フィリピンの大統領の話題が、就任後これだけ経ってからも、ほとんど毎日のように日本で報道されるなんて、少なくとも私の知る限り初めてのこと。こちらでも本当に連日、各局ゴールデンタイムに相当な時間を割いて、大統領の動向を伝えています。家内によると、フィリピン国内ですら、異例の注目ぶり。
麻薬関連で殺害された容疑者は、もう2000人を超えたそうで、昨日のダバオでのテロも相まって、まさに戦争状態。実際このシライ市内でも、違法ドラッグの売人が、自首したとの話が伝わっています。...と書くと、フィリピン全土で緊張状態なのかと思わるかも知れませんが、表立って私たちの住む周辺は、まったく以前と変わりない日常が続いています。
ドゥテルテが進める麻薬撲滅のための「超法規的殺人」。ダバオ市長当時から彼の常套手段で、以前からフィリピン内外の人権団体から非難の的。今ではアメリカや国連からも横槍が入っています。フィリピン国内でのテレビ報道でも、ドゥテルテに対して批判的な見方が目立ちますが、どうもこれは、選挙中から続く反ドゥテルテ・キャンペーンの一環ということらしい。
理由はシンプルで、以前の大統領は、マスコミにお金を払って好意的な報道をさせていたのを、ドゥテルテが断固支払いを拒否したから。しかしマスコミが何と言っても、依然として新大統領は、90パーセントという高い国民の支持率をキープしています。なぜドゥテルテが、ここまで極端な政策を取らなければならなかったのか。そしてなぜ、国民はそれを熱狂的に支持するのか。少々話は飛躍しますが、私は1965年から20年続いたマルコス大統領時代の、負の遺産の清算ではないかと感じています。
マルコス全盛期に、政府自体が汚職の温床と化し、その影響は地方にまで及びました。当時、一体どれだけの額の公金が横領されたのか、未だに正確な数字は分からないほど。同時代のシンガポールのリー・クワンユーや、1980〜90年代のマレーシアのマハティールが、似たような長期の独裁的な政権下で、徹底的に汚職を排除。海外からの投資の呼び込みに成功し、国を発展させたのとは対照的。
その後、1986年にエドゥサ革命によって、マルコスは失脚しアメリカに亡命。今思えば、この時こそフィリピンにとって千載一遇のチャンスだった。ところが、次の大統領に就任したコラソン・アキノは、汚職で肥え太った側、コファンコ一族の出身だったのが災いして、結局目立った改革は、できませんでした。
それからも、日和見的なリーダーが続いた結果が現在の状況。慢性的な停電は解消されず、マニラを始めとする各都市部では、自動車の代替旅客手段が貧弱か皆無で、交通渋滞はひどい。台風などによる自然災害には対策らしい対策も打てず、毎年洪水や土砂崩れの被害が多発。麻薬に関しては、今更言うまでもないでしょう。
政府や地方自治体が、何かしようとしても、政治家や役人が寄ってたかって「中間搾取」をしてしまうので、いくら税金をつぎ込んでも、砂漠に放水してるようなもの。それもこれも、マルコス時代に罹患した「病気」から回復していないから。
ここまで悪化してしまったら、もう内科的対処療法ではどうにもならず、ドゥテルテがやっているような、患部を丸ごと摘出してしまう大掛かりな外科手術しかない。当然血は流れるし、激しい痛みも伴います。実際に、麻薬取引が激減した影響で、一部では好景気が陰り始めたという話も聞きます。
登場が30年ほど遅かった気もするドゥテルテですが、どうか暗殺されたりせず、周囲の雑音に惑わされたりすることなく、任期を全うして、この国からマルコスの亡霊を追い払ってほしいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿