2014年9月11日木曜日

マリアさま、ご光臨


フィリピンの家には、だいたい祭壇が設けられます。家の中だったり、庭に作った祠だったり。そこには聖人の像や肖像が飾られるわけですが、サント・ニーニョ(幼きキリスト)か聖母マリアが選ばれることが多いようです。

日本のカトリックでは、あんまり馴染みのないサント・ニーニョ。フィリピンではとても親しまれていて、隣島のセブは守護聖人がサント・ニーニョ。その名前を頂いた教会がセブ市内の一大観光スポットになっています。


サント・ニーニョ教会

さて、我が家の祭壇。
設計の初期から設置することは決めていました。一家全員がカトリックの信徒だし、フィリピンなので当然でしょ?という感じ。しかし、詳細は工事が始まってから場所や形が二転三転。一時は玄関ホールの壁をくり抜いて作ろうとしてましたが、その隣の子供部屋を変更したので、そこに設置するのは中止。

結局、ダイニングの四隅の一カ所にしました。デザインも、タイルを張り始めてから気が変わって、そこだけレンガ風の設えに。で、出来たのが下の写真のような祭壇。
引越ししてから三ヶ月以上、肝心の主役の聖人が不在のままでした。本当はもっと前に何とかしようと、家内と話はしていましたが、雑務に取り紛れて放置されてました。



そろそろ、神父さまに来てもらって、家の祝福のパーティ(これはカトリックの行事で、家を新築したら盛大にやります。)をしないと…となって、昨日とうとう家内が隣街の州都バコロドに行ってサント・ニーニョではなく、聖母マリア像を買ってきました。それは、私のたっての希望だったからです。


自動車購入後、神父さまの祝福を受ける様子

私は留守番でお店は見てませんが、カトリック関係の品物がいっぱい置いてあるところらしく、マリアさまも大小様々おられる。中でも一番の美人を選んだと言ってました。どのマリアさまも手作りのようで、一つ一つお顔の造形が違うとのこと。他のは不美人だったということではなく、何となくお顔が怖かったんだそうです。

さてやって来られたマリアさま。私の好みから言うと、石膏像のように白無垢がよかった。日本人なら理解されると思いますが、ギリシャ彫刻のような感じ。でも、フィリピンではそうはいかないんですよ。教会の壁におられるイエスさまの磔刑像でもヨセフさまでも、極彩色に着色されていて、肌は肉色で生々しいお姿。
実は、本家のギリシャ彫刻もパルテノン神殿のレリーフは、完成直後は、塗装されたド派手なものだったと最近分かったと聞きました。

我が家のマリアさまは、思ったほどすごい色でもなかったんですが、やっぱりリアルな色でした。身長は50センチちょっとぐらい。なかなか品のある表情をされています。



夕方になって、いよいよライトアップ。このために祭壇を照らすスポット照明を取付けていたのです。やっぱりいいですね。こうやってセッティングすると、自然と手を合わせたくなります。
どうか、末永くお住まいいただき、私たち家族をお守りください。+


2014年9月10日水曜日

平和な楽園 早期退職という選択

今フィリピンは雨期で、ほとんど毎日のように一日のどこか、あるいは終日雨。昨日は、早起きして全米オープン・テニスの決勝見てましたが、残念ながら錦織くん負けちゃいました。朝から夕刻まで雨で、これは悔し涙雨か?

今朝は久しぶりに寝室に差し込む朝日で目覚めました。涼しいし爽やかだし、南国なのにまるで日本の初秋のような天気。青空を見上げると、気分も晴れやかです。この陽気に満を持したように、家内は昼からメイドのカトリーナをお伴に、州都バコロドにお買い物に出かけました。これまた久しぶりに一人で留守番。



南国の昼下がり。自宅は「セント・フランシス・ビレッジ」という広大な住宅地にあって、周囲を壁で囲まれ、いくつかあるゲートはすべて24時間態勢で警備員が常駐してます。騒音を撒き散らす車も入ってこないし、時折鶏の声が聴こえるぐらい。

これこそ平和な楽園。
移住して1年半が経過しましたが、日本にいた時に望んでいた暮らしが、まさに実現したと思える瞬間です。正直言って、50歳で退職し働かなくなることは、自分でもかなり冒険でした。金銭的には十分見通しを立てていたとは言え、会社にも学校にも行かない生活は、物心ついて以来まったく未知の領域。



しかし、今のところ思ったより上手く順応できているようです。子供の頃から時折悩まされていた、朝起きた時の「どよよ〜〜ん」とした感じがまったくなくなりました。普通に日本で生活していて「会社行きたくない」「学校行きたくない」と感じたことがない、どんな感じか分らない、という人は、よっぽど幸せだと思います。

サラリーマン生活の最後の10年間は、これが高じて薬頼りの生活に。突き詰めてしまえば、そんな日本の生活から逃げ出すのが、この移住の目的だったと言ってもいいぐらいです。

南の島で一日中、ぼ〜〜っとして過ごしたい。身の回りにもそう言う人がいっぱいいました。一時そうは思っても、実現しようとするととても難しい。国内から、資産をフィリピンに移す時に、銀行の担当の人が、「思い切りましたね〜。羨ましいです。」と業務用ではない言葉をかけてくれました。

それから、小学生の子供の送り迎え、料理、ジム通い、晴れた日はサイクリング、読書、他にも絵を描いたり、歌の練習をしたり…仕事以外の引き出しをたくさん用意しておくことが、どれだけ大事か、よく分ります。

最近、マンションで騒音のトラブルからの傷害や殺人事件のニュースが、ネットを通じて伝わってきます。もうそんなストレスに満ちあふれた場所に戻りたいとは、まったく思いません。


2014年9月7日日曜日

南国テニス <錦織選手 祝決勝進出>

日本にいたころはテニスが大好きで、そんなに上手くもないくせに週に2〜3回はコートに出ていました。真夏でも真冬でも、土日など朝から夕方までプレーしてたことも。それだけテニス仲間に恵まれていたんですね。テニスそのもの楽しいのですが、やはりワイワイやりながら汗をかいて、プレー後に食事やお茶をするのが格別。

その頃から錦織選手はすでに頭角を現していて、確か全豪オープンだったか、ツォンガに勝った試合などは、テレビの前に釘付けになっていた記憶があります。フィリピンではケーブルテレビが主流でチャンネル数が100近くもあり、スポーツ専門チャンネルも多い。当然、テニスの4大大会は放送されています。

昨夜は、錦織選手が全米オープンの準決勝進出で、しかも相手がランキング1位のジョコビッチということで、深夜、試合の最初から見ていました。第1セットを思ったよりあっさりと取った後の第2セット。何だか一方的な展開で1−6で落とした時、眠気に勝てず寝てしまいました。頑張って最後まで見て、フルセットで錦織が負けたりすると、翌朝の疲れがたいへんだと、つい弱気になって…。

それでも朝6時に目が覚めて、慌ててスマホで確認すると「日本人選手初の快挙」の見出しが目に飛び込んできました。やりましたね〜。正直、まさかという感想でしたが、いつの間にかそこまで強くなっていたのですね。もう一つ驚いたのは、次の試合でフェデラーがストレート負けしたとのニュース。ちょっと前まで「絶対王者」と呼ばれ、試合に負けるどころか、セットすら滅多に落とさない強さだったのに。時代の移り変わりを感じました。

さて、フィリピンでのテニスの話。
こちらでメジャーなスポーツと言えば、何と言ってもバスケットボール。ちょっとした空き地や路地の奥などには、バスケットボードが設置されていて、子供も大人もヒマさえあれば遊んでます。それに比べるとテニスはお金持ちがする、やや特別なスポーツと思われているようです。

どこのコートでも1面に2〜3人ボールボーイが付いて、20〜30円程度のチップで数時間は、ボール拾いをしてくれます。これだけでも「上流階級のスポーツ」な雰囲気。こっちで慣れている人は、よほど足下に転がってこない限り、自分で拾いません。失敗して遠くへ飛ばしてしまったのを、走って行って拾ってもらっても、礼を言うわけでもなく謝りもしない。

マニラやセブの高級住宅地やリゾートホテルならば、大抵はテニスコートがあるようですが、そこは田舎のネグロス島。特にシライ市内では知ってるだけでも2カ所。うち1カ所は公共の体育館に隣接して便利な場所にあっても、プレーする人いるのかなぁ。

移住当初は、こちらで知り合った日本人の女性と、もう1カ所の砂糖の精製工場の敷地内にあるコートで、たまにプレーしてたんですが、この人が恐ろしく時間にルーズで、あんまり度々すっぽかすものだから、1年ほど前に絶縁。それ以来コートから足が遠のいてしまいました。

隣のバコロド市内まで行けば、有料のヒッティング・パートナーがいるコートで、安くプレーできるけれど、日本のように仲間と一緒に楽しむことができないので、何となく敷居が高い。それに自宅の工事が始まったこともあり、結局このところラケットも握ってません。

家もできたし、日本人選手も世界レベルで活躍しているので、そろそろテニス再開してみようかなぁ? 日本から引越す時、高校時代の友達から餞別に頂いたテニスシューズ、いい加減にコートの中で履いてあげないと…。



2014年9月6日土曜日

危険を感じる昼下がり

残念なことながら、一般的に日本でのフィリピンのイメージは、まだまだ良くない。はっきり言うと相当悪いと思います。犯罪、売春、貧困、事故、災害…。そういう出来事以外、あまり日本では報道されないので、実際にフィリピンに来たことがなければ、良いイメージを持つのは難しいでしょう。

フィリピン人の家内と一緒になって、日本・フィリピン間を足繁く往復するようになってからもう16年。移住してから1年半ですが、そんな一般的なイメージとは裏腹に、一度も身の危険を感じたことはありませんでした。

まず、酒を飲まないせいか、夜一人で出歩くというのは、ほぼ皆無。どうしても夜間外出しないといけない時は、自家用車か、フィリピン人の同行者と一緒を徹底してきました。また、昼間でも知人のいないスラムなどの、危ない場所にも立ち入ったこともない。

友人、知人からは、タクシー強盗にあったり事故にあったりという話は多く聞いていましたので、決して「自分だけは大丈夫」と高をくくることもありませんでした。

しかし、と言うか、とうとうと言うべきか、今日はちょっと怖い目に合いました。
私は、昼間に限ってのことですが、15〜20分ほど距離で雨が降っていなければ、できるだけ歩くように心がけています。これは運動不足の防止と、ついこもりがちになる生活なので、気分転換の意味もあります。

いつも歩く住宅地の中の道。静かですが、人影が絶えるというほどでもない。雨続きで久しぶりに晴れたので、いつも通っているジムへの道すがら、周囲の景色を写真に撮りつつ歩いていました。



途中で背後から一台の車が、歩く速度に合わせるようについてくるのに気付けました。最初は偶然かなと思いましたが、二度三度と角を曲がってもその車は付かず離れず。とうとう路地に入って待ち伏せするように様子を伺っていると、その路地も曲がってこようとしました。

私は、意を決して逆戻り。その車と鉢合わせするように歩き出したところ、車は停止。車内には、特に怪しげな感じでもない男が二人乗っていました。よっぽど「何か用でもあるんか?」と凄んでやろうかと思いましたが、さすがに無意味に相手を刺激するのは、よくないと思いとどまり、ただ視線だけは外さずに車の前を通り過ぎました。薄気味悪いことに、男二人も車内からじ〜〜っとこっちを睨んでました。

ただ、それだけのことで、その後はもう車が追いかけてくることもありません。あれは、なんだったんでしょうか? マニラとかでは、金持ちが営利誘拐される事件は時々聞きますが、家内によるとシライ市で、そんなことは今までないとのこと。別に恨みを買うようなこともしてないし、金銭の貸し借りもありません。

う〜ん、気色悪ぅ。しばらくはゲートにガードマンがいる宅地の外に徒歩で出かけるのは、控えたようが良さそうです。


2014年9月5日金曜日

女子大生のお客さん

私が初めてフィリピンに来たのは、もう20年ほど昔になります。業務出張でマニラに数日滞在したのが1995年の11月。あの頃は、関空発マニラ行きのフライトに乗っている日本人と言えばビジネスマンか、露骨に風俗行きますっ、みたいなオッちゃんの団体ばかり。
お盆や暮れの時期には、フィリピン人の女性とその配偶者と思しき日本人男性が、子供を連れての里帰りが多くなる。

まぁだいたいこんな感じでした。ところが最近は、普通に若い人が多い。特に二十代の女性がネグロス島に来ることが、そんなに珍しいことではなくなったようです。これは、英語留学の影響が一番大きいんでしょうね。

マニラやセブに比べると物価は安いし、治安の面でも比べるとかなり安全。日本人や韓国人向けの英語スクールは繁盛しているようだし、地元の大学が日本人の英語留学生を受け入れてたりもするらしい。

いつ頃から、こうなったんでしょうか。
ネグロス島への移住を考え始めたのは、かれこれ十年以上も前なのですが、当初は移住してしまえば、出会う日本人はフィリピン人と結婚したジィさんばかりだろうと想像してました。まぁそういう人が多いのは間違いないんですが、実際には、州都バコロドのショッピングモールを歩いていても、日本語が聞こえると思ったら、若い人たちの団体だったりすることが結構あります。

そして記念すべき、新居への最初の日本人のお客さんは、女子大生お二人でした。(こういう書き方する所が、我ながらオっちゃん…。)シライ市内で活動している日本のNGOが縁で、去年しばらく滞在していた時に知り合って、嬉しいことにちゃんと覚えていてくれました。

家に来てくれると連絡があったので、張り切っていっぱい料理作りましたよ。
カレーにマカロニ&ミートソースとカルボナーラ。家内にはパエリアを頼みました。



このお二人、フィリピンでは、観光というよりボランティアをされていた影響か、新居を見て開口一番「想像していたより、ずっとキレイ」「フィリピンじゃないみたい」とのこと。設計は日本人建築士で内装も私が自分でデザインしたので、フィリピン離れしてはいるけど、本物のフィリピンの金持ちの家は、もっとずっとすごいんですよ〜。

でも、褒めてもらうとやっぱり気分いいですね。
日本人の私が快適に暮らせるように造った家なので、とても正しく評価してくれた気がします。また来てくださいませ〜。


2014年9月3日水曜日

教科書のない勉強 <イロンゴ講座 その2>



前回に続いて、フィリピンの方言イロンゴ語学習について。
昨日から本格的に再開した勉強。このイロンゴ、ヒリガイノンとも呼ばれる言葉は、フィリピン国内で約700万人が母語として使い、第二言語としては400万人、合わせて1000万人を越える人が喋れるそうです。

この数字からすると、決してマイナーな言語とは言えませんが、新規の学習者にとっては、なかなか難しい言葉。すこしかじった程度の印象では、文法が特別複雑だとか、発音が特殊ということもないけれど、どうもわざわざ教科書を作るほどの需要もないらしく、参考にできるテキストがほとんどない。

探し当てたものも、英語、タガログ語対応の薄っぺらい辞書と、単語帳程度の対訳テキストぐらいでしょうか? 体系的に文法や動詞の活用ルールなどを網羅したものは見た事がありません。仕方がないので、イロンゴのネイティブ・スピーカーから、聞き取りに近い状況での学習になります。

もちろん、基本的なルール、例えば動詞の時勢変化などは比較的簡単なので、別に専門の教師でなくても教えられます。ルート・ワード(語幹)の前にnag を付けると過去形とか、ma を付けると未来形だとか…。

しかし、今日気付いたのは、前回も書いた「si」。私の勝手な思い込みで、てっきり英語のbe動詞に相当するものと勘違いしてました。実は冠詞らしい。言語学的にそういう解釈が正しいのかどうか分りませんが、固有名詞を主語にするときにも Si Francis nagkato sa Hapon. (フランシスは、日本へ行った。)のように、その前に置くと教えられて、分った次第。

最初から人名だけに使う、英語のtheみたいなもんだと言ってくれれば、誤解も生じなかったのに…。今後もこの調子で、時々遠回りをしながらの勉強になるんでしょうね。これを機会に日本人のためのイロンゴ学習教科書を作ってやろうかと、一瞬思いましたが、どう考えても需要はほとんどなさそうです。普通に英語が通じるし、本当に必要とする人が多ければ、今頃、日本語/イロンゴ語の辞書や教科書が、たくさん出版されているでしょうからね。


2014年9月2日火曜日

フィリピン言語事情 <イロンゴ講座 その1>



イロンゴ語とは、フィリピンのビサヤ諸島の中で、私の住むネグロス島の西半分や、パナイ島などで使われている方言です。家内によると、フィリピンには85〜87もの方言があるそうで、しかもそれぞれが語彙をかなり共用していても、意思疎通が不可能か困難なレベル。

日本でも明治以前の方言の隔たりは、おそらくこれに近かったと想像します。江戸時代には、江戸住まいの大名の世嗣と国元の家来が言葉が通じないなんてことがあったらしい。同じように、マニラで生まれ育った人は、日常会話ではタガログ語を使っていますが、ネグロスのイロンゴ語は全然別の言葉というほど違う。
例えば「おはようございます」。
タガログ: マガンダン・ウマーガ
イロンゴ: マアヨン・アーガ

公用語はタガログ語をベースとしたフィリピノ語と英語の二つ。公用語が二つあるというだけで、日本人には相当ハードルが高いですね。しかしこれが理解できないと、ローカルのAMラジオ局以外は、テレビのニュースもドラマも映画も何にも分かりません。そもそもハリウッドの映画などは、最初から字幕がついていない。だから公開も早くて、先日のゴジラも5月には上映されていました。

さて、移住を決めてから、いずれは英語に加えてフィリピンの言葉を習得しないといけないと思ってました。タガログもイロンゴも…と言いたいところですが、さすがに50歳すぎてから二つ同時は無理なので、まず家内と家族や友達との会話に参加できるようにイロンゴだけでも何とかしたい。

もちろん家内、その家族、友達もほとんど全員英語はできるけど、やっぱり私以外がみなフィリピン人で、会話の中心が私ではないと、どうしてもイロンゴになってしまいます。この「取り残された感」は、なかなか辛いものです。

そこで、こちらに引越してから約半年ほど、たまたま知り合いになった地元の女性に先生をやってもらってました。この先生、とても優しくて面倒見がいい人なんですが、日本語はできないので、英語でイロンゴを教えるというスタイルにならざるを得ません。私が英語をネイティブ並みに喋れるならば、これでも何とかなったんでしょうけど、込み入った話になると、イロンゴを教わる前に英語の辞書引かないといけない状態でした。これはちょっと厳しかった。

そうこうしている間に、自宅の工事が始まり、気分的に落ち着いていられなくなったので、それを言い訳にしてイロンゴ講座は無期延期になってしまいました。しかし、その言い訳の自宅も完成してしまい、もう2ヶ月経過。

月も改まって9月になったのを区切りにして、イロンゴ語の勉強を再開することにしました。今回の先生は家内。身内に先生やってもらうのは難しいんですよ。遠慮がないから、すぐ喧嘩になってしまう。それは分かってるんですが、家が出来てお互いにヒマだというのもありまして…。

ということで、今朝から始めたイロンゴ講座。最初は「私の名前は○○です。」「私は日本人です。」からやり直し。こんな簡単な文章でも、日本語にも英語にもない独特の文法があります。人やペットの名前を言う時だけに使う単語があって、実はこれを誤解したまま覚えていたのが、今日分かりました。

アコ・シ・フランシス(私の名前はフランシスです。)
アコ・ハポン(私は日本人です。)

この「シ」si の後に来るのは名前だけ。それを間違えて「私は日本人です」をアコ・シ・ハポン、とやっていたのでした。

新しい言語習得の道は遠いなぁ。