の政治からの影響力排除の流れ。当初は「統一教会」の名称すら報道を躊躇っていたNHKも、さすがに黙殺できなくなったほどで、当の政治家にしても教団との関係を断たないと選挙で負ける、という所まで追い詰められたんでしょうね。とうとう教団に対する解散命令が出そうな情勢。

決定的なのが、元明石市長の泉房穂氏の登場。登場と言っても、明石市政を担って12年で、すでに政治家は引退と表明済みなんですが、退任後の半年ほどで、各地の知事・市長選の応援で、連戦連勝の勢い。そのどれもが、既製政党や業界団体の支持に頼らず、というか敵に回してなお圧勝。従来の、組織票なしでは選挙に勝てないという常識を打ち破って、正真正銘の市民派首長を次々に誕生させています。

それぞれの事象は別々に起こっていても、私の目からすると30年間も押さえつけられ、期待を裏切られ続けた人々の情念が、火山のマグマが地殻を突き破って噴火しているように見えます。正確には、まだ大噴火には至らない、活発な火山性微動の段階かも知れませんが。

ここまで延々と書いた事に共通するのは、無理だ不可能だ、変わるわけがないと考えられていた状況が、実はきっかけさえあれば、意外なほど容易く変化してしまうということ。明治維新もこんな具合に進行したのかと思うほどです。戊辰戦争が起こる直前に、当時の市井の人々に「江戸幕府は無くなると思いますか?」と聞いたら「そんなアホな」と一笑に付されたであろうと同様に、一昨年頃、これらの変化を予測した人は、まずいなかったでしょう。

ついでに言うと、実に時流に敏感な日本人。西郷隆盛さんは、大政奉還の後も何年も戦火が続き、日本が焦土となるだろうと思ってたのが、案に相違して幕府と共に最後まで戦ったのは、会津藩などの少数派のみ。関ヶ原然り、第二次大戦の集結後然り、大勢が決まったとなった瞬間に、コロっと態度が変わる。ディスっているのではなく、犠牲を最小限に抑えつつ社会の大変革が可能な、世界でも稀有な国民性だと言いたいのです。

そして私には、その流れの延長線上にあると感じられるのが、フィリピンを始めとする海外への英語留学者のと海外で働く若者の増加。日本からの転職組だけでなく、大卒から国内就労を経験せずにいきなりフィリピン、という人も結構おられます。もちろん全員が大成功してるわけではないし、やむを得ず帰国するケースもありますが、多くの人が「苦労をしても、日本で働くよりはずっと楽しい」と感じているらしい。すごくよく分かります。

人生の選択肢は日本の外にだってあると、多くの人が気付けば気付くほど、逆に国内の居心地を何とか良くしようとの動きも、出てくる可能性があります。これは予想ではなく、私の願望なんですが。というのも、今は私も家族も健康で経済的にもそこそこの余裕とは言え、さすがに還暦も過ぎると、この先何があるかは分かりません。それを思うと、日本に帰国しても何とかなるという選択肢は、あった方が良いに決まってます。

ということで、久しぶりに(と言うか、このブログでは初めて?)日本の将来に悲観的ではない投稿をしてみました。