今日6月12日は、フィリピンの独立記念日。毎年、その前日祭に当たる6月11日と合わせて2日間、フィリピンの各都市で、派手なお祝いが行われます。ここシライでも、昨日は学校は午後まで。昼から市内のメインストリートが約1キロに渡って封鎖され、例年通りパレードが開催されました。
100メートル置きぐらいに冷蔵庫みたいなサイズのスピーカーをいくつも設置。ディスコミユージックを大音量で流しながら、リオのカーニバルさながらのコスチュームで、いくつものチームが踊りながら練り歩く。
もちろん本場のリオに比べれば、スケールは何百分の一でしょうけど、熱気だけは肉薄してるかも。まぁ、熱帯の炎天下なので、本当に暑いといのもありますが。そして、日付が変わる午前零時には、市庁舎前広場で、盛大に花火が打ち上がりました。
さて、今日6月12日は、1898年に、当時フィリピンを支配していたスペインとアメリカとの間に戦争が勃発(米西戦争)。指導者エミリオ・アギナルドが、アメリカによる独立への全面協力を条件に、フィリピン上陸の案内役を受け入れ、亡命先の香港から帰国。自宅にてフィリピン独立を宣言した日に因みます。
その2ヶ月後の8月13日、マニラのスペイン総督府が陥落。アギナルドは初代フィリピン大統領に就任することに。
ところが、そのまま現在に至る、とは全然ならなくて、独立を手伝ってくれたはずのアメリカが、スペインから領有権を2,000万ドルで買った形で、支配者として居座ってしまった。これって17〜18世紀に、アメリカが中西部に対してスペインやメキシコから領土を買収したり分取ったりして、拡大していったのと同じ手口。
今でも、そのままアメリカ51番目の州になった方が、フィリピン人は幸せだったのに、なんてジョークがあるんだとか。
そこから、本当に現在に至る「第三共和国」が成立するまでは、日本軍の占領を経た太平洋戦争終結後、1946年7月4日まで38年もの道程。一応主権は回復したものの、実質的なアメリカによる経済支配は続きました。
さらに追い打ちを掛けるように、1965年から始まった、悪名高いマルコス大統領の20年に及ぶ独裁政権。戒厳令で憲法は停止。マルコスとその一族によって、国家は食い物にされ、同時期に著しい発展を遂げた、マレーシアやシンガポールとの経済格差は開くばかり。
マルコス支配がエドゥサ革命によって打倒されたのは、やっと1986年。そんなこんなで、16世紀のマゼラン上陸以来、フィリピン国民自らが統治する政体を実現するのに、丸々400年を要したわけです。
ということで私が見るところ、フィリピンの独立は、スペインから、アメリカから、そして独裁者マルコスからの3回あったんじゃないでしょうか。(日本が降伏した8月15日も勘定に入れてたら4回かも)7月4日は、特別なお祝いはしないけれど、2月25日のエドゥサ革命記念日は、現在、国民の祝日となっています。
これだけ政治的な抑圧を受け続けた歴史を持つフィリピン。国民の手で権利や自由を勝ち取った実感を持たない日本に比べれば、毎回選挙の投票率が80パーセントを超えてるのも、当然なのかも知れませんね。
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