2016年10月9日日曜日

奥さまはフィリピーナ...か? その7「配偶者ビザ取得顛末」


前回の続きです。

ようやくフィリピン人の家内と結婚式も済ませたのに、一緒に日本には帰れないつらさ。事情が許すならば、日本へのビザが取得できるまでは、フィリピンで暮らしたかった。まるで、遠距離恋愛をテーマにした、JR東海のCM「シンデレラ・エクスプレス」(1987年)の気分。今でもこの曲を聴くと、泣きそうになります。

当時の私は、ごく普通のサラリーマン。家内はフィリピン大学で働く研究員。犯罪歴や不法滞在の記録があるのなら仕方がないけれど、何の問題もない男女でも、1990年代当時は、日比国際カップルというだけで、偽装結婚とか人身売買を疑うのは、当然だったのか。

マニラの日本大使館でも、日本の入国管理局でも、係員の態度は、まさにそんな感じでした。さすがに「容疑者」とまではいかなくても「無駄な仕事を増やしやがって...。」とでも言われているようで、とにかくその場にいることすら不愉快。今思い出しても気分が悪くなります。

それだけでなく「これが本当に日本の行政サービスか?」と言いたくなるほど、ビザの発給まで待たされる。帰国したのが5月の中頃。すぐに国内での婚姻手続き(フィリピンでの結婚を日本の市役所に届け出)をして、配偶者ビザの申請が、6月初旬だったでしょうか? 結局、家内が日本に来ることができたのが、その年の9月末。丸4か月経過していました。

因みに移住後、同じ配偶者の条件で、私のフィリピン永住ビザが発給されるまで、約5か月。フィリピンのお役所仕事を馬鹿にする日本人は多いですが、日本の外務省や法務省も大差はないですね。

それでも、知り合いの複数の日比カップルからは「画期的に早い」と羨ましがられたのは驚き。申請時に4か月かかると知っていれば、そうかも知れないけれど、ビザ発給がいつになるか、それどころか、ビザが本当に発給されるのかどうかすら分からない状態で、延々と待たされるのは、やはり体に良くありません。

ある時など、入国管理局担当者の、冷淡極まりない電話口調に腹が立って、「あなた、待ってる者の気持ちを、ちょっとぐらい想像できませんか? 何月何日にビザが出ると約束せぇ言うてるわけやない。いつ頃かの見込みぐらい教えてくれても、罰は当たらんでしょ?」と訴えたこともあります。

この投稿をするに当たって、もう一度フィリピン人との国際結婚の手続きについて、調べてみました。基本の流れは、変わっていないようですね。特に面倒なのは、日本の役所は、たとえ外務省であっても、日本語以外の書類は一切受理しないというところ。つまり、フィリピンで発行された出生証明書や結婚証明書は、英語でも全部和訳しないとダメ。

こういうことするから、悪質な手続き代行業者が蔓延る。ネットで「フィリピン、国際結婚」で検索かけると、この手のサイトばかりヒットしてウンザリ。書類の翻訳だけで10万円とか。本当に20年前から、何の改善もされていないようで、ため息が。

私たちの場合、書類集めも翻訳も全部自分たちで済ませました。代行業者に30万円も支払ったのに、結局ビザが下りなかった、なんて話を散々聞かされていましたから。

こういう経緯で、やっと家内が、マニラ発フィリピン航空のフライトで、関西空港の到着ゲートから出てきたのが、9月30日。ゴールデン・ウィークに結婚式を挙げて、できれば気温差の少ない夏頃には来日を、と思ってましたが、もうすっかり秋。私にも家内にも、本当に大仕事でした。

やっとは、日本での新婚生活のお話です。




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