前回の続きです。
やっと日本での、普通の結婚生活が始まりました。とは言っても、日本への渡航どころか、それまでフィリピン国外へ出たこともなかった家内。英語はTOEFL(世界標準の英語能力試験)で満点取るほどでも、日本語能力はまったくゼロ。最初は、日本での暮らしを手取り足取りで教えることに。
そこで、まず当時勤めていた大阪府の茨木市内にある会社へ、徒歩で通える場所に3LDKのマンションを借りました。駅からは少し遠く、路線バスが最寄り交通機関。ちょっと不便でしたが、通勤時間が片道15分。これなら何かあったら、すぐに帰宅できます。(首都圏で働いている人に比べたら、夢のような環境ですね。)
来日から数日は休みを取って、近所のスーパーや、クリーニング屋さん、バス・電車の乗り方等々、日々の暮らしをレクチャー。やはりかなりのカルチャーショックがあったようで、まず驚いたのが日本の食品の品揃えの豊富さ。鮮魚や果物ならば、フィリピンの方がすごいけれど、野菜に肉類、調味料、レトルト食品...。さほど広くもない店内に、ぎっしりと、しかも整然と美しく包装された食材が並んでいるのは、家内の目には目新しかった。
最近では、ネグロス島のシライのような田舎街でも、同じレベルのスーパーが出来ましたが、20年前だと州都(県庁所在地みたいな感じ)のショピングモールぐらいしかない。それが、周囲にまだ田んぼが残っているような場所でも、歩いて行ける場所に。
さて問題は、お買い物。あんまりたくさんの現金を渡してしまうと、すぐに全部使ってしまうんじゃないかと、多少の心配も。ところがそれは、すぐに杞憂だとわかりました。別に教えたわけでもないのに、自分で安い八百屋さんを探して来たり。面倒がらないので、やり繰りは私よりも上手いぐらい。財布丸ごと預けても大丈夫。
たまに高級輸入食材で、マンゴーを売ってるのを見ても、ペソに換算したら「その値段は犯罪だ!」と言って手を出さない。まぁ一個がフィリピンでの1キロと同じ値段でしたから。
数ヶ月もすると、私が持っていた「フィリピーナ」という言葉への偏見が、すっかり崩れました。たまに衝動買いする私が怒られるぐらい、金銭にはシビア。誰かの家に行くとなったら、約束の時間より少し早目に出かける。騒々しいのは好まず、私が音楽聴いてると、黙ってボリュームを絞ったり。
相手がフィリピーナだと感じるのは、意思疎通に英語を喋る時ぐらい。それも1年も過ぎると、毎日「公文」の日本語プログラムに通わせた成果で、日常会話はもちろん、敬語や大阪弁まで喋れるように。こうなると、国際結婚という意識すらなくなります。この頃になると、外を歩いていて、よく道を訊かれたりしてましたね。あんまりエキゾチックな顔立ちではないので、普通に日本人だと思われたようです。
予想より遥かに早く、日本の生活を楽しめるようになった家内。それでもやっぱり、クリスマスや正月になるとホームシック。喧しいのは嫌いでも、年末の深夜に静まり返っているのは、家内の感覚だと寂しいもの。確かにフィリピンだと、年末の半月間ぐらいは、町中で爆竹が鳴り、カラオケに野外ディスコで大騒ぎですから。
そして、もう一つフィリピーナらしいのは、冬が苦手なこと。連日10度以下の寒さなんて、人生初体験だったのもありますが、木々の葉が散ってしまうのが、何とも悲しいらしい。最初に街路樹が葉を落とし始めた時は「たいへん!木が全部枯れていく!」と大騒ぎになりました。映画のシーンとかでは知っていても、実際に見ると、かなりのインパクトだったんですね。
次回に続きます。
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