2018年8月9日木曜日

1000回目の「ネグロス島永住日記」


2013年の10月31日から書き始めた当ブログ。この投稿が通算1000回目。まぁ、よく続いたものですね。1000回と言えば、毎日書いても3年がかり。平均すると2日に1回で、約5年で1000回到達。

私たち家族が、ここネグロス島のシライに引っ越したのは2013年の4月。すでに、その10年ほど前に自宅建設用の土地は購入済みだったし、日本人建築家に依頼した設計図まで出来てました。本当はすぐにでも着工したかったところ。

しかし何事も、予定通りには進まないのがフィリピン。シライ市の建設関連部門に勤務の義弟に頼んでいた、現地役所への申請用図面の手配や、大工さん集めが全然進まない。「やるやる詐欺」状態で数ヶ月が経過。さすがの家内もブチッと切れて、自分たちで動き始めたのが、8月あたり。

まぁ、最初の頃は私のビザや子供の学校手続きなど、いろいろと忙しかったので、義弟が段取りよくやってくれても、そんなにすぐ建設開始、とはならなかったでしょうけど。

なんだかんだで、建築許可が下りて、信頼できそうな大工さんが集まったのが10月。ようやく見通しが立って思いついたのが、備忘記録も兼ねてのブログ投稿。「永住日記」などと大それたタイトル付けてますが、本来は「マイホーム建設日記」とでもするべきもの。

最初の方の投稿は、こんな感じ。

ネグロス島 移住半年が過ぎました。
フィリピンで家、建ててます
これがフィリピンスタイル

と、平和に始まったはずの工事が、いきなり暗転して、スーパー台風ヨランダの来襲。

台風襲来前夜
ようやく電気、ネットが復旧
工事再開初日

しかし、その後は(フィリピンにしては)順調に推移して、翌2014年の1月末には上棟式
内装がほぼできた4月に、完成を待たずに引っ越し。(フィリピンではよくある話)そして、6月にめでたく竣工。そこでお終いにすることもできましたが、この時点で8ヶ月も続いていたブログ。そこそこ読んでいただいている方もいるようだし、私自身が面白くなってきました。

そこからが言ってみれば、このブログの本番。近所で活動する日本のNGOに喧嘩を売ったり、家内がメイドがクビにしちゃったり。やがて身の回りのネタが尽きてきたので、「奥さまはフィリピーナ...か?」と題した10回シリーズで、私とフィリピンとの出会いを延々と投稿。

最近では、「日本・フィリピン交流史」なんて、9回シリーズの歴史物にも挑戦。これは反響が大きくて、私自身もずいぶん勉強になりました。

そして現在も連載(?)が続く、「私的フィリピン美女図鑑」。フィリピン美女の似顔絵イラストを描いているわけなんですが、毎回期待している読者もおられて、止めるに止められない。(もちろん私も楽しんでおります。)

この頃は、一種のエンターテイメントだと思って書いていて、硬いのやら柔らかいのやら、織り交ぜております。当初は敢えて避けていた、政治・宗教・歴史関係もガンガン投稿。今では「ネグロス島」でググれば、だいたい最初のページに表示されます。

何より、これを書いてて良かったのは、はるばるマニラや日本から、ブログの読者が会いに来てくれること。それも同年代の方だけでなく、性別や年齢もさまざま。二十代の若い女性が多いのも嬉しい限り。

ということで、まだしばらくは続きそうな「ネグロス島永住日記」。次の1000回までやってるかどうかは私にも分かりませんが、引き続きのご愛読を、よろしくお願いしますね。


2 件のコメント:

  1. 1000回おめでとうございます。

    私がこちらのブログを拝読し始めたのは、バコロド赴任が決まった2年半前でした。
    上司の「2016年9月を目途に、君はフィリピンのバコロドへ赴任してもらう。今の内からバコロドについて調べておくように。」の言葉に驚き、少し途方に暮れたことがありました。
    ルソン島、セブ島、ミンダナオ島はわかりますが、ネグロス島はつゆ知らず、ましてバコロド市なんぞ聞いたこともありませんでした。
    社内にはそもそもフィリピンに詳しい人もいなく、本当に手探りの状態から準備を始めました。
    そんな中、運よくこの『ネグロス島永住日記』を見つけ、拝読し、このブログに書かれていたことで何度も助けてもらいました。

    ありがとうございます。

    次は1500回?いや、2000回記念ですね。

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    1. ありがとうございます。
      日本語でのあまりの情報量の少なさのためか、ネグロスやバコロドに行くことになって、このブログを探し当てる人は、結構いらっしゃるようですね。最近では、多少の責任も感じるようになってきまして、できるだけ正確な記述に努めていきたいと思います。

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