今は無きテレビ時代劇「水戸黄門」。言うまでもなく、1969年(昭和44年)から2011年までの42年間、通算43シーズンもの長期に渡って放送された、一大長寿番組です。その一社提供スポンサーだった松下電器(現パナソニック)のブランド「ナショナル」を世に印象つけたのが、水戸黄門のオープニングに使われた歌「明るいナショナル」。
私が子供だった、昭和40年代というと、日本の家庭では、夜間の室内がそれほど明るくはなかった。四畳半か六畳の部屋に、せいぜい蛍光管が2本の照明が一つっきり。寝室の枕元や子供の勉強机に、手元用の電気スタンドを置くぐらいで、トイレや浴室は、電球が一個だった記憶があります。
ところが、その後、日本の家庭の照明事情は様変わり。特別に裕福な家ではなくても、蛍光灯と白熱球を組み合わせたり、メインとは別に間接照明を取り付けたり、灯りのバリエーションは豊かに。まさしく「明るいナショナル」の掛け声に合わせて、日本の夜はずいぶん明るくなりました。
その後、たまたま松下電器の社員になって、世界中の照明事情を見て回って気づいたのは、こんなに部屋の中を煌々と照らすのが当たり前なのは、ひょっとすると日本だけなんじゃないかということ。
特にアメリカやヨーロッパなどでは、私の感覚からすると驚くほどに暗い。話を聞いてみると、あんまり明るくしてしまうと、まるでオフィスにいるみたいでリラックスできない、とのこと。それとやっぱり、青や緑、グレーなど、瞳の色が明るいと、光をより敏感に感じるようです。やたらとサングラスを掛けるのは、必ずしもファッションだけじゃないんですね。
現地調査では、各家庭で、一番落ちつく明るさまで、照明を落としてくださいと頼んだら、大抵の人は、停電でロウソクを灯した?と思ってしまうような暗さ。こんなに違うものかと、驚いたものです。蛍光灯の白より、白熱灯の暖かい色を好むのも、日本との相違点。
そして移住したフィリピン。
さすがに瞳の色も日本人と似通った人々が多く住む国。欧米の家庭よりは、日本に近いものの、やっぱりやや暗く感じます。まぁネグロスでは、本物の停電が頻発して、嫌でもロウソクに頼るケースが多いですが。
良くも悪くも、日本の明るさに慣れてしまった私なので、自宅には、地元の人からすれば、少しやり過ぎなくらいに、いっぱい照明器具を設置。もちろん常時一斉点灯ではなく、食事中と、食後のリラックス時などでは、明るさや光の色を変えられるようにしています。
また、どうしても薄暗い=貧乏臭い、と感じてしまうこともあり、キッチンの流し周辺や、集中して作業をすることの多い、自分の書斎では、それこそオフィス並みの光度。特に50代になってからは、視力も衰えたようで、余計に明るさが必要になってしまいました。
ということで、もしこれからフィリピンに家を建てるという方がおられたら、ライティングのプランは、よく練った方がいいですよ。フィリピンの建築家に丸投げすると、出来てからずいぶん暗いし、照明の数を増やそうにも電源が足りない、なんてことになるかも知れません。
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