2017年2月28日火曜日

制服萌え


フィリピン人は、制服が大好き。
公立・私立に関係なく、小学生から制服着てるし、学校の先生まで制服。先生だけでなく、教員以外の職員さんも、用務員のオっちゃんまでそろいのシャツ。そして学校だけでなく、市役所でも普通のオフィスでも、制服着用率はとても高い。

もちろん強制的に着せられているわけではなく、そもそもお揃いの服を着ること自体に、喜びを見出しているようです。例えばレストランやカフェなどの制服も、店に行ってから着替えるのではなく、その格好のままで通勤している人さえ。「私はちゃんと職があるのよ」とアピールしたいのでしょうか?

その他にもよくあるのが、何かのイベント毎にお揃いのTシャツを用意すること。文化祭のような催し物や同窓会の度に、学年別に色分けしたものを着るのが、どの学校でも恒例。こういう需要に応えるために、街中には必ず無地Tシャツの大量販売をするお店があるし、印刷屋さんも多い。

印刷屋さんではプリントだけでなく、デザインも請け負っていて、たとえ狭くて小汚い店構えであっても、アドビー・イラストレーターやフォトショップなどのグラフィック・アプリがインストールされたパソコンが置いてある。

実は、前職がデザイナーだった私は、家内の高校の同窓生のために毎年Tシャツのグラフィックデザインを担当しております。移住した翌年から無給奉仕で、もう今年で4枚目。毎年テーマが決まっていて、2014年が「シネマ」、15年「マルディグラ(カーニバル)」、16年「ギリシャ神話」、そして今年17年は「ブロードウェイ」。

例年2月に行われる同窓会に向けて、年末ぐらいから数案のアイデアを用意して、クリスマスパーティのプレ同窓会でアイデア検討。これがなかなか真剣で、一昨年の2015年の時は2案に意見が割れて、決まるまでだいぶ長い時間かかりました。そこまで選ぶのに熱が入ってくると、デザインする側も本気にならざるを得ません。毎年、私も楽しみにしている次第。


マルディグラとブロードウェイ

さて制服といえば、街中で目につくのが警備員。いくら平和な田舎のシライでも、ある程度の広さで、現金を扱う場所には必ず雇われます。一番物々しいのは銀行で、見るからに屈強で背の高い警備員がショットガンで武装。特に現金が運ばれる時など、まるでアメリカの映画を見ているよう。

だからと言って、体育系男子ばかりのむさ苦しい職場でもないのが、女性の社会進出が著しいフィリピン。当然のように女性警備員も多数。だいたいはレスリングやらせたら強そうな、ゴっついお姉さんが多いけれど、時々「何故あなたがここで働いているんですか?」と尋ねたくなるような人もいます。

中でも自宅から徒歩15分くらいの場所に、一昨年開店したスーパーの警備のお姉さんは、ちょっと驚くほどの美形で超スリム。ただスリムなだけではなく、ウェストのくびれが人間離れしていて、まるでバービー人形のような体形。

ということで、このブログに投稿するために、勇気を出して声をかけて、写真を撮らせてもらいました。普通フィリピンの若い女性は、こういうリクエストにはノリノリで応えてくれる子が多いのですが、彼女はちょっと違うタイプ。「写真撮ってもいいですか?」と英語で聞いたら、困った顔をして「どうして?」と返されてしまいました。後ろにいた売店のお姉さんたちの方が大ウケ。女性と話してこんなに緊張したのは、多分高校生の時以来です。


それにしても美人でスタイルがいい人は、何を着ても似合うもんですね。今年55歳になろうかという今頃になって、「制服萌え」してしまった。


2017年2月27日月曜日

明日のことまで思い悩むな

度々このブログで触れているように、私はカトリックの信徒です。敬虔でもなく真面目でもない不良信徒ですけれど、日曜日朝のミサには、だいたい毎週参加しております。カトリックの洗礼を受けた経緯は、以前詳しく書きましたので、ご興味のある方は、こちらをどうぞ。

ミサでは聖書の朗読が付き物。読む箇所は毎回決まっていて、全世界共通です。昨日の福音朗読は、マタイによる福音書の第6章24節から34節でした。この一節、いつも読むたび、聞くたびに考え込んでしまいます。全部引用するとかなり長いので、最後の部分だけご紹介しましょう。

明日のことまで思い悩むな。明日のことは、明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

日々の仕事に追いまくられている、現代日本人のためのような言葉。でも当の日本人にそう語りかけたら、「明日のことを心配せんで済むんやったら、誰も苦労はせんわ!」とたちまち反論の嵐になりそうです。

日本人ほど将来のことを深刻に悩んでいる国民は、世界中探しても他にいないかも知れません。職場がどんなに辛くても、そう簡単には辞めない、辞めさせないのは、路頭に迷うことを異常なほどに恐れるから。(でも実際に辞めてしまった経験のある人ならば分かるように、意外になんとかなってしまうものです。)

私が今住んでいるフィリピンの人達は、ある意味、日本人とは対極のメンタリティを持っています。わざわざ聖書の言葉に学ぶまでもなく、明日のことを真剣に思い悩んでいる人は、あんまりいない。もちろんこれは程度の差であって、まったく何も考えていなければ、いくらフィリピンでも生活ができません。ただ、日本人のように、神経をすり減らして夜も眠れない、なんて人は珍しい。

その証拠に、仕事でも遊びでも、何週間も先の約束をすると忘れてしまうことが多いし、日本人に比べると時間もかなりアバウトにしか守らないのが多数派。とことん思い詰めるのは、恋愛のことぐらいなんじゃないでしょうか。

と書くと、フィリピン人の悪口を言っているようですね。そうではなくて、私は心底フィリピン人が羨ましい。早期退職後フィリピンに移住して、ストレスになるようなことは、極力自分の人生から排除したつもりなのに、やっぱりあれこれ先のことを心配している自分がいます。いくら日本から離れても、50年も培った日本人の感覚は、そう簡単に捨てられるものではありません。

思い悩まないのは、カトリック信仰が原因だと、宗教に縁遠い日本人はつい考えがち。でも私はそうとも思わない。一時期、仕事で頻繁に訪れた東南アジアの国では、大なり小なり同じような感じでした。タイは仏教国だし、マレーシア、インドネシアはイスラム教徒が多い。どの国でも、道行く人の表情には日本のような緊張感がないし、実際に話してみても、思い悩んでいるような人に会った記憶がありません。

国民性や文化に一番影響を与えるのは、やはり気候風土。東南アジア諸国が一様にゆったりと見えるのは、一年に二度も三度も米が収穫できて、適当に作った家でも、凍え死ぬこともない。つまりちょっとぐらい失敗しても、なんとか生き延びることができる場所だった。こう言う環境に何世代も暮らせば、将来のことを思い悩む必要もないでしょうね。

フィリピンの場合、永年にわたって育まれた国民性に、キリスト教がうまくフィットして、今でも人口の9割がクリスチャンという状況を生み出したと、考えた方が良さそうです。



自宅最寄りの修道院付属のチャペル
今通っているのはここです


2017年2月24日金曜日

できる子はさらに伸ばす フィリピン小学校教育

今日は、フィリピンでの小学校教育について。

最近では、英語を早期に身につけさせるために、親御さん同伴で小学校から海外でという話も時々聞きます。ここまでくると教育移住と呼んだ方がいいレベル。ひょっとすると、この投稿を読んでおられる中にも、将来は我が子に英語圏で教育を受けさせたいとお考えの方がおられるかも知れません。

この投稿は飽くまで、私の住むネグロス島シライ市でのお話。全フィリピンのことを調べて書いたわけではなく、私が体験したり感じたりした範囲のことですので、どうかその点はご注意ください。

移住時に、日本の小学校1年生が終わり、これから2年生になろうというタイミングだった息子。日本での成績はまぁまぁ良い方。ただなぜか言葉の読み書きだけは変に早熟で、3歳になるかどうかの時期、家内に連れられての保育園から帰宅途中に、商店街の漢字の看板を片っ端から音読して、一緒だったママ友を驚かせたりしました。

家では、家内の日本語学習用に買った電子辞書を使い、缶詰の説明書きや家電製品の取説など、とにかく文字の書いてあるものは何でも読む。家内は日常的に英語を話し、時々実家に電話する時はイロンゴ語(フィリピンの方言)。また乳児の頃から、教育熱心な家内が英語の絵本を読み聞かせ。日本国内なのに家庭内が多重言語状態だったので、言葉に対して敏感になる環境だったのかも知れません。

移住に際して家内が選んだのが、私立でミッション系の聖テレシタ学院。シライの市街地にある小〜高一環学校(小学校6年・高校6年)で、授業は英語で行われます。フィリピンでは公立校の学費は、高校まで無料。(制服と教科書は有償)本当は公立でもよかったのですが、シライで公立小学校だと、授業は全部イロンゴ語。まったくゼロからの出発になってしまい、これはハンディが大きすぎる。そんな理由で、フィリピンにしては高めの学費を払うことに。

それでも2年生からの編入は無理でした。理由はタガログ語ができなかったこと。この辺りの経緯は以前にも投稿した通り、1年生からのやり直しに。しかし結局それが良かったようです。後から知ったのですが、フィリピンでは落第も飛び級も当たり前。また家庭の事情で小学校への入学年齢が1年ぐらい違うのも珍しくなく、少しぐらい周囲の子供と歳が違っても、何の差し障りもありません。

それどころか、イロンゴ語とタガログ語以外は、1年間のアドバンテージがあったせいか、年に4回ある定期考査では、もうすぐ5年生の今まで、平均得点が90%を下回ったことがありません。フィリピンでは子供の成績が良い場合とても褒める。言葉だけではなく、その都度、表彰状を用意してくれます。

息子の学校の場合、平均点90%以上が銀賞で、95%以上だと金賞。それ以外にも科目ごとに学年1番の生徒も表彰。有難いことに、これまで息子は20枚近い賞状を貰ってきました。

さらに、毎年学年上位成績の4名が選抜されて、アカデミック・エクセレンスという勝ち抜き方式の学力模擬試験に出場。息子は2年連続でこのメンバーに選ばれました。わざわざ休みの土曜日を潰して、家内が付き添い。州都バコロドにある大学構内の試験場で、近隣の学校から集まった300名の生徒が試験を受けます。


ここまでくると、西ネグロスで一番になれとか、プレッシャーを与えるのは可哀想になってきます。当日は、もう適当にやって、早く帰っておいでと送り出しました。結局、300名中80名にまで残り、準決勝までは進みましたが決勝進出はならず。家内は悔しそうでしたが、もうそれで十分ですよ。その夜は、子供の好きなカレーライスを作りました。ご苦労さん。

こんな具合に、学力が高い子供に対しては、さらに伸ばす制度が充実しているフィリピン。まだ習っていないやり方で回答すると、正解でもバツをつける日本の一部の先生のようなことは、考えられません。

できる子をさらにやる気にさせるのは、勉強だけではなく、美術や音楽、スポーツやダンスも同様。どの分野でも学外の試合やコンテストがあるし、「かけっこ全員1着」みたいな生緩いこともしない。なんと、校内ミス&ミスターコンテストまであったりします。公立小学校に通う、息子と同い年の従姉は、昨年の「ミス・シライ南小学校」に選ばれました。


11歳とは思えない従姉のジャスミン

よく子供は褒めて伸ばすなんて言いますが、フィリピンでは国全体で、その考えが徹底されているように感じます。出る杭は打たれるなんて、想像もできない。アカデミック・エクセレンスの二日後、私が夕方、学校に子供を迎えに行くと、先生が私にまで「おめでとうございます」と言ってくれて、親まで褒められた気分になりました。


2017年2月22日水曜日

フィリピン書店事情


日本人の活字離れが進んでいると言われて久しい。もっとも私が小学生の頃から、近頃の若い奴らは本を読まないと言われていたので、ずっと読書人口は減り続けているんでしょうか?

この10年ぐらいは、本当に雑誌の廃刊が相次いだり、新聞の売れ行きが落ちたり。書店の経営も昔に比べると、ずいぶん苦しいそうです。インターネットやスマホのお陰で、文章を読んだり書いたり(打ったり?)している人は、若い層ほど多いけれど、紙に印刷した書籍は、確かに売れてないと思われます。

この風潮に真っ向から逆らうように、私は紙の本が大好き。以前このブログでも投稿したように、そもそも家を建てた理由の一つが、自分の書斎兼書庫が欲しかったから。小学生の頃から買い続けた本は、ほとんど捨てておらず、数千冊の蔵書になってしまいました。それを我ながらご苦労さんなことに、全部フィリピンまで船便で送り、今では本棚に囲まれるような生活をしています。



そんな人間なので、フィリピンでも書店の事情はとても気になる。日本ならば、小さな本屋さんの数は減ったとは言え、今でも大阪梅田界隈には、紀伊國屋や旭屋など大きな本屋さんが健在。最近では巨大なジュンク堂もできました。私にとっては一種の天国のような環境で、丸一日いても飽きないほど。

ところが、今住んでいるシライ市には本屋さんが皆無。人口12万の地方都市に、本屋さんが一軒もないなんて。スーパーのレジ近くに、ほんの数冊雑誌が置いてあるぐらい。どうしてもまともな書籍が欲しければ、隣街のバコロドやタリサイのショッピングモールに行くしかありません。

そして、どのモールにもあるのが「ナショナル・ブックストア」。カタカナで書くと、松下電器の本屋さんかと思ってしまいますね。(40〜50代以上の人にしか理解できないジョークで申し訳ありません)この書店は、フィリピン全土に展開するチェーン店。隣島パナイの州都イロイロや、首都マニラ、セブにもたくさんあります。


それでも日本の大型書店に比べると、フロア面積は大したことがない。近隣では最大の、SMシティ内のナショナル・ブックストアでも、昔私がよく利用した、阪急塚口駅前の宣文堂(現ブックオフ)よりも狭いぐらい。(ローカルすぎる例えで、申し訳ありません)

どうやら、平均的なフィリピン人は、あまり本を読む習慣がないらしい。高校の先生をしていた家内の叔母ですら、私の書斎を見て「本当にこれを全部読んだの?」と本気で驚いてました。メガネをかけてる子供が少ないのも、なんとなく分かる気がします。

話をナショナル・ブックストアに戻しますと、扱っているのはほとんどが英語の書籍。しかも字ばっかりの本がメイン。絵本や日本のコミックの翻訳版もありますが、数は少ない。小説や専門書は、アメリカからの輸入品が多いようです。ハリウッド映画の原作なんて、ほとんどリアルタイムで発売される。私の息子も読書が好きなので、ハリーポッターや、スターウォーズのノベライズものをここで買っています。

それにしても、高い!
ちょっと分厚いハードカバーだと、軽く1,000ペソ(約2,200円)以上する。フルカラーの専門書なども日本で買うのと変わらない価格なので、これではフィリピンの庶民には簡単に手が出せない。フィリピンで読書の習慣が根付きにくいのは、本が高すぎるという理由もあるようです。



文具や画材も置いています


2017年2月21日火曜日

フィリピンの親戚たち

フィリピン人と結婚した場合、よく言われるのが配偶者の家族や親戚から、やたらと経済支援を求められること。ビジネスを始めたい、家を建てたい、誰かが病気になった、怪我をした、子供を大学に入れたい、今日の食費がない、などなど。もう、ありとあらゆる理由でお金を要求する...ということらしいけれど、本当なんでしょうか?

直接聞いたり、本で読んだり、あまりに頻繁に耳に入る話なので、もうそれがフィリピンでは当たり前のことだと、思い込んでいる人が多いかも知れません。ところが、フィリピン人の家内と結婚して、もうすぐ20年になろうという私は、この手の無心にはほとんど縁がありませんでした。たった一回だけ、家内の叔母にお金を貸したことがあっても、担保で叔母所有の宅地、約300平米の権利書を預かったので、貸し倒れになったわけではない。

家内の親戚の顔ぶれを思い起こすと、「フィリピン=貧困」という日本で定着してしまったイメージとは違い、経済的に自立していて、他人の世話になっていない家族ばかり。大金持ちはいないけど、多くは中流レベルの生活をしています。


クリスマスに我が家に集まった
オフィレニア家の人々

まずは家内の弟ロイ。奥さんのジーナと子供二人、父親(私の義父)の5人暮らしで、本人はシライ市役所の職員で次長クラス。ジーナは市内公立小学校の教師。義父も年金をもらっていて、月の収入は合計10万円近くにはなるだろうと思います。ネグロス島の物価は、日本の1/3〜1/5なので、かなりの余裕ですね。

義父は昔、マニラで出稼ぎをしていた溶接工、10年前に亡くなった義母は高校教師。その長女の家内は、フィリピン大学ビサヤ分校の研究員でした。そして弟ロイは、この両親が購入した持ち家に住み、数年前には安い車種ながらも新車を購入。

次にリトル・マミーこと、家内の叔母(つまり義母の妹)。リトル・マミーも姉と同じく元高校教師。娘のルビーとレイチェルは二人とも看護士で、アメリカのシカゴで働いています。リトル・マミーは、その仕送りと年金で生活。以前は一緒にシカゴで住んでいましたが、ライフスタイルに馴染めず一人で帰国。今はもう一人の息子ラルフと同居。やはり家があって、自家用車もある。

同じくシカゴ在住の叔父ノノイ。リトル・マミーの娘たちと同業の看護士で、奥さんも病院勤め。最近一時帰国した娘の医大生ケビンは、オフィレニア家初の医師を目指して勉強中。

そしてラルフ。数年前に結婚し一時はマニラでカジノのカードディーラーをしていました。昨年ネグロスに戻り、今はショッピングモール内のフードコートで、小さいながらもブースのオーナー。奥さんは保険会社アクサの営業をしています。

従弟のパウロは、これまた小学校の先生。レイテ島にある亡くなったお父さんの実家に引っ越して、お母さん(家内の叔母)と一緒に、慎ましいけれど安定した暮らしをしているようです。

こんな具合に、家内の母方オフィレニアの人々は皆、比較的いい生活をしている。実はこのオフィレニア家、戦前はシライの名士だったそうです。戦時中の1940〜45には、家内の大伯父がシライ市長を勤めるほど。ところがその後、一族は没落し、義母が子供の頃はボロボロの家に大勢で暮らし、寝るときには屋根に空いた穴から星が見えたんだとか。ただ、多くのフィリピン困窮家庭とは異なり、家内の祖父母は、子供達には何とか人並みの教育を受けさせた。その甲斐があって、全員が貧困から脱出したというわけです。


シライ市庁舎に飾られる歴代市長の肖像画
その中に家内の大伯父がいます
何となく息子に似ている

私が家内と付き合っていた当時、親兄弟の生活レベルは分かっていても、親戚全部の状況を知っていたわけではありません。ややこしい親戚が一人もいなかったのは、私にとっては幸運でした。幸運どころかそれが当たり前で、かなり最近まで、家族や親戚が金を借りようと集まってくるなんてことは、よほど運が悪いんだとさえ思っていました。

もちろん、一目惚れ状態で盲目的に、結婚まで突っ走ったわけではありません。英語での意思疎通は十分できたし、もし親戚に問題があったら、何らかの対策は講じていたでしょう。ところが、目をつぶって断崖絶壁から飛び降りるような結婚をしてしまう日本人が多いのも現実。

時にはリスクを取ることも必要だし、結婚なんてある程度は勢いがないとできないもの。だからと言って、いきなり全財産を奥さん名義の銀行口座に振り込んだり、数回会っただけで、言葉さえ通じない親戚に大金を預けたり。日本人が相手ならば、絶対にしないようなことを、フィリピン人だと大丈夫と思ってしまうのは、なぜなんでしょうか?


2017年2月17日金曜日

「脱出老人」を読んで


ちょうど去年の今頃、電子書籍リーダーアプリのキンドルを入手しました。最初は、池波正太郎さんの仕掛人シリーズや、平井和正さんのウルフガイシリーズなど、ずっと以前に愛読していた書籍の再読から。これが思ったよりはるかに便利で使いやすく、次は堀江貴文さんの本や、今ネットで話題になっている「恋愛工学」の小説版、藤沢数希さんの「ぼくは愛を証明しようと思う」などを購入。海外在住でも、日本の新刊本を読めることの幸せを享受しております。

そんなことで、この1年に合計26冊をスマホで読み終えました。平均すると月に2冊以上読んだんですね。その中で、一番最近の数日前に読了したのが、水谷竹秀さんの「脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち」。移住前は、この手のフィリピン物は散々読んで、一時期ちょっと食傷気味でした。しかしこの本は2015年の初版で情報が新しく、タイトルからも分かるように、老後のフィリピンで暮らしについて書かれた内容。私と同じような境遇の日本人を取材したノンフィクションなので、買ってみました。

著者の水谷竹秀さんは、フィリピン在留邦人にはお馴染みの、日刊まにら新聞の記者だったそうで、現在に至るまで10年以上フィリピンに在住。前作の「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる『困窮邦人』」で、開高健ノンフィクション賞を受賞しました。

長くフィリピンに住む日本人の姿を見続けているだけあって、在留邦人の一人である私が読んでも、描写は的確。「なるほど、そんなこともあるのか」と思わず唸ってしまう箇所も多数。フィリピン国内だけではなく、フィリピン移住決断の経緯を追って、日本各地に出向き、家族・親戚・縁者を執拗なまでに取材。凡百の類似著書とは一線を画す内容です。

浮かび上がってくるのは、フィリピンの国内事情もさることながら、現代日本人が抱える深刻な問題でした。高齢化、少子化、無縁社会、介護、貧困、年金...。日本にいる時から目を逸らしてきた現実を生々しく見せつけられて、正直後半以降は、読み続けるのがつらかった。まるで、フィリピンに逃げても何も解決しないんだぞと、呟かれているみたい。私自身、80歳を超える両親がいて、自分も今年55歳。到底他人事とは思えないエピソードばかりでした。

日本の闇の部分を、フィリピン移住という視点で鋭くえぐったノンフィクションなので、普通に幸せに暮らす高齢のフィリピン在留邦人の影は薄い。登場しないわけではないけれど、スラムでのどん底生活に喘ぐ人や、異国の空の下で孤独死する人の話ばかりが印象に残ってしまい、全体としては重苦しい読後感。

英語ができて地域コミュニティーに参加し、現地の気候や食べ物にも順応し、フィリピン人配偶者との年齢差はあまりなく、贅沢はできないけれど生活資金に不足はない。要するに私のことですが、そういう移住者は出てきません。でも私がフィリピンで知り合った移住仲間の日本人は、だいたいそんな普通の幸福を手に入れています。

この作品は、普通の移住者を描くのが主題ではないので、無い物ねだりになってしまうのは百も承知。それでも、フィリピンについての入門書として、この本を手に取った人が、フィリピン移住にネガティブなイメージばかりを持ってしまったとすれば、それはかなり残念です。

もちろんフィリピン移住が「極楽暮らし」なわけがないことは、よく分かっています。でもできれば次作(があるかどうかは、分かりませんが)では、フィリピンに住んで幸せになった邦人の姿を、もっとたくさん描いて欲しい。水谷さん、取材に来ていただければ、いつでも大歓迎しますよ。


2017年2月16日木曜日

バレンタイン弁当


一昨日は、移住して4回目のバレンタインデー。フィリピンでは、女から男の一方通行の愛の告白日ではありません。また男女間の恋愛にとどまらず、親子の愛情や友愛、つまりキリスト教で言うところの広義の愛の日。これについては、毎年このブログで書いてきた通りです。

ただしクリスマスや中国正月とは違い、国民の祝日ではなく、便乗ビジネスも比較的おとなしい。どちらかというと、学校での行事が盛んなようです。子供達から先生に「いつもありがとう」みたいな感じで、ダンスや歌を披露したりカードを贈ったり。学校によっては、教師も生徒もみんな赤い服を着たり。

去年から市の教育員会の職員になった家内。その職場でもバレンタインデーの催し物がありました。一体どんなことをするのかというと、神父さんに来てもらい、バレンタインのミサを行う。バレンタインデーとは、ローマ時代の司祭ヴァレンティヌスに由来するもので、当時の法律で結婚を禁じられていた兵士のために、秘密裏に婚姻を助けたヴァレンティヌスが、その罪を問われて処刑された日。その後、ヴァレンティヌスは聖人に列せられ、命日がキリスト教の祭日となりました。

カトリックでは、1962〜65年の第二バチカン公会議で、この逸話は信憑性が低いとされて、聖バレンタインの祭日は廃止されてしまいましたが、今でも「愛の日」として世界各地で祝われています。それを思うと、この日にミサを執り行うのはごく自然なことで、チョコレート屋さんが大儲けする習慣の方が不思議。

そういうわけで、派手なことではなくても、私も何かしないといけないなぁと考えたのが、バレンタイン弁当。少し前に、フェイスブックの友達がシェアしていた、ウィンナー・ソーセージでハート型を作る動画に触発されて、わざわざ数日前に、いつもは買わない真っ赤なソーセージを買い込みました。そして当日は、よく洗ったカッターナイフで、海苔をハート型に切り抜いて、おにぎりに。


上が子供用、下が家内用

これが家内の職場で結構ウケたらしく、同僚や上司が写真に撮って大喜び。こんなの、今日本で流行っているという「キャラ弁」に比べたら、ほんの子供騙しみたいなもの。でもあんまり凝った弁当を作る文化がないので、フィリピン人には珍しかったんでしょうね。

五十過ぎのオッさんが、ハートをあしらったお弁当を作っている様は、想像されると少々気味が悪いかも知れませんが、人を笑わせたり喜ばせたりするのが、関西人の第二の本能。こういう「いちびり」も、たまにはいいものですよ。


2017年2月15日水曜日

ラッキー・ジャパニーズ その2


前回は、私と家族が住んでいる場所が、治安が良く安全で静かだという話を投稿しました。これはフィリピンの地方都市がどこでもそうなのではなく、たった数キロ離れた隣町では、状況がずいぶん違ったりもします。中流以上で、ある程度の収入を得ている人たちは、護身用に拳銃の所持を考えるほど、危ない場所も。

私がこの場所を移住先に選んだのは、「偶然」家内の実家だったからで、何箇所も候補をを用意して取捨選択したわけではありません。宅地の購入にしても、十数年前に土地購入を思い立った時「偶然」実家近くで分譲が始まっていた宅地を、家内の母にお金を送って買ってもらっただけ。今にして思えば、総額100万円以下で、日本に比べれば格安の買い物だったとは言え、ずいぶんな冒険でした。

しかし考えてみると、国際結婚や海外移住に限らず、人生そのものが冒険の連続。絶対安全・絶対確実なことなど、この世にはありません。移住に関しては約10年の準備期間を置いていたので、それなりの確証はありました。また移住してから自宅を建て始めるまでも、半年程度の時間が経過しています。それでも、とても住めないと判断していたら、宅地を転売して、別の場所を探していたでしょう。

住んでいる場所以外にもラッキーだったと思えるのは、家の建設そのもの。「偶然」私の父が、海外の現場で施工経験のある一級建築士だったので、自宅建設の監督を頼むことができました。もしそうでなかったら、建築費はもっと高くついて、不具合がいっぱい出ていたかも知れません。そもそも、この家の基本設計をお願いした建築家Yさんとの出会いもかなり「偶然」。フィリピンに建てる家の設計をお願いできる日本人建築家なんて、そう簡単に見つかるはずがありません。

さらに、とてもいいメイドさんが見つかったことも同じ。たいていのフィリピン在住の日本人が頭を悩ませるのが、働き者で気立ての良いメイドさんを探し当てること。我が家でも、最初の2年ほどは、試行錯誤を繰り返して、3人目のネルジーがやっと当たりくじ。その経緯も、移住直後に知り合った、フィリピン女性ティンティンを介して。ティンティンと「偶然」に出会わなければ、ネルジーを雇うこともなかった。

そんなふうに考えていくと、人生とは「偶然」の積み重ねなんですね。ただし、座して偶然を待っていて今の境遇を手にした、と言いたいのではありません。振り返ってみると、自分が好きでやったことや、自分から進んでやり始めたことで、無駄だったことはなかった。その時は気付かなくても、知らないうちに将来につながる知識を学んでいたり、人生の岐路を作ってくれる人と出逢っていたり。熱中できることをしていれば、必ずそれは未来の伏線になっているもの。

とは言え、不慮の事故や病気もあります。生まれ育った環境自体が、とんでもなく不利なことだってあるでしょう。その意味で大病も大事故もなく、この歳まで健康で過ごせた自分は、とても幸運だったと思います。私の宗旨で言うと「神に感謝」。でもその運は、自分でなんとかできる幅もあるらしい。

意識していることも、無意識のことも含めて、前向きに行動していれば、時たま訪れる幸運をうまく掴むことができる。つまり偶然も自分で呼び込んだとも言える。

鍵になるのは、とにかく行動を起こすこと。周囲が何と言おうが、やりたいことは徹底してやり、やりたくないことはしない。職場が辛いなら退職、家庭が重荷なら離婚。生まれた国に魅力がないなら海外移住。私は全部経験しました。失敗もたくさんしたし、身近な人の心を傷つけたのも、一度や二度ではありません。それでも、やりたくないことを無理に続けて後悔するよりも、ずっと良かったと思っています。


2017年2月13日月曜日

ラッキー・ジャパニーズ


出典:フリー素材 著作者:Inside.spirit

フィリピンは、治安が悪い。日本のメディアがフィリピンを語る時には、もう耳タコのフレーズ。平和で静かなネグロス島シライ市の自宅にいるとイラっとくるほど、何とかの一つ覚えのような繰り返し。と思っていたんですが....。

先日久しぶりに、Hさんと話す機会がありました。Hさんは、以前から親しくして頂いている日本からの移住者。私と同年代で、フィリピン人の奥さんと一緒に、ネグロス島で生活しています。そのHさんがお住いのシライの隣街についての話を聞いて、どうもシライ市、その中でも私たち家族が住居を構えるサブ・ディビジョン(宅地)が、特別な場所だという気がしてきました。

シライの市街地から、車で20分ほどの距離にあるHさんのお住い。その徒歩圏内で最近立て続けに、拳銃によるホールドアップ強盗や、殺人事件が起こったそうです。シライでも殺人が皆無なわけではなく、時々耳にはしますが、大抵は違法薬物絡みの犯罪者同士の争い。無辜の市民が巻き込まれるケースは、少ないと思ってました。

また、私たちの宅地では、24時間体制で銃で武装した、屈強なガードマン約10名が常に敷地内を見回り、外部からの立ち入り時には、住民の付き添いもしくは、IDをガードハウスに預けることが必須。

そして車やバイクの速度制限も厳しく、せいぜい時速20キロ程度。外では音楽をガンガンに鳴らすトライシクル(輪タク)も、この宅地内ではオーディオのスイッチを切ります。私はここにしか住んだことがないので、ゲートがあるような宅地は、どこでも同じようなものだろうと思い込んでいました。

ところが、Hさん宅のあるサブ・ディビジョンでは、ガードマンの数は少なく、しかも老人。近隣のスラムからは、しょっちゅう泥棒や空き巣の類が、フェンスを乗り越えて侵入して来るし、実際に盗難被害も多発。車は宅地内を時速60キロも出して走り、危なくてしょうがない。仕方がないので、家の前の道に自費でハンプ(コンクリー製のかまぼこ状の突起)を設置したんだそうです。

少し前に、拳銃を買ったという噂だけ流せば、コソ泥は寄り付かなくなると書いたけれど、これは本当にピストルを持った方がいいのかも知れません。そんなことを家内に言うと「ラルフ(家内の従弟)は持ってるよ」と、あっさり返されてしまいました。フィリピン人で、そこそこの収入がある場合、護身用に銃の携帯をしている人は、思ったよりも多いらしい。

フィリピンで合法的に銃を所持するには、ライセンスが必要です。また家に保管するのではなく持ち歩くには、さらに追加の携帯許可も。外国人による購入は禁じられていて、私の場合、家内にライセンスを取ってもらうしかない。

う〜む。今まで散々、ネグロス島の田舎暮らしは危険が少なく、のんびりできてお勧めだと書いてきましたが、必ずしもそうではなかったようです。考えてみると、たまたま家内の実家があるシライ市に住み、家内の母に見つけてもらった宅地を、あまり深く考えもせずに買ったのは、すごくラッキーなことだったんですね。


州都バコロドにあるガン・ショップ


2017年2月10日金曜日

ネルジーが来て1年


フィリピン・ネグロス島の我が家に、メイドのネルジーがやって来てちょうど1年が経ちました。過去二人のメイドさんは、いずれも半年でクビにしたり逃げちゃったり。クリスマス〜正月には、病気で三週間も戻って来なくて、どうなるかとヒヤヒヤしたけれど、なんとか1年もちましたね。よかったよかった。

今年で25歳になるネルジー嬢。よく働くし素直だし、このまま何年でも我が家で働いて欲しい反面、いつ結婚するんだろうと思うことも。まるで子供のように、ケラケラっと笑うネルジーも、結婚願望はあるようです。時々家内とそんな話をしているらしい。

ほとんどのフィリピン人がそうであるように、ネルジーも子供大好き。夕方になると決まって、我が家の前を散歩する女性がいます。いつも2歳ぐらいの男の子と一緒。お母さんなのか、それともメイドさんが雇い主の子供を連れているのか。同じ時間帯に掃き掃除をするネルジーは、すっかり仲良しになって、とても楽しそうに子供のお相手。これはいい母親になりそう。

また、毎朝5時過ぎには起き出して、散歩するネルジー。同じ宅地内に住む、お金持ちのオジさんと友達になったとのこと。その人がもうすぐアメリカに行くので、お土産は何がいいかとネルジーに尋ねたんだそうです。え〜っ!これは玉の輿に乗るチャンスか? でもネルジーは恥ずかしくて何も言えなかった。それを聞いた家内は「今からでも遅くない。私が欲しいものリスト書くから、それ持って空港でお見送りしなさい」と笑ってました。

そして最近分かった、ネルジーの特技。実はネールケアもできるんですね。最初は、家内と二人で息子の勉強部屋に篭って、何やってるんだろうと思ったら、家内の足の爪のお手入れ。家内はスマホでゲームしながら、すっかり上流階級の奥様みたい。

プロのネイリストだという義理のお姉さんから、やり方を教わったそうで、手付きはなかなかのもの。そっちを本業にした方が、稼ぎはいいかも知れません。でも極端に人見知りをするネルジーには、初対面の人とも話をしなければいけない接客業は無理かなぁ?

1周年を迎えた一昨日の夜、家内と相談して、ほんの少しだけのボーナスを上げることに。最初は、好きな料理でも作ろうかとも思ったものの、とても少食で食べること自体にあまり執着がないネルジー。好物が何なのか、いまだに分かりません。かと言って、メイドさんに服や靴を買うのもちょっと変なので、結局現金。

夕食の後にボーナスを渡すと、とても嬉しそうに「サンキュー・サー」とネルジー。日本だったら、子供のお年玉にもならない金額にここまで喜んでもらえると、こっちまで笑顔になりました。


洗濯物をたたむネルジー
正座してると日本人みたいに見えます





自分の身は自分で守る


日本人は、水と安全は無料(ただ)だと思っている。

これ、かなり昔から言われていますね。昔ほど安全ではなくなった最近の日本。それでもフィリピンと比較すると、まだまだこの言葉は有効性を失っていません。

フィリピンの水道代は安くて、シャワーや洗面には使うには問題ないけれど、現地の人でさえ直接は飲まない。飲料用には、町内の精製水屋さんで水タンクに入れて購入します。これが結構面倒で、数日毎に水を買う度にフィリピンで生活していることを実感。

そして安全。「自分の身は自分で守る」というタイトルを付けたのは、護身用に格闘技を習いなさいという意味ではありません。フィリピンには、ボクシングやテコンドーを教えてくれるジムが多い。かと言って、なまじ中途半端に覚えると、使ってみたくなるのが世の常。自分から争いごとに首を突っ込んで、大怪我したり命を落とすことにもなりかねない。特に血の気の多い男性諸氏には、まったくお勧めできません。

では、どういうことかと言いますと....。
例えば、空き巣や泥棒対策で、マニラ在住日本人の友達が教えてくれた方法。フィリピンでは、合法的に拳銃を買って所持することはできるし、密造銃も多数出回ってるそうです。だからあなたも拳銃を買いなさい、ではなくて、銃器を扱っているお店に出入りするだけ。そうすれば「あの日本人はピストルを持っている」と噂になる。これだけで、刃物で武装するのが関の山の、貧乏なコソ泥は寄り付かない。わざわざガードマンを雇う必要もないのだそうです。(真偽のほどは分かりません)

そこまで物騒な話ではなくても、日常生活でトラブルを避けるには、ちょっとしたコツがあります。

まずは初心者編。
街歩きをする時は、ショルダーバックは片肩に掛けるのではなく、たすき掛け。ウエストポーチは体の前。それほど暑くなくても、熱帯の日差しを侮らず、必ず帽子か日傘。出がけに晴れていても、突然の土砂降りに備えて折り畳み傘携帯。それから、歩きスマホはひったくりの危険があるので厳禁。まぁ、歩きスマホに関しては、どこの国でも危ないですが。

田舎に行くと、街路樹代わりに植えられている椰子の木。南国情緒があるし木陰を作ってくれるので、ついその下を歩きたくなります。ところがこれも危ない。私の知り合いで、落ちて来た椰子の実で、怪我をした人がいます。もし頭に当たったら命に関わるので、椰子の木の近くではご注意ください。

次は、慣れてきた頃に危ない話。
フィリピンでは、24時間稼働のATM。でも、使うのはできるだけ銀行の営業時間内、平日の9:00〜17:00が無難。フィリピンのATMはトラブルが多くて、時々カードを飲み込んだまま動かなくなることがある。時間外に「カード食べられちゃった!」となると、翌日か週明けまで悶々と時間を過ごすことになってしまいます。しかし、これでは24時間稼働の意味は、まったくないですね。

よくあるのが、警官絡みのトラブル。軽度の交通違反でも、何千ペソなんて罰金をふっかけられることがよくあるフィリピン。そんな時は慌てずに、相手のIDの見せてもらいましょう。そして必ずスマホで写真に撮っておく。まともな警官なら拒むことはないはずです。

因みに私が信号無視で引っかかった時は、その場で現金払いではなく、最寄りの警察署で200ペソ支払った後に、違反キップと引き換えに持って行かれた、運転免許証を返してもらいました。でも相手が胡散臭くても、抵抗は口だけにしてください。撃たれることもありますから。

そして最後に、お金のトラブル。
永住者や長期滞在者、またはフィリピン人配偶者を持つ日本人が、よく頼まれるのが借金。そんな時は、無くなっても自分が困らない金額で、ある時払いの催促なしの態度が貫けるのなら、貸してください。ただし二度目は断るという条件で。

数万円程度ならば構わないけれど、商売を始めるから投資してくれ、というレベルだと冗談では済みません。私ならば、どんなに条件がよさそうでも、絶対に手は出さない。少なくとも金額に見合った担保でも取らない限り、ほぼ100%の確率でお金を失います。私も以前、家内の親戚に数十万円単位で、お金を貸したことがありましたが、その時は宅地の権利書を担保に。結局私は、必要もない土地のオーナーになってしまった。(正確には私ではなく、家内が)

金銭的な損失だけに留まらず、それが原因で人間関係がこじてれ、刃傷沙汰になりかねないのが恐ろしいところ。フィリピン人を頭から見下している人は、相手に暴言を吐いて罵倒したり。これが一番危ない。大人しそうに見えても、プライドが高いフィリピン人にそんなことをすれば、間違いなく逆恨みされます。

とまぁ、これからフィリピンに行こう、住もうと思っている人を、怖がらせるようなことばかり書いてしまいました。自分で痛い目に遭って、高い授業料を払えば、身にしみて分かることばかりなのですが、中には取り返しのつかない危険もあります。過剰反応する必要はないけれど、フィリピンと付き合うならば、日本とは違う環境なのだということだけは、しっかり意識しておくのが肝要ですね。


2017年2月9日木曜日

残業は業務命令


仮にあなたが、フィリピンで会社を経営していたとします。大きな仕事が入って、どんなに業務が忙しくなったとしても、もしあなたが何も言わなければ、フィリピン人の従業員は定時になったら、一人残らずトットと退社するでしょう。

これは想像で書いた話ではなく、私が某日本メーカーの従業員だった頃、実際に出張先のフィリピンで見た光景です。結局その日、会社に居残ったのは私を含めて日本人ばかりでした。

残業とは業務命令があって、初めて行うこと。本当は日本でも同じルールのはずで、私が新人だった1980年代、先輩社員からそのように教わりました。ところが、自分の仕事が終わったと思って帰ろうとすると、部長さんにエラい怒られてしまった。

あれから30年が過ぎて、ようやく日本もフィリピン並みの常識が広まる兆しが。大手広告代理店での若い社員の自殺という、たいへん痛ましい事件がきっかけで、労働基準法を企業に遵守させる圧力がかかるようになりました。考えてみると、それまで法律がなかったのではなく、その解釈と運用で逃げていただけの話。

一度「時勢」が動き出すと、今まで正義だったことが、あっという間に悪になるのは、なんとも日本らしい。歴史を振り返ってみると、それまで尊王攘夷をだったはずなのに、明治政府ができた途端、文明開化と称して江戸以前の伝統を全部捨ててしまうし、廃仏毀釈の掛け声で、昨日まで拝んでいた仏像を、坊主が薪にして燃やしてしまう。太平洋戦争では、一億玉砕・鬼畜米英が、昭和20年8月15日を境に、一億総懺悔・民主主義に転じて、学校では教科書に墨を塗らせる。

なんとも節操のない国民性かと思う反面、かつてのロシア・中国のような、国の体制を変えるために何十万、何百万の命を犠牲にした革命や、思想・宗教の違いを原因とした何世代も続く対立に比べると、はるかにマシなのかも知れません。

話が少々大げさになりましたが、元々が無思想・無宗教の日本人には、時勢に乗り遅れて仲間外れになるのが、一番恐ろしい事なのでしょうね。おそらく労働時間や働き方に関しては、短い期間で劇的に変わっていくと思われます。ただし極端な変化は、強い副作用を伴うもの。ここ数年ぐらいは、どんな問題が持ち上がるか予測ができません。

そんなことを考えていたところ、時代を象徴するような記事を見つけました。かっぱえびせんでお馴染みの食品メーカー、カルビーが在宅勤務の制限を撤廃。つまり、会社に来る必要がなく、自宅でもカフェでもネットさえ繋がればどこで仕事をしてもOK。評価は労働時間と無関係に、成果だけで行うことを発表したそうです。

これは残業がどうのこうのという議論を飛び越して、働き方の根本を変える画期的な決断。成果さえ出れば、費やした時間が10時間でも5分でも同じ評価になるのですから、誰もが一番効率的なやり方を考えるようになる。しかも毎日決まった時間に通勤する必要もなく、例えば私のように国外に住んでいる人間でも、同じように働いて給料を貰える。もっとも当初は、週に一度は出社することになるらしいですが、あの苦痛に満ちた通勤地獄が緩和されるだけでも、大いに価値ありです。

このやり方で実際に業績を上げた会社があるそうなので、これは掛け声だけでは終わらない。自分が先頭を切って走り始めるのは、からっきし苦手な日本人も、誰かがそれで得をしているとなると、節操がなかろうが手のひら返しと言われようが、全員が走り始めるもの。私も日本人ですから、その感覚は痛いほど分かります。

この記事でも指摘されているように、時間を切り売りすることが当たり前の人には、かなり厳しいことになるのは間違いないでしょう。それでも私は、旧来の仕組みよりも、はるかにいいと感じています。もしこれが10年前に実現されていたなら、ひょっとすると早期退職してフィリピンに移住する道は、選んでいなかったかも知れません。



2017年2月8日水曜日

定期預金の金利1.25%


半年前に投稿した、フィリピンの定期預金についての続編です。

我が家のメインバンク、フィリピン最大手銀行の一つ、メトロポリタン銀行。通称メトロバンク。私がメトロバンクのシライ支店にお金を預けているのは、前回書いた通り。なぜ半年経ってまた投稿しているかと、昨日が半年毎の満期日なので、銀行窓口に行って来たからです。

同じ金額を預けていても、日本の銀行ではあり得ないと思うほど、いつ行ってもフレンドリーな接客対応。日本では行員のいる場所とお客さんの待合いスペースは、完全に分離されているのが当たり前。ところがフィリピンの銀行は、まるで普通のオフィスのように、各マネージャーのデスクが、何の仕切りもなく並んでいます。

現金を受け渡しする窓口は二つだけあって、そこはさすがにカウンタースタイル。でも銀行内に占める面積は半分程度で、そちらを利用しているのは、見るからに「庶民」の人々。給料日翌日などには、すごい混雑になります。

どんなにカウンター側が混んでいても、オフィス風のエリアは別の空気に支配されているよう。つまりこちら側に座れるのは、高額な預金をしている「お金持ち」。100万円程度以上の預金があれば、こちらでは金持ちになってしまいます。整理券番号ではなく、最初から「おはようございます、ミスター○○」と呼ばれるのは、悪い気分ではないけれど、そんな扱いには4年経っても慣れません。

昨日の用件は満期を迎えた定期預金の継続。年に一度、必要な金額だけ普通預金に移していますが、今回はそれもなく利息の確認だけでした。相変わらずの金利1.25%。以前は、金利が7%もあって、日本からの退職金があれば、元本そのまま利息だけで生活できたそうです。

とは言っても、日本の銀行で定期預金の金利は、調べてみたら0.2%台。100万円預金して1年で2,000円というのは、ちょっと悲しい。それを思えば、100万円あれば半年で1万円以上なのですから、文句を言うとバチが当たりそうです。もっと金利の高い銀行もあるのですが、銀行が経営破綻した場合、保護されるのは50万ペソ(約110万円)だけなので、金利が高くても経営に不安があるところは、怖くて預けることができません。

さて、手続きが終わるのを待っている間は、顔なじみの行員さんとの雑談。この人、口座を開設した時からの担当で、家内のことも子供のこともよく知ってます。信じられないことに、こういう雑談で他のお客さんの噂が話題になることも。「この前来た日本人のお客さんは、来るたびに秘書が変わって、いつも怒鳴りつけてるんですよ〜、ははは...。」

「君、コンプライアンスって言葉知ってるか?」と突っ込みたくなりましたが、フィリピンでは当たり前の感覚なんでしょう。つまり変なことをすると、私も何を言われるか分かったものではありません。噂社会のフィリピンで、しかも狭いシライ市。銀行が噂を共有する、一種のサロンになっているようですね。




2017年2月6日月曜日

プロのライター


早いもので、このブログを書き始めてから、3年半が経とうとしています。当初は自宅建設のレポートが中心で、家が完成してからは、ネグロス島の生活やフィリピンの人々との交流、フィリピン視点で見た日本など、自分の興味が赴くままに書き散らしてきました。

とは言え、読者のことを意識していなかったわけではなく、フィリピンに多少なりとも関心のある人ならば、知りたいだろうと思うことは、できるだけ外さないように心掛けています。また、名文・美文を書くような筆力はないけれど、読みやすい文章になっているかどうかは、常にセルチェック。

最近では、フィリピンに渡航しようという方が、このブログを参考にしていることがあるようです。事実関係や数字に間違いがあると申し訳ないので、自分が直接見聞きしたこと以外は、現地のフィリピン人(主に家内)や、ネット上の複数の情報元での裏取りは必須の作業。それでも赤面ものの大誤報は、たまにやらかしますが。

今では一本の投稿につき、コンスタントに200〜300のアクセスを記録するようになり、中には500〜1000まで達するものも。有名人でもない個人ブログでは、そんなに悪くない数字。人気の投稿は投稿直後だけでなく、少しづつながらもずっとアクセス数が増え続けています。

アクセス数の多い過去の投稿
 フィリピン暮らしHow Much?
 フィリピンで家、建ててます
 フィリピンメイド雇用の実際
 マルコス時代の清算 ドゥテルテの戦争
 助けが必要なのは日本

こうして並べてみると、「生活費」「家」「メイド」がトップ3なのは、フィリピンで生活しようと考えている人が読んでくれているからでしょうね。移住前の自分が一番知りたかったことなので、当然と言えば当然。ドゥテルテ大統領ネタは、人気に便乗している側面もありますが、日本のメディアがあまり取り上げないような、独自視点の情報も盛り込んでいるので、それが受けたのかも知れません。

せっかくなので、少しぐらいお小遣い稼ぎでもしようかと思い、広告を出してみました。スズメの涙ほどでも、広告収入は出ていたのに、いざ受け取ろうとしてトラブル発生。手続きに必要なパスコードは、自宅に郵送されるはずが、何ヶ月経っても届かない。これはフィリピンの劣悪な郵便事情が原因。何しろ日本で投函した年賀状が、八月に届く国。紛失や盗難も多く、追加料金払ってEMS(国際スピード郵便)でも使わない限りダメでしょうね。

結局グーグルからは1円も貰えないまま、広告収入は諦めました。やっぱりプロのライターへの道は厳しいと思っていた矢先、たまたまネットで目にした、海外在住アマチュア・ライター募集のお知らせ。渡りに船という感じで応募してみたら、よほどフィリピンに住んでいる人からの反応が少なかったのか、あっさり採用になりました。

ということで、すでに何本か記事は仕上げて、ただいま執筆料の入金を待っています。給料日前のワクワク感は、本当に久しぶり。金額は大したことはなく、同じ時間を費やすならば、日本のコンビニでバイトした方が、はるかに実入りはいい。それでも、フィリピンの自宅で、趣味の延長のようなことで、お金(しかも日本円)が貰えるのは素晴らしい。ネット時代ならではの働き方と言えるかも知れません。

それにしても、書く内容自体はフィリピン暮らしの紹介なので、このブログと大差はないはずが、仕事で書くとかなりの努力が必要。タイトルや書き方など、ほんのちょっとした規制がかかるだけなのに、不思議なものですね。



2017年2月2日木曜日

ネグロス島の夜遊び

今日は、私の投稿にしては珍しく夜遊びスポットについての話題です。

このブログでは、いつも「ど田舎」と強調しているネグロス島。ものすごく辺鄙でサトウキビ畑以外は、何にもないという印象を、お持ちの方もおられるかも知れません。実際、シライ市内は三階建て以上のビルは数えるほどしかなく、ペンションハウス数軒とホテルはたった一つ。映画館も車のディーラーもありません。

ところが隣街バコロドは、さすが州都。いわば県庁所在地で、日本のイオン並みの大きなショッピングモールが2軒あって、トヨタ・ホンダ・日産・マツダなどのディーラーも揃っています。最近では、巨大なコンドミディアム(マンション)が何棟も建設中。

そんな活況を呈している街なので、ナイトライフの方もそれなりに賑わっています。私がアルコールがダメな体質なので、一人で出歩くことがなく、あまり詳しくないけれど、歌やバンドの生演奏が楽しめるバーやクラブは、割といい雰囲気の店があります。

他にもディスコや、日本と同じスタイルのボックス式のカラオケもある。フィリピン人とのカラオケは、盛り上がり方がすごい。元々歌ったり踊ったりが大好きで、歌唱力の平均の高さは驚くほど。10人集まれば、1〜2人はとんでもなく上手い人がいます。こんな状況で、タガログ語の歌が歌えれば、人気者になれること間違いなし。

さて、本家本元のフィリピンなので、フィリピンパブはどうでしょう? もちろんこちらで「フィリピン〜」という名称では呼びませんが、その手の店はあるようです。場所は市の中心部からやや外れの、ゴールデン・フィールドという場所。「あるようです」と書いたのは、実は私、バコロドのフィリピンパブには入ったことがありません。

フィリピンでは、バーファイン(一種の罰金)を支払えば、ホステスさんを連れ出せるバーやクラブが多い。店外デート、と言えば聞こえはいいですが、はっきり言うと売春行為。それが定着しているせいか、フィリピンで「ホステス」は、金銭で体を売る女性を意味します。

こんな近場だと、顔見知りに出会う確率も結構高くて、現にゴールデンフィールド近くにある大きなホテルは、家内の友達がオーナーだったりします。別にその気はなくても、夜間この界隈をうろつけば、どんな噂が立つか知れたものではない。君子ではない私も、危うきに近寄らずというわけです。

ところがこのゴールデン・フィールド、どうも最近は様子が変わってきました。私たちが移住した年に、すぐ隣に広いプール・リゾートがオープン。コテージ風の宿泊施設もあり、家族連れで遊びに来られる場所に。そして今は、新たなショッピングモール「シティ・モール」が建設中。そこで昼間、所用でバコロドに出かけたついでに、現状視察することにしました。


プールリゾートのカリビアン


建設中のシティ・モール

平日の真昼間なので、人影もまばら。それらしきバーやクラブもあることはありますが、なんだかショぼくて、「場末感」満載。ゴールデン・フィールドの中心の、昔からあるカジノ併設のホテルは健在でした。




ちなみに売春はフィリピンでも非合法。なにやら勘違いしている人もいるようですが、大ぴらに許されいるわけではありません。これは数十年前の日本と同じ経緯で、経済成長が続き市街地の再開発が進むと、昔からの歓楽街は追い出しがかかります。表向きは健全化して、非合法ビジネスは地下に潜るというパターン。

見た目だけでもネグロスのイメージが良くなるのは、永住者としては喜ぶべき事とはいえ、現実にたくさんいる貧困層の女性とその家族には、生き残るための選択肢が減っていくのも事実。変わっていくゴールデン・フィールドの街角に佇みながら、なんとも複雑な気持ちになりました。