2022年9月27日火曜日

新任メイドは、家庭教師の母

 長らくこのブログで引っ張って、ほぼ「ネタ」化した、我が家のメイド探し。前任のライラおばさんが最後に出勤したのが8月の初めだったので、かれこれ2ヶ月近い空白。一度は決まったかと思った、ライラから紹介のギンギンは、結局一度も姿を見せず、回り々って落ち着いた先が、意外にも私の家庭教師、バンビとエイプリルの身内。

ギンギンが来ないとなって、最後に残った人脈のバンビ。再依頼にも嫌な顔せずに引き受けてくれたのは、多分当てがあったからでしょうね。紹介してくれたのが実のお姉さんのグレイス。バンビとエイプリルは叔母・姪なので、つまりエイプリルの母ちゃんというわけです。

元々、バンビが私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師になってくれたのは、バンビ家族が家内の元お隣さんだったから。そのバンビの姉なので家内は顔見知り。ただ、もう40年ぐらい前の話で、当時はまだグレイスは子供。家内のことはあまり覚えてないそうです。

さて、その後かなり苦労したという、今は50歳のグレイス。まずミュージシャンだったお父さんが酒浸り。さらにフィリピンあるあるの沢山の兄弟姉妹なので、当然のように家計は逼迫し、グレイスは、おそらくエイプリルを出産した直後ぐらいに、OFW(海外フィリピン労働者)として、サウジアラビア、シリア、トルコなので家政婦として働いたそうです。

ちなみに、最近事実上の離婚をしたエイプリルと同様、グレイスもシングルマザー。どうもバンビの一族の女性は、男運がない人が多いらしい。そう言えばライラもシングルマザーだったなぁ。

ライラもOFW経験者ながら、クエートで2年のみ。まぁそれでも大変だったろうとは思いますが、3カ国で10年も働いて、娘を始め、家族を支援し続けたのには、頭が下がります。そんなすごい経歴なので、家から通える場所でのメイド業なんて、やる気にさえなれば、決して難しくはないでしょう。

それでもエイプリルによると、初出勤前夜にずいぶん張り切って、ユニフォーム(?)のアイロン当てに余念がなかったとのこと。メイドのユニフォームと言っても、日本のメイド喫茶みたいのじゃないですよ。メイドだけじゃなく、マッサージ・セラピストでもあるグレイス。マッサージの時の作業着、ちょっと作務衣っぽい服を持ってます。

そしてやって来たのが、週明け月曜日の朝。8時の約束が、よほど気合が入っていたのか、1時間早く7時には出勤。床面積が約150平米の母家を、あっという間に掃除完了。つい先週に自分で大掃除をした台所を除くと、2ヶ月近く放置に近い状況だったのに、手際の良いことこの上なし。さすがOFW歴10年の大ベテラン。

ただし本人も白旗上げてる通り、料理は全然ダメ。昼・夜と私の料理アシスタントをやってもらいましたが、野菜を切るぐらいは大丈夫でも、ソーセージ炒めてもらったら、焦がされてしまった。得手不得手があるのは仕方がないか。

それ以外には、飼い犬ゴマの世話。幸いゴマはグレイスを気に入ったようで、特に吠えたりもせず、初対面から、いきなりの懐きよう。早速散歩にも連れていってもらいました。

ということで、予想以上の出来だった勤務初日。毎日じゃなくて週3回ですが、これぐらい集中してやってくれれば、それで十分。ようやく日常の生活リズムが復旧した感じです。やれやれ。


2022年9月26日月曜日

ひろゆき氏について

 今日のネタは、フィリピンとはあまり関係のない人のお話。

最近流行りの呼び方を使うと、日本を代表する「インフルエンサー」の一人である「ひろゆき」こと、西村博之氏。インターネット普及期に、良くも悪くも有名になった「2ちゃんねる」の創設者であることは、よく知られています。

現在はフランス・パリに拠点を移し実業家として活動する傍ら、ツイッターやユーチューブを通じて、一種の社会評論家としても広く認知され、ツイートする度に、マスコミがネット記事にするほどの人気ぶり。特に安倍元首相暗殺事件以降は、徹底した旧統一教会批判。以前から注目はしていた私ですが、ここ数ヶ月は、相当なひろゆき贔屓となっています。

ものの言い方が皮肉っぽくて煽り気味なので、毛嫌いする人も多いでしょうし、時には説明不足で理論が飛躍してると感じることもありますが、基本、言ってることは至ってマトモ。これはウクライナ戦争にしても、日本の政治に関することも、結構納得してしまう言説が多い。

面白いのは、もう一人私が支持している、明石市長の泉さんとも直接のやりとりをしているところ。両者ともやや過激な語り口ながら、直球の正論をベースにブレない点で、共感するからでしょうか。

さて、なぜ急にひろゆき氏の話を始めたかと言うと、日本から離れていて日本国内のことを知ろうとすると、ひろゆき氏や泉市長、あるいはホリエンモン、西野亮廣さん(お笑い芸人キングコング)のような、時事を独自の視点で語れる人の存在が、欠かせないと思うから。

20〜15年ほど昔なら、NHK、朝日、読売、毎日などの大手の報道機関は、それなりの権威があって、キチンと権力批判をしていたものでした。ところが、ちょうど私がフィリピンに移住した辺り、第二次安倍政権の発足以降、これらのマスメディアの腰が、軒並み抜けてしまい、伝えるべきことを伝えず、政府広報組織に成り果ててしまった。

特に強制的に料金を徴収しているNHKが、時の総理大臣や内閣に都合に悪いと、国会中継さえスキップするし、直近での統一教会への腰の引けようは、目を覆わんばかり。もし私がまだ日本にいたなら、手持ちのテレビを売っぱらっても、断固として視聴料未払いを貫いただろうと思うぐらい。

おそらく40代以下の若い世代は、情報をテレビ・新聞だけに頼ってる人の方が少数派でしょう。実際、朝日新聞の発行部数の凋落ぶりは、身から出た錆以外の何物でもない。

これは、言下に反論する人が山のようにいそうですが、ここ数ヶ月ほどのひろゆき氏の存在感って、かつて田中角栄元首相を辞任・逮捕にまで追い込んだジャーナリスト、立花隆さんに匹敵するんじゃないかと感じてます。

もちろん、超人的な広さの知識、深い洞察力、鋭い知性など、立花さんには遠く及ばないとしても、誰に忖度することもない自由な態度と、何よりツイッターでのフォロワー200万人という影響力はすごい。同時代の人々へのインパクトという点では、ひろゆき氏の一連のツイートは、立花さんが膨大な時間と労力で放った一冊の著作と、十分比肩するんじゃないでしょうか。

ということで、たとえ海外に住んでいたとしても、というより、日本に住所がないからこそ、過去の遺産にしがみく古い体質のマスメディアのみに依存して、狭く歪んだ視野を持ってしまうリスクを、日々感じている次第です。


2022年9月25日日曜日

地図を使ってくれ、ネグロス中央電力

 世界中の地図事情に精通するほど、あちこちに住んでわけでもなく、日本とフィリピン以外で最低でも合計1ヶ月以上滞在したのは、アメリカとマレーシアぐらい。中国も仕事でそこそこ行きましたが、全日程で運転手付きの社用車という、今では想像できないような重役待遇で、自分で移動したりすることがほぼなし。今思えば、中国でのビジネスが一番儲かっていた時期だからでしょう。

そう考えると、せいぜい4カ国だけの経験ながら、地図を読むのも描くのも、日本人が一番慣れてるんじゃないかと思います。考えてみれば、駅前の小さな書店でも、世界地図からロードマップに至るまで、かなりの品揃え。最近はスマホで地図見る方が便利だから、多少は減ったんでしょうか?

出先で誰かに道を尋ねたら、手持ちのメモ用紙さえあれば、簡単な地図を描いて説明する人も多い。ところがアメリカの場合、大抵が口頭だけで教えてくれる。「ここから〇〇ブロックまっすぐ歩いて、その右を曲がり、△△の橋を渡って...」という感じ。時には説明が長すぎて、最初の方を覚えられなかったり。親切なのは大いに有難いんですけどね。

ニューヨークのマンハッタン島内のように、街並みが碁盤の目だったら、それで何とかなっても、車移動が必須のロサンゼルスでは距離感が分からず、教えてもらってからがドツボにハマる、なんて事も。

それに比べると、ここフィリピン・ネグロス島では、家具や大物の家電を購入した際、配達場所の住所だけでなく、地図を描いてくれと言われる。なぜか呼び名が「マップ」ではなく「スケッチ」ですが、多少は地図を使う習慣があるようです。

自宅建設中だった頃には、あちこちの建材屋さんで同じ事訊かれて、面倒になってパソコンで地図描いて、たくさんプリントアウトしたりもしてました。

ところが同じネグロスでも、頑ななまでに地図を使わないのが、セネコ(CENECO)ことネグロス中央電力。実はこの投稿を書いている今日、日曜日もあった計画停電。短くて1〜2時間、長い時には6〜12時間も電気を停めてくれるので、いつどこで停電があるかは、重要な情報。

ここ最近は、フェイスブックのホームページに、数日前には計画停電のお知らせが掲示。ところが、どういうわけか、絶対に地図で示すことはせず、ひたすら地名やバランガイ(フィリピンの最小行政単位)名のみを羅列。それも何十個も並べるもんだから、自宅や勤め先があるかどうか探すのに一苦労。


老眼には厳しいセネコの掲示

我が家があるのは第5バランガイで、一通り見ても無さそう。でも、近隣の地名がだいたいあって、おかしいなと思って見直したら、最後の方に「その他シライの主要部分」って...そういうことは最初に書けよ。

こんなの、バランガイ区分図に色分けして図示したら、一発で分かるのにと思うのは、私が日本人だからでしょうか? 確かに、州都バコロドの大手ショッピングモール内に数軒しかない書店には、一枚物の大雑把なのを除くと、フィリピン国内を網羅した詳細地図って置いてるのを見た覚えがないし、ましてやネグロス島内やシライ市内となると、そもそも存在するのかどうかさえ疑問。

つまり、仮にセネコが地図で説明しても、自分の住んでる場所が地図上のどこか、イマイチ分かってない人の方が多いのかも? 気になって、高校生の息子に訊いてみると、地元の地図をベースに郷土の地理や歴史を学ぶこと自体、やってないらしい。

ちなみに私のいた兵庫県尼崎市の場合、約半世紀も前ながら、わざわざ小学校がバス仕立てて、社会見学と称した市内観光やりましたよ。市庁舎から始まって、ジェーン台風(昭和27年 / 1952年)の高潮被害後にできた尼崎港の防潮堤とか、北部にある弥生時代の田能遺跡とか。

ということで、日本の学校教育には、根本的な部分で否定的な私ですが、読み書き算盤(現代では暗算力)以外でも、基礎学習が社会全体の効率化に役立つもんだなぁと、感心しております。


2022年9月21日水曜日

還暦祝いの準備着々

 このブログで、すでに何度も触れている私の還暦。ざっと3ヶ月ぐらい前から、いろいろと準備し始めて、とうとう残り十日となりました。

いい歳をして(本当に!)、自分の誕生日を騒ぎ立てるなんて、日本人的な感覚からすると相当恥ずかしいことなのは分かっておりますが、幸か不幸か、ここはフィリピン・ネグロス島。クリスマスとバースディは、お祭り騒ぎするのが国民性と言っていいぐらいな場所。

9月に入ると、テレビの報道番組ですら「クリスマスまで〇〇日」とカウントダウンが始まるのは例年通り。今年はようやくコロナ禍が鎮静の兆しを見せて、街中に普通に人が出歩くようになったし、学校の再開も本格化。「もう幾つ寝ると...」と子供っぽいはしゃぎ方をする気持ちも、分かります。

さて、3ヶ月前からと書きましたが、具体的なアクションは会場の予約。まるで結婚式かという勢いで、4月に義妹ジーナの50歳の誕生日を祝ったのと同じ場所を押さえました。(義妹の誕生日にボルテスVを歌う

実はその場所というのが、はるか四半世紀前、私が家内と両親の前で「お嬢さんをください」をやったレストラン。ネグロス島シライ市内では、老舗にして最大の規模を誇るゴールデン・フードパークという名の郷土料理のお店。聞くところによると、私が生まれる前から営業しているらしい。

数年前までは、還暦祝いをするなら、隣街の州都バコロドのホテルでボール・ルームでも借りるかと、漠然と考えてました。ところが今年にオープンしたのが、フードパーク内の宴会スペース。規模はそこそこながら、それなりに綺麗で近いし料金も手頃。これならジーナのパーティスタイルを、丸パクリしてやろうと思った次第。

場所が決まると家内の動きは迅速。早速招待客のリストアップに、会場飾り付けのデコレーター業者へ連絡。「料理はこれとこれで...。」「やっぱりレッチョン・バボイ(豚の丸焼き)は注文する?」などなどと段取りの良いことこの上なし。そう言えば、私たちの結婚式も、家内に丸投げにしたけれど、フィリピン離れた計画的なマネージメントでしたね。

そしてこの2週間ほどで私がまとめたのが、パーティのプログラム。プロを雇う選択肢もありますが、家内の親戚にはいろんなタレントの持ち主がいます。まず司会は、親族で一番の外交家で、英語もフィリピン語も饒舌な従弟のパウロ君。最後の私のミニ・コンサートでダンスをお願いしたのは、プロ・ダンサーの、これまた従妹のサラ・ジェーン。

大きくは三部構成として、第一部はスライドショーによる私のライフ・ヒストリー。有難いことに、写真だけは母が大量に残してくれたので、ネグロスにまで持ってきたアルバムから、スマホでパソコンに取り込み作業。これをプロジェクターで投影しながら、パウロと掛け合いでプレゼンする手筈。

第二部は、同じくスライドショーで、私が移住後に描き溜めた「フィリピン美女図鑑」のイラストを紹介するデジタル・ギャラリー。フィリピンの有名女優や親戚・友人のポートレイトを中心に、約30枚を選びました。

最後の第三部が、前述のコンサート。5曲歌う予定ですが、所詮は素人ののど自慢レベル。なので、お客さんを退屈させないように、ダンサーの協力を仰いだわけです。他には、家庭教師のバンビのギター、エイプリルのキーボード伴奏も。この二人、本人以上にわくわくしてます。

ということで、ここまで書いた文章を読み返してみると、我ながらの「嬉しがり」ぶり。まぁ、そうそうある事でもないし、たまには、こういうのも良いですよね。


赤いちゃんちゃんこの代わりに
用意した衣装


2022年9月20日火曜日

振り出しに戻ったメイドさん探し

ちょっと 嫌な予感はしてたんですが、それが的中してしまいました。先週、我が家に来てくれるはずで待ちぼうけを食らった新しいメイドさん。翌週月曜日になっても梨の礫なので、紹介者にして前任のライラおばさんの家に行ってみたら、ライラにも連絡がないとのこと。

気が変わってやる気が失せたか、それともやっぱり、ワクチン打ってゾンビになるのが怖かったのか(フィリピンに流布されたワクチン・デマ)。それならそうと、連絡してくれよ。こっちは当てにして2週間以上も待ってるのに。

以前に4日働いて辞めちゃった若いメイドさんがいたし、もっと短くて、1日来てそれっきりという人も。これは、土日休みだったライラの代わりで、週末限定でライラの姪っ子に頼んだ時のお話。その上を行く就業0日っていうのは新記録。

さてこうなると、メイド紹介所がないネグロス島のシライ市。引き続きライラの伝手を頼んで、別の知り合いとか親戚に当たってもらうことになりました。さらに他のコネは、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師のバンビとエイプリル。

実は、なぜかこの二人がメイド探しにはとても協力的。僻地や経済的に問題がある児童のために、自宅まで出張授業をしている、教師にして教育省の職員であるバンビ。生徒のお母さんの何人かに、心当たりがあるらしい。前回はライラ経由の候補が先に見つかったので、そちらはゴメンなさいになりましたが、求人再開と連絡したらすぐに「探してみま〜す」と返事。

セクシーな家庭教師」こと、エイプリルに至っては「私がやりたいなぁ」と言ってるし。もちろんジョークなんですが、諸般の事情で、最近シングルマザーになったエイプリルは、ただいま就活中。24時間住み込みじゃなくても、週に3日とか、午前中か午後だけのフレックス勤務もOKだと伝えているので、家庭教師 兼 メイドも、ひょっとすると有りかも。

そしてどこまで本気なのは分からないけれど、バンビは家族・親戚に情報拡散しているらしく、バンビと同居している彼氏マイケルが「男はダメですか?」と訊いたとか、エイプリルの母ちゃんが考え中だとか。

その他に頼ろうとしたのが、最近ライラと友達付き合いしていた、家内の高校の同級生にして我が家の筋向かいの隣人ナンシー。ところが困ったことに、田舎のパタッグ(シライ市東部の山間部)に引っこんじゃったらしく、その隣のメイドさんに留守宅を任せて本人の姿が見えません。

ちなみに、ナンシーの隣人宅は、オーナーがアメリカ人。コロナ禍前に3階建ての豪邸を建てたのに、本人たちはアメリカ在住のまま、メイドさん家族に住まわせているという、お金持ち。そのメイドさんとナンシー、ライラが仲良くなって、バースディパーティとか一緒にやってましたね。

ではナンシーがいないなら、いっそのこと友達の友達つながりで、隣のメイドさんにも頼んでみるか? ここまで行くと、ヤケクソっぽいかも。

ということで、相変わらず5時半起きの弁当作りや掃除と洗濯は、もうしばらく続けないといけないようです。




2022年9月18日日曜日

世界的異常気象

 ここ数年、特に今年は、ネットでもテレビでも異常気象のニュースに接する頻度が、それこそ異常に高くなってます。夏場の熱波で森林火災が多発するとか、それまでは雨が少なかったはずの地域で、多くの死者を出すほどの大洪水。その逆の渇水で、ダムに沈んだ集落が姿を現した...等々。

日本の場合、7〜8月の酷暑ぶりは、もう20年ぐらい前から顕著になったように思います。私が子供だった1970〜80年代の大阪では、いくら暑くても33度。せいぜい35度までだったように記憶しています。いつ頃からか、夜間も25度を下回らない「熱帯夜」という言葉が定着し、以前は「熱射病」だった呼び名が「熱中症」に変わりました。

最近では、都心なら最高気温が40度はそれほど珍しくもないし、台風は強力になって迷走するパターンが増えました。そしてアメリカ軍が定義した、平均の最大風速が秒速67メートルの「スーパー台風」。私がフィリピンに移住した2013年、フィリピン中部に壊滅的な被害を出した、スーパー台風・ヨランダが襲来。

このブログを書いている今現在も、第二室戸台風とか伊勢湾台風の再来かと言われるほど、猛烈な14号台風が、まさに九州南部に上陸しようというタイミング。こんな時に書く内容ではないかもしれませんが、刻一刻と変化する気象状況が、詳細に報道されるのは、さすが日本の気象庁。これがヨランダ、あるいは昨年末のオデット時にあったら、あれほどの死傷者は出さずに済んだことでしょう。

それはさて置き、ここ数年の出来事って、1970年代末頃のオイルショックに伴う不況時に流行った、世紀末予測に当てはまるような内容ばかり。五島勉氏の「ノストラダムスの大予言」を彷彿とさせる、異常気象に大地震、原発事故や疫病の大流行、止めを刺すように大国での独裁者台頭と欧州での戦争勃発。

起こってないのは核戦争だけですが、それもウクライナの情勢次第では、あり得なくはない。まったく、予言が当たったと言いたくなるような時代。ちなみに「異常気象」という言葉が、最初に日本のマスコミで取り上げられたのが、同じく70年代だったと思います。当時はスキー場の雪不足など、主に「暖冬」を指してましたね。

さて、ここフィリピンでの異常気象ですが、確かに私たち家族がネグロスに移住してきた10年前に比べると、雨が多くなった印象はあるものの、意外と実感がありません。洪水と台風被害に関しては、ずっと昔からそうだし、元々年中暑いし。むしろ大阪や東京の夏場に比べれば、田舎のネグロスは緑が多いので、凌ぎやすいぐらい。

さらには、本来フィリピンに来るはずの台風が、全部...とまでは言わないにしても、やたら日本に向かっている印象。ネットで見ている限り、今夏以降の日本は、熱波と大雨に交互に襲われているようにすら見えます。

赤道直下に近い熱帯気候の場所って、降ったり照ったりが極端なので、さぞや異常気象の影響も大きいと思いきや、意外にも中〜高緯度地方よりも気候が安定しているのかも知れません。考えてみれば、昨今の日本で言われる「ゲリラ豪雨」なんて、ここネグロスでは頻繁に起りますからねぇ。大阪でのゲリラ豪雨を撮影したYouTube動画を見た時には「まるでネグロスやんか」と思ってしまったぐらい。


2013年に撮影された
大阪府枚方市でのゲリラ豪雨
ということで最近も私は、四季のある日本の気候が素晴らしいと書かれた記事を読んでも、夏は死ぬほど暑くて、春は花粉症、最初から寒い冬は嫌いなので、どこが素晴らしいんだとツッコミを入れてしまう、嫌ぁなジジイと化しております。


2022年9月17日土曜日

新任メイドさん未だ来らず

 案の定、約束の日になっても姿を見せなかった、新しいメイドさん。今までの経緯は、こちら(新しいメイドさんが見つかりました)を読んでいただくとして、前任のライラおばさんが、後任の通称ギンギンを紹介しに来た時には、ワクチン接種がまだなので、仕事は9月15日(木)からになりますって、はっきり言ったんですけどねぇ。

まぁこの手の、来ると言った日時に来ない、連絡もないのは、フィリピンあるある過ぎて、今更驚きもしませんが、当てにしてた掃除や弁当の配達などなど。家内と分担はしているものの、一応主夫やってる身としては、かなり気落ちしているのが正直なところ。

考えられる理由は三つ。

1)何かの事情でワクチン接種ができていない。
2)どうせ土日は休みだから、月曜からにしよう。
3)やっぱり気が変わって仕事はしない。

私の予想では、おそらく2)の線が一番濃厚なので、取り敢えず週明けまで待ってみます。それでも来なければ、自宅から徒歩30分ぐらいのライラの家まで行って「どないなってますの?」と問いただし、それで埒が開かなければ、また一からメイドさん探しに。何だか疲れてきた。

それにしても、もしこのブログを、日本で働きながらワンオペ家事・育児をしている人が読んだら、何を甘えたことをほざいてるのかと一喝されそう。もちろん、やってできない事は全然ないし、実際に文句垂れつつ、この1ヶ月ぐらいは普通に生活しております。

ただ以前にも投稿した通り、このブログ、ボイストレーニングにイラスト描き、筋トレ・サイクリングと、趣味満載の老後。そもそも、そんな暮らしを夢見てのフィリピン・ネグロス島への移住だったので、これはやっぱり違うんですよね。

また、ネグロス島だからこそ建てた、分不相応な広い家。メイドさんを雇うこと前提なので、日々の掃除がとっても面倒。庭なんて、ずいぶんと雑草が蔓延ってきました。

その中でも、何が堪えるかと言うと、朝5時半起きの弁当作り。8月から再開して、今のところ週3日の対面と2日のオンライン授業の、高校生の息子。そのうち2日は弁当を持たせてるんですが、家を出るのが7時前。

ライラがいた時には10時過ぎに作って、昼前に配達してもらったので、傷む心配もなく、前夜の残り物を電子レンジでチンもできたのに。始業時間が8時の家内だけなら、もう1時間は遅くできるんですけど。

それなら早寝早起きの生活ができて良さそうなもの。ところが、移住後に長らく定着した、夜12時過ぎに寝て、朝8時に起きる習慣を改めるのは、なかなか難しい。朝早かったからと、11時前に就寝したら、2時頃に悪夢にうなされて目が覚めてしまう。それも、学生時代の試験に遅刻するとか、日本で働いてた頃の仕事でピンチとか。目覚めてぐったり疲れてしまうような、身体に悪ぅ〜い夢ばかり。

結局寝不足のまま翌朝となって、弁当作って朝食済ませて二度寝。それも2〜3時間、首を寝違えてしまうほどの熟睡。なので、起きたら午前中は終わってて、すぐに昼食の支度になってしまいます。年齢的なものもあるでしょうねぇ。

ということで、雨季のネグロス島にしては、珍しく朝から秋晴れのような土曜日の今日。家内と一致団結して、洗濯機3回分の一週間溜まった洗濯物をせっせと片付けております。月曜日は、メイドさんが来ても来なくても、台所の大掃除決行だ!



2022年9月12日月曜日

「自己責任」が国を滅ぼす

 以前から「自己責任」という言葉が大嫌いでした。最初に公の場で使われたのが、2004年に自衛隊がイラクに派遣されていた時に発生した、日本人ジャーナリスト3人の拉致事件に関して、当時の小泉純一郎首相による発言とのこと。

今、改めて調べてみると、人質になった人物が、日本政府は、自分達のために自衛隊を撤退させるべきだったとして、解放後に訴訟を起こしてたんですね。こんな経緯ならば「自己責任」との発言につながったのも、分からなくはありません。

ただその後、言葉だけが一人歩きして、ビジネスに失敗したり、不摂生が原因で病気になったケースに対してまで、自己責任だ、自業自得だと、一切の救済を認めないような風潮になったのは、どう考えても行き過ぎだと思います。

フィリピン移住に際しても、「自己責任」は呪いのように降り掛かってきました。見込み違いだったり、予期せぬ不運があって困窮邦人となり、在マニラの日本大使館に駆け込んで、帰国の航空チケット代金の借用を求めても「自己責任」だからと門前払い。

家内の日本への入国ビザ申請時に、実際にそういう人たちを目の当たりにして、フィリピン移住への心理的障壁が、一気に高くなったものです。

戦前のブラジルやハワイへの移民時代から、日本政府は国を出た同胞を顧みない「棄民」を旨とすると批判されたそうですが、「自己責任」が流行語になって、錦の御旗を得たようなものだったんでしょうね。

仮にフィリピーナの尻を追いかけて、すべてを無くした人だったとしても、日本政府を代表する役人が、助けを求めて来た同国人を見捨てちゃだめでしょう。自分の意志で酒を飲み続けたからと言って、それが原因で運ばれた急患の治療を、拒否するようなものです。

こうした「理由」や「経緯」に対する感情によって対応に違いが出るのは、一般人同士の関係ならば仕方ないでしょうけど、行政機関が国民に対してやるのは、筋違いも甚だしい。典型的なのが生活保護で、ただでさえ申請する側はプライドを傷つけられるのに、追い討ちのように根掘り葉掘り尋問されて、やっと受給できても、あれダメこれダメと、生活に制限がかかるらしい。

こんな担当者の匙加減で、いくらでも恣意的になれるようなしくみは、制度設計自体が間違ってるとしか思えません。外国のシステムが全部良いとは言いませんが、コロナ禍が始まった2年前に、アメリカやドイツでの生活支援の現金支給の際には、一定の書類さえ揃えば、申請者が日本人であっても、速やかに銀行口座に所定金額が振り込まれたそうです。

こういう話をすると、「中国人ガー」な連中が、外国人による不正受給のリスクを喚き立てる。確かにそういうケースもあるでしょうけど、そっちに神経質になり過ぎて、本当に助けを必要としている人の捕捉率がたったの20%ってのは、どう考えても本末転倒。審査を厳しくすると、本当は資格があっても諦めてしまい、逆に準備万端で不正狙いの割合が増えるなんて話も聞きます。

 人間がやることなんだから、間違いゼロや不正ゼロは無理。そんな完璧さを追い求めるのではなく、とにかく溺れてる人を、出来るだけ多く助けるのが、正しい税金の使い方だと思うんですけどねぇ。

その壁をぶち破っているのが、明石市長の泉房穂さん。有名なのが、所得制限なしの子供への医療や学校給食の無償化。本人の弁によると、これらの政策は泉さんの独創ではないそうですが、多数の反対派を抑えて実現させた手腕はお見事。

とにかく今の日本に必要なのは、セーフティネットの拡充だと思います。新しい仕事や生活にチャレンジして運悪く失敗しても、自分や家族だけは何とか生活していける。これだけでも、国の活力はずいぶんと回復すると思うんですよね。「自己責任」言い過ぎて、辞めたい会社に我慢して居続けて、結局メンタル病んだり、挙げ句の果てに自死したり。国民全員が我慢して不幸せになるなんて、誰得もいいところ。

私の理想を言えば、年齢関係なく努力してお金が溜まったら、数年ぐらいは海外暮らしにトライして、お金が無くなって帰国しても生活はできる...ぐらいのチャレンジへのハードルが低い国にならんものかと思います。「失敗は許されない」と目を三角にするなんて、もう止めましょうよ。


セクシーな家庭教師

 まだまだ諦めずに続けている、私のイロンゴ語(西ネグロス島の方言)学習。昨年末から私の家庭教師を務めてくれている、フィリピン教育省勤務の現役教師のバンビ。そして6月からは、多忙なバンビを補助するために、助っ人で参加してくれている姪っ子のエイプリル

エイプリルは、つい最近旦那さんと別居(法的に離婚が認められないフィリピンでの、事実上の離婚)して、現在は5歳の男の子のシングルマザー。ただ、彼女のインスタグラムを見る限り、そんな影の部分は微塵も感じさせず、多くのフィリピン女性同様に、子供や親戚、友達と一緒に過ごす、楽しそうな写真が並んでいます。

そして、これまたいかにもフィリピーナで、自撮りや誰かに撮ってもらった自分の写真がずらり。これは私の推測ながら、別居に至るまではずいぶんとゴタゴタしたらしく、その重石が無くなった解放感に浸るように、友達と連れ立ってセブのリゾートへ。

そこで撮影した写真というのが、ビキニ姿のなかなか大胆なポーズ。スタイルも良いんですよ。雑誌のグラビアや写真集なら別にどうってことはないんですが、リアルで知ってる相手で、授業になればマンツーマンで2時間も喋る先生。やっぱり少々ドキっとしてしまいます。

ほんの2週間前に「擬似恋愛のすすめ」なんて投稿をしたばかりなので、疑いの目で見られそうですね。もちろん魅力的な女性とお喋りできて、楽しくないわけはありません。

さてエイプリルに限らず、フィリピン人というと、自分大好きでSNSはセルフィーのため、みたいな人が、年齢に関係なく多い印象。とは言え、誰もがそうと言うわけでもなく、私の感じだと、せいぜいSNSやってるうちの半分もいないんじゃないか。

さらに水着や、ちょっとセクシーなショットまで披露するとなると、さらにその数は限られてきます。これはSNSで友達になるフィリピン女性が、ネグロス島在住に偏ってるから、というのもあるかも知れません。都会だと、その比率は上がるような気もします。

ただ、露出度の高さと、性格の真面目さや信心深さが、必ずしも反比例しないのが面白いところ。例えば、家内の従妹でマニラ在住のダヤンなんて、実際に会うと色気ムンムンで、親戚の挨拶でハグ&キスされたりすると、軽く目眩がしそうなほどなのに、インスタの更新はそれほど頻繁ではないし、服装やポーズもおとなしい。

対照的にエイプリルは、フェイスブックに聖書の一節を投稿するような優等生タイプ。

実は、ここ1ヶ月ばかりは、メインのバンビが毎週来てくれるので、助っ人エイプリルの出番が少なめ。その埋め合わせでもないですが、先週は、イロンゴ・レッスンの後に、私の歌の練習に付き合ってもらいました。

というのは、来月(10月)私の還暦祝いを計画していまして、そこでバンビにイロンゴ訳してもらった、キロロの「ベスト・フレンド」を歌おうということに。バンビにはギター、エイプリルにはキーボードで伴奏をお願いした次第。

せっかくなので、昼食はお好み焼きと焼きそばをご馳走して、昼からセッション。このところ、ず〜っとカラオケでしか歌ってなかったので、自分の歌のテンポやリズムに、楽器が合わせてくれるってすごく新鮮。10年前に教会のミサで、答唱詩篇を独唱していた頃を思い出しました。

というわけで、今日は真面目でセクシーで音楽もできる、オールマイティな家庭教師エイプリルのお話でした。


2022年9月6日火曜日

飲食業の誘惑

 日本から移住して来る人は、退職金や貯金を携えて、あるいは年金を見込んで、フィリピンでの収入を当てにせずに老後を過ごそうという「退職組」と、フィリピンでの起業・就職を前提としたガチの「就業組」に分かれると思います。

もちろん中には、年齢的には定年退職組だけど、やっぱり何らかの仕事をする「混合型」の方もいらっしゃるでしょう。65歳過ぎてるけど、そもそも年金を貰えない境遇の人もいるだろうし。

私の場合は、典型的な「退職組」で、しかも定年の10年前の50歳到達に向けて、移住資金を計画的に貯蓄したという、比較的珍しいタイプと言えるかも知れません。もちろん、同様のライフスタイルのパイオニアはおられて、私よりちょうど10年の年上で移住も10年先行。世の中には、似たような考え方の人がいるものです。

さて、用意周到に準備してきた移住計画で、ほぼ目算通りに家も建てたし、子供はもう高校生。移住前に周囲の親戚・知人たちが、大きなお世話で「警告」したような、トラブルにも見舞われておりません。曰く「フィリピン嫁に財産を盗られる」「治安が悪くて犯罪に巻き込まれる」「不便でやることがなくなって退屈でボケる」等々。

ただ、生活に困っているわけではないけれど、時々頭をもたげて来るのが、仕事への欲求。それも、誰かに雇われての給与生活ではなく、起業欲みたいなもの。特に頻繁なのが、飲食業への誘惑。

と言うのは、半分は趣味、半分は自分が食べたいからと始めた自炊生活が、思いの外定着して、日々の家族の食事だけでなく、来客に振る舞うことが増えました。これがまた、すごく好評なんですよ。


喜ばれるのが、それほど労力もお金もかからない、お好み焼きとかカレー、餃子の類。「これは商売できますよ」と、フィリピン人からも日本人からも言われて、その都度いい気分になっております。でも冷静になって考えれば、そう簡単ではないこともすぐに分かる。

そもそも日本スタイルの味を受け入れられる人は、ある程度、食に対する経験を積んだ人。つまり、私の住む地方都市シライの半分か、それ以上を占める中流未満の層には、なかなかアピールが難しい。

特に、ジョリビー(フィリピンで一番人気のファーストフード店)の、甘いスパゲティが、この世で一番美味しいと刷り込まれたような子供〜若年層って、驚くほど食べ物に対して保守的だったりします。野菜が全然ダメって人も多いし。

かと言って、それなりに富裕層のいる隣街の州都バコロドへ出店となると、場所代が馬鹿にならない。富裕層狙いでは、味は落とせないし、店内もある程度のレベルは必要で、初期投資額が大きくなるのは避けられません。シライ市内だったらガレージを改造してのトロトロ・スタイルという手もあるんですが。

あるいは、無店舗でのデリバリーに徹するか。それでも宣伝は必須なので、フェイスブックでマーケティングしたり、地道にビラ配ったり。ワンオペでは難しいので、家内に仕事を辞めてもらうか、人を雇うか?....もうここらへんまで考えると、面倒になって来るんですよ。

昔よく聞いた話によると、日本人移住者がフィリピンでの起業で失敗しがちなのは、日本でそこそこの成功体験があったが故に、フィリピンのお客さんをナメてかかってしまうケース。実際のところ、フィリピンでの飲食店経営は、日本よりも難しい気がします。

なので、本気でやるとなったら、投資は最小限に抑えて、気長に試行錯誤を重ねるしかないんでしょうね。まぁこれは、飲食業に限ったことではありません。よく考えたら、それができるぐらいなら、早期退職してネグロス島に移住はしなかった。というわけで、思考が一巡してしまうわけです。

さらに言うと、ネグロスにまでブロードバンドが普及した現在なら、無理に飲食業に手出ししなくても、ネット経由で日本人顧客を相手にしたビジネスの方が、リスクが小さくて効率もいい。なんだか夢のない結論ですみません。


2022年9月2日金曜日

メイド・エージェンシー

 新旧メイドさんローテーションの谷間状態の我が家。息子の学校での対面授業が始まって、週に2回は、家内の分と合わせてのダブル弁当なんですが、その配達要員がいないので、毎朝5時半起きの食事担当主夫の私。掃除も洗濯も面倒なものの、土日は家内も手伝ってくれるし、一応9月15日に次のメイドさん着任の予定で、先が見えてます。

ただ、移住後10年目で合計5人のメイドさんを雇った経験からすると、この端境期がとってもたいへん。以前にも投稿したように、辞める前に次の人の段取りをしてくれたのは、今回のライラおばさんが初めて。それでも、予定通りだったとしても1ヶ月は穴が空いてしまってます。

メイドさんを登録して紹介してくれるようなエージェンシーが、ここネグロス島のシライにはなぜ存在しないのか? 恨めしく思うのは、地元の人も同じじゃないでしょうか。

ネットで調べてみたら、マニラ首都圏にはメイド・エージェンシーが結構な数あるそうで、中には日本語で広告出して「家事だけでなく、心構えの教育もしてます」みたいな、行き届いたサービスの業者さんもいるらしい。もちろん、信用できて名前が通った所だと、安心できる分料金も高い。知人や親戚経由で紹介してもらうのに比べて、ざっと倍にはなってしまいます。

ちなみに、ライラの次のギンギンおばさんは、住み込みの週1日休みで4,000ペソ。約1万円という感じ。日本に比べたら破格の安さですが、公務員の月給が2〜3万ペソのネグロスならば、食事と寝る場所付きでこの金額は、決して悪くはありません。

それはさて置き、なぜシライにはメイド・エージェンシーがないのか? 結局のところ信用できないから。

私や、直接の知り合いの経験ではありませんが、メイドが泥棒や強盗の手引きをするケースがあるのは本当のようで、中には雇い主が殺害される凶悪犯罪もあったり。家内によると、メイド絡みの犯行の裏には、犯罪シンジケートが暗躍してるという噂も。冗談じゃなく、フィリピンだと洒落にならないんですよね。

フェイスブックでは、シライ限定の仕事探しのグループがあって、そちらで求人をかけてみようかと家内に相談したら「お願いだから、止めてください」と、真顔で諭されてしまいました。

そこまで行かなくても、手癖が悪くて、財布から紙幣を抜かれたり、ちょっと気を抜くと、一日中スマホいじりしてたり。このレベルは、実際に話を聞くことがあります。

紹介者がよく知ってる人ならば、少なくとも他家でクビになったようなメイドは紹介しないだろうし、まさか犯罪者を連れて来ることはなかろうという判断。まぁ、シライのような地方都市だと世間が狭いので、札付きの人物は、すぐにバレちゃうってこともあります。

そしてこれは、逆の立場でも同じ。単身、住み込みで雇われる方の身になって考えれば分かるんですが、メイド業って、給与不払いや虐待のリスクがつきまとう仕事なんですよね。ほとんどが女性だし、他人さんの家に入るんですから、状況を把握している紹介人の存在は、とても貴重。

かと言ってマニラのエージェンシーのように、身元をチェックしたり、一定の能力を保証しようとなったら、費用が高くつくのは当然。人件費のベースラインが低く、現金収入が少ない山間部が近いこともあって、昔に比べれば人材難でも、まだまだ業者頼みになるほど困ってはいないんでしょうね。

ということで、考えようによっては、これってビジネスチャンス。さすがに自分で起業する元気はないので、シライにも健全なメイド紹介業者が進出してくれる日を、気長に待ちたいと思います。