2016年10月14日金曜日
奥さまはフィリピーナ...か? その9「孝行嫁」
前回の続きです。
来日当初の秋冬、街路樹の落葉を見て「木が枯れていく!」と騒いだり、生まれて初めてのアカギレを盛大に痛がったり。それ以外にも、お風呂が大変。
湯船に浸かるという習慣がない熱帯のフィリピン。ちょっと高級なホテルならばお湯は出るけれど、大抵の家では水シャワーが普通。最初の入浴で、あまりに気持ちがいいと長風呂して、すっかり湯にのぼせてしまいました。もう泥酔したみたいになって、ほとんど抱きかかえるように風呂場から救出。びっくりしたぞ〜。
そして、家内にとって最大の難関は、姑との関係。実は私の母、最初は家内との結婚に大反対でした。当時日本に蔓延していた、フィリピーナへのネガティブ・イメージを盲信し切っていて、家内の人柄も何も、まだ顔を見ていないのに完全に敵視状態。私の弟二人が間に入ってくれたお陰で、何とかマニラの日航ホテルでか会って話をして、やっと態度を軟化させたという経緯があります。
正式な嫁になった後も、母の前では少々緊張感があった家内。ところがある日、この母が、ゴルフ場で大怪我を負いました。50歳を過ぎてから、ベテラン・アマチュアゴルファーの父と一緒に、コースを回るようになった母。当時で既に60を幾つか過ぎていたはず。そして、いつも通っている宝塚市内のゴルフ場で、カートに接触して足の骨を折ってしまった。
幸い命に別状はなかったものの、そのまま搬送先の病院に入院。父と息子三人の男ばかりの家族の中で、介護役を買って出たのが家内でした。たまたま専業主婦で、昼間は時間が取れるし、何よりフィリピンの一般的な感覚として、たとえ義理の仲でも老人を労わるのは、ごく自然なことだったようです。
歳取ってからの骨折は、回復に時間がかかる。結局家内は、三ヶ月ほど阪急電車に乗って、住んでいたマンションの最寄り駅の茨木市から、病院のある宝塚南口まで毎日「通勤」。実の息子が、土日しか見舞いに行かなかったのに比べると、実に献身的。まぁ、息子とは言っても私や弟たちに、入浴や着替えの手伝いはしてほしくなかったでしょうけど。
それ以来、結婚前の逆上ぶりは嘘みたいな、嫁の可愛がりよう。こういうのを「手のひらを返した」というんでしょう。今思えば、家内が私の家族に受け入れられたのは、実質的にあの事件がきっかけだったと思います。これも神さまの思し召しだったのかも知れません。
次は、いよいよシリーズ最終回です。
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