2018年9月20日木曜日
孤独の三重苦
今日は同じ東南アジアながら、フィリピンではなくタイについて。と言っても、楽しい話題ではありません。先週の9月12日、タイ・バンコクに住む35歳の日本人女性が、コンドミニアムから転落死したという、痛ましい事件に関する投稿です。
タイと言えば、東南アジアではダントツで在留日本人が多い国で、その数7万人余り。(2018年版 外務省による海外在留邦人数調査統計による)フィリピンに住む日本人が、1万7千人と言いますから、ざっと3倍以上。世界中を見ても、アメリカ(42万6千人)、中国(12万4千人)、オーストラリア(9万7千人)に次ぐ、第4位の多さ。
首都バンコクの永住者・長期滞在者に限っても、3万人の日本人がいるとのことで、これまたマニラの3倍。さぞや層の厚い日本人コミュニティーが形成されていることでしょう。
このバンコク在住の、亡くなった日本人女性。夫の海外駐在に伴って帯同した、いわゆる「駐妻」らしい。4歳と生後3ヶ月のお子さんを残して、自殺の可能性が濃厚。ちょっとググっただけで、多くの記事やブログがヒットしたところを見ると、現地日本人の間では相当なインパクトがあった模様。
ちなみに、私がこのニュースを知ったのは、スニさんのブログを通じて。ご興味のある人は、そちらをぜひ読んでいただくとして、私なりに、その背景について考えてみました。
思うに、日本生まれ日本育ちの奥さんが、ある日突然、それまで縁も所縁もない国で暮らし始めたら、どうしてもある程度の孤独は感じるもの。
まず、気候は異なり、食事も違うという生活に加えて、日本語を使える環境が極度に限定される孤独。昔に比べればネットはあるし、国際電話だってほとんどタダ同然。それでも、リアルで一緒に出かける友達や、直接会って愚痴を聞いてくれる人がいないのは、やっぱりつらい。勤め先を辞めてまで夫に同行した人だったら、この寂しさは尚更でしょう。
個人差は大きいものの、気の置けない友人とのお喋りで、ストレスを解消し、大袈裟に言うと生き甲斐すら感じる人もいるようです。今年82歳の母は、フィリピンの我が家で同居という話もあったものの、やっぱり友達と気軽に会えなくなることがネックで、移住計画は沙汰止み状態。
また言葉に関しては、英語が通じるフィリピンに比べると、タイは本当に苦労します。私も以前、何度か仕事で渡航しましたが、大きなホテルのフロントや空港を除けば、タクシーの運転手も、レストランでも、ちょっとした英語が通じず、難儀した記憶が。
次に難しいのが、日本人コミュニティの中で感じる孤独。日本人が何万人いても、自分の周囲の日本人と馴染めないと、これは相当厳しい。私には経験はないけれど、同じコンドミニアムに住んでるとか、夫同士が同じ会社だとか。他に付き合う日本人が限られているので、馬が合わなくても絶縁することもできず。
言ってみれば、一種の閉鎖されたムラ社会。私など、これが怖くて、バコロド(西ネグロスの州都)の日本人会には近づかないほど。人間関係が良好ならば居心地はいいんでしょうけど、一旦こじれると、距離を置くのも難しくなりますから。
そして一番耐え難いのは、頼みの綱の家族が、孤独の元凶になってしまうこと。そもそも家族帯同で来るのは、お互いに支え合うことが目的のはず。なのに、夫は早朝から深夜まで仕事。土日もろくに休めず、日本から出張者でもあれば、フル・アテンド状態。
実は私が企業の海外担当社員だった頃は、タイでもフィリピンでも、駐在員にお世話になった側。始業の1時間以上前から、宿泊ホテルに迎えに来てもらったし、仕事中はもちろん、夕食やその後のナイトライフの面倒まで。正直、夕方の定時以降は放っといてもらった方が気は楽だし、酒が飲めないので、バーやクラブに連れて行かれても...という感じ。駐在員だからって、そこまでする義務があるんでしょうか。
これでは奥さんからすれば、単身赴任と変わらない。何のために、無理して海外生活しているの分からないし、浮気を疑われもするでしょう。その上、幼いお子さんがいるとなったら、駐妻にかかる心身の負担はいかばかりか。言葉や習慣の違いで、メイドを雇っても却って負担が大きくなると感じる人もいて、こうなると、助けようがなくなってしまいます。
おそらく、海外暮らしで心を病んでしまう人って、こういう孤独の三重苦に落ち込んでいるんじゃないかと推測。さらに追い討ちをかけるのは、会社から各種の手当など、金銭的補助を受けている負い目。そんなもの義理人情じゃなくて、単に会社の規則で決まってること。それでも、やっぱり、こんなにしてもらってるのに、文句は言えない、となってしまうんでしょうね。
と、ここまで書いてきて思うのは、これほど追い詰められたら、駐妻じゃなくても、精神に変調を来さないほうが不思議なくらい。私だったら、1ヶ月と保たない。その上、3年なのか5年なのか、終わりがはっきりしてないのは、致命的。
鬱を患った私の経験からすると、はっきりと残り何年何ヶ月と時間を限ってしまえば、つらい職場も何とか耐えられました。50歳到達と同時に早期退職でフィリピン移住というのが、暗闇に見える、唯一の灯台だったと言ってもいいぐらい。それすらない状況だと想像すると、それはツラい。ツラ過ぎる。
海外生活を楽しめるかどうかなんて、その人が持って生まれた資質や、育った環境に大きく左右されるもの。性格の良し悪しや、精神力の強弱と結びつけたりするから、話がややこしくなって、自分を追い込んでしまう。
結局のところ、現地で暮らしてみないと、合う合わないは分かりません。なので、海外生活のお試し期間を設けるべき。最長で1ヶ月ぐらい現地に住んでみて、無理なら単身赴任に切り替えるとか、駐在そのものを見直すとか、できないものなのか? 社員やその家族が、深刻な病気になったり、最悪、命を落とすことに比べれば、決して高いコストではないでしょうに。
これって、海外赴任の家族帯同に限らず、進学や就職、転職、結婚などなど、あらゆることに失敗を許さない、日本社会の不寛容さのあわられのような気がします。本当は少々失敗したって、敗者復活の機会は、何度でもあるんですけどねぇ。生きてさえいれば。
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