2015年4月28日火曜日

昔は金持ちやってんで

フィリピンの政治家と言えば金持ちと相場が決まっています。選挙の時の金のバラ撒き具合を見れば分かりますね。日本でも政治と金は切っても切れないけれど、こちらの場合、はるかにそれが露骨。

選挙資金のために各種の団体から集金する。政治献金自体は違法でもなんでもないですが、やはり尋常な方法では思ったようにいかないので、どうしてもやっちゃいけないことに手が出てしまう...というのなら分からなくはない。しかし、フィリピンでは外国人の目から見ていてもなんだか無法地帯のような気がします。

まず候補者の段階で「清貧」な人ってまずいないんじゃないでしょうか? シライ市内を見ても、市長や市議会議員の家って桁外れの豪邸ばかり。自家発電の設備があり停電の時に煌々と照明が点いているので、すぐ分かります。富を見せつけるのは当たり前の感覚。市長になってからではなく、元々金持ちで選挙に勝ってさらに金を増やす、ということらしい。

ところで、家内の母方のオフィレニア一族。そんな資産家はいないと思ってたら、祖父の代にはシライ市でも屈指の富豪だったことを最近知りました。自宅の税金を支払うための手続きで訪れたシライ市庁舎。その階段の踊り場に歴代市長の肖像画が飾ってあります。家内がその一つを指差して「この人は、私のお祖父さんのお兄さん」。つまり大伯父ですね。



へぇ〜。ということは昔は金持ちやったんや。その後知ったのですが、自宅の近所には「オフィレニア通り」という道があるのも、その名残。詳しくは分かりませんがやっぱり地主階級だったのでしょうか? 在任期間を見てみると太平洋戦争真っ只中。当時はシライにも旧日本軍が駐留していて、末期には上陸してくる米軍との間で激戦があったりして、相当苦労が多かったのでは、と想像します。

そんな人が親戚にいたんだ。そう思うと何となくオフィレニア市長に、息子が似ている気がしてきた。血縁はあるはずと言っても、ずいぶん遠いですけどね。

その後、一族は没落して義母つまり元市長の姪が子供の頃には、生活がかなり苦しかったそうです。今ではみんな頑張ったお陰で、中流レベルまで暮し向きが上がって、知る限りの親戚で貧乏している人はいなくなりました。

フィリピンでは、階級がほとんど固定していると思い込んでいましたが、身近にもそういう浮き沈みがあるんですね。


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