2022年7月22日金曜日

友遠方より激辛ラーメンと共に来たる

 足掛け三年目になったコロナ禍。今年(2022年)になって、ようやくフィリピン〜日本の渡航規制が緩んできて、在比邦人の知り合いからも、SNS経由で「ついに日本へ一時帰国できた」との知らせがチラホラ。

2年や3年、日本に帰らないというのは、別に珍しくもないけれど、「帰ない」と「帰ない」では、一字違いで大違い。久しぶりに日本の家族や友人たちと再会し、日本食や日本の手厚いサービスを堪能されたことと思います。

それとは逆に、まだまだ難しそうなのが、日本からフィリピンに戻るパターン。すぐ戻るつもりで、フィリピンに残した愛する恋人や配偶者と、結局2年以上も逢ってないとか、永住覚悟で起業したのに、どうにも先の見通しが立たなくなって、無念の涙でフィリピンを去った人々。

さすがに2年も経ってしまうと、日本に生活の基盤を移さざるを得ないケースも多いでしょうし、お子さんがいたりすると、そう簡単には戻れないかも知れません。

そんな中この5月に、コロナ禍前に働いていた、マニラ近郊のアンヘレスにUターンを果たしたのが、以前から友達付き合いをさせてもらっていた、通称タカさん。友達と言っても、私より20歳も若くて、年齢差はほぼ親子。何故か私の場合、こういうパターンが多くて、マニラやセブなどにリアルでお会いしたことのある友人・知人は、20代〜30代の若者か、70歳以上の両極端。

さて、そのタカさん。友人の結婚式があったからとは言え、嬉しいことに先週の週末、わざわざネグロスの我が家に来てくれました。最後に会ったのは、かれこれ5年ぐらい前でしょうか。コロナ禍を通じての、共通の知人の消息や、日本での暮らしぶり、久しぶりのフィリピンでの仕事の状況など、4時間ぐらい話し込んだ次第。

フェイスブックでは頻繁にやり取りしているので、何となくお互いの近況も知ってるつもりだし、長年の旧友のような錯覚がありましたが、実はじっくり話したのは初めて。例によって、手料理のお好み焼きやカレーを振る舞った後で、我が家の案内をさせてもらいました。

母家とゲストハウスの二棟から成る我が家。タカさんが興味深げに見てくれたのが、兵庫県にあった私の実家の間取りを再現したゲストハウス。「再現」なので、ありふれた日本の2LDKなんですが、そこはフィリピンでいろいろ苦労した経験を積んでいるタカさん。この国で日本的なもの作る大変さを理解していて、玄関とか押し入れなど、なかなかツボにハマった感心の仕方。

よく話を聞くとまだ独身のタカさんは、いずれこっちで所帯を持って、家を建てたいんだとか。はいはい、いつでも相談に乗りますよ〜。(笑)

そして持参してくれたお土産が、フィリピンで市販されている韓国のインスタントラーメン4袋。そのうちの一つが、最近では日本でも売ってるそうだし、近所のスーパーでも並んでいる真っ赤なパッケージの「辛ラーメン」。以前から気にはなってたものの、それほど辛い物が好きというわけではなく、何となく敬遠してたんですが、これは試してみるにはいい機会。なかなか捻りの効いた贈り物です。

激辛以外の3つは、マイルド、カレー、チーズ。早速週明けのお昼に、激辛を試食してみたら、看板に偽り無しの辛さ加減。っちゅうか辛過ぎで、麺は何とか完食したものの、スープはとても飲めませんでした。

正直フィリピンで、しかも普通にスーパーで流通している食材で、このレベルの辛さを体験するとは思わなかった。パッケージをよく見るということは、地元の人が買って食べてるってことなんですよね。

私は、スパイシーな料理に関しては、フィリピンは不毛地帯だと思い込んでおりました。若い人たちの中には、激辛を好む人もいるとは聞いてましたが、地方のネグロスでも、それなりに受け入れられてたのか〜。これはかなりビックリ。おかげさまで、翌日のトイレタイムでは、激辛料理後恒例の、少々痛い目を見ました。この感覚も超久しぶり。(苦笑)

ということで、赤いパッケージはもう懲りましたが、マイルド・カレー・チーズの三つは、たまに買ってこようかなと思っております。


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