2014年9月2日火曜日

フィリピン言語事情 <イロンゴ講座 その1>



イロンゴ語とは、フィリピンのビサヤ諸島の中で、私の住むネグロス島の西半分や、パナイ島などで使われている方言です。家内によると、フィリピンには85〜87もの方言があるそうで、しかもそれぞれが語彙をかなり共用していても、意思疎通が不可能か困難なレベル。

日本でも明治以前の方言の隔たりは、おそらくこれに近かったと想像します。江戸時代には、江戸住まいの大名の世嗣と国元の家来が言葉が通じないなんてことがあったらしい。同じように、マニラで生まれ育った人は、日常会話ではタガログ語を使っていますが、ネグロスのイロンゴ語は全然別の言葉というほど違う。
例えば「おはようございます」。
タガログ: マガンダン・ウマーガ
イロンゴ: マアヨン・アーガ

公用語はタガログ語をベースとしたフィリピノ語と英語の二つ。公用語が二つあるというだけで、日本人には相当ハードルが高いですね。しかしこれが理解できないと、ローカルのAMラジオ局以外は、テレビのニュースもドラマも映画も何にも分かりません。そもそもハリウッドの映画などは、最初から字幕がついていない。だから公開も早くて、先日のゴジラも5月には上映されていました。

さて、移住を決めてから、いずれは英語に加えてフィリピンの言葉を習得しないといけないと思ってました。タガログもイロンゴも…と言いたいところですが、さすがに50歳すぎてから二つ同時は無理なので、まず家内と家族や友達との会話に参加できるようにイロンゴだけでも何とかしたい。

もちろん家内、その家族、友達もほとんど全員英語はできるけど、やっぱり私以外がみなフィリピン人で、会話の中心が私ではないと、どうしてもイロンゴになってしまいます。この「取り残された感」は、なかなか辛いものです。

そこで、こちらに引越してから約半年ほど、たまたま知り合いになった地元の女性に先生をやってもらってました。この先生、とても優しくて面倒見がいい人なんですが、日本語はできないので、英語でイロンゴを教えるというスタイルにならざるを得ません。私が英語をネイティブ並みに喋れるならば、これでも何とかなったんでしょうけど、込み入った話になると、イロンゴを教わる前に英語の辞書引かないといけない状態でした。これはちょっと厳しかった。

そうこうしている間に、自宅の工事が始まり、気分的に落ち着いていられなくなったので、それを言い訳にしてイロンゴ講座は無期延期になってしまいました。しかし、その言い訳の自宅も完成してしまい、もう2ヶ月経過。

月も改まって9月になったのを区切りにして、イロンゴ語の勉強を再開することにしました。今回の先生は家内。身内に先生やってもらうのは難しいんですよ。遠慮がないから、すぐ喧嘩になってしまう。それは分かってるんですが、家が出来てお互いにヒマだというのもありまして…。

ということで、今朝から始めたイロンゴ講座。最初は「私の名前は○○です。」「私は日本人です。」からやり直し。こんな簡単な文章でも、日本語にも英語にもない独特の文法があります。人やペットの名前を言う時だけに使う単語があって、実はこれを誤解したまま覚えていたのが、今日分かりました。

アコ・シ・フランシス(私の名前はフランシスです。)
アコ・ハポン(私は日本人です。)

この「シ」si の後に来るのは名前だけ。それを間違えて「私は日本人です」をアコ・シ・ハポン、とやっていたのでした。

新しい言語習得の道は遠いなぁ。


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