2016年12月13日火曜日

助けが必要なのは日本


前回前々回と、続けて投稿した、フィリピン人のメイドさんに日本へ来てもらおうという話。念のために書きますが、これは仕事がなくて可哀想なフィリピン人に、お金持ちの日本人がお情けで雇用機会を提供する、ということではありません。

今助けが必要なのは、日本なのです。赤ちゃんが生まれても、頼れる身内が近くおらず、有料の保育園は満員で断られる。賃金は下がる。法外な残業をしないと生活できない理不尽な労働慣習は、当分改善されそうにない。

これから子供を作ろうというカップルは、こんな過酷な状況を目の当たりにして、最初から育児そのものを諦めてしまい、労働人口は減る一方。今40代、50代の年金生活予定者(つまり私の世代)にも死活問題です。海外から家事や育児、老人介護を支援してくれる労働者を受け入れる以外に、喫緊の問題を解決するウルトラC的方策があるなら、教えてほしい。少なくとも私には想像できません。

もう今でもかなり手遅れだと感じているのですが、もし私がフィリピン人で、海外に仕事を求めるのなら、言葉の壁が厚く、しかも低賃金で過剰な完璧さを求める日本など、最初から選択肢にすら入れないでしょう。日本に憧れるフィリピン人がいるのは、実態を知らないだけのこと。英語がそのまま使える、シンガポールや香港の方が働きやすいし、フィリピンからも近い。苦手な寒い冬だってありません。

そして専門知識や能力があるなら、アメリカやカナダを選びます。仕事の条件は厳しいかもしれないけど、それはプロに求められる、報酬の引き換えとしては当然の要求。日本独特の、理解不能の理不尽さはずっと少ない。

そもそも日本は、もはや裕福で幸せな国とはとても言えません。相対貧困率は6人に1人という、先進国ではかなり高い数字だし、名目GDP(国内総生産)ではアメリカの1/3以下、中国の半分にも及ばない。いじめと自殺という社会問題も解決の糸口が見えない。それなのに、いまだに1980年代のバブルの頃の幻想にしがみついている人が、どうも多いように思います。特に現在年金で生活をしている世代。

落ちぶれてしまった現実には目を閉ざし、プライドだけは高く、自分たちのやり方を押し付けるようでは、いずれ見向きもされなくなるでしょう。「雇ってやろう」の上から目線どころか、お願いして来てもらわないといけない立場であることを、いい加減に悟るべきです。

建築ラッシュに沸くマニラやセブを見て、どうせバブルだと冷笑的になっている場合ではない。日本の地方都市に蔓延する、シャッターが閉まったままの商店街と比べてみてほしい。ネグロス島ですら、州都バコロドの活気はすごい。さらにこの田舎町のシライに、大型ショッピングモールがオープンしようとしています。何よりもこの国は、子供や若い人たちで溢れかえっている。

私が日本での子育てに見切りをつけて、我が子の将来をフィリピンに託した理由は、こういうところにあるのです。


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