2018年9月7日金曜日

歴史を語る夜


姪っ子が短期英語留学のために、ここネグロス島シライ市の我が家で、滞在を始めたから、そのスクールメイトたちが毎週にように遊びに来てくれます。昨日、金曜日の夜も、大学生の男女6名がレッスン終了後、晩ご飯を食べに集まりました。

用意した献立は、いつものように日本食。関西出身の人も何人かいたので、お好み焼きにたこ焼き、ソース焼きそばなど、大阪のファーストフード中心に、炊き込み御飯、おにぎりに豆腐の味噌汁をつけて、炭水化物まつり。特にたこ焼きは、数年前の一時帰国の時に購入した、たこ焼きプレートを引っ張り出して、みんなでワイワイと焼きながら食べるスタイル。

室内でやると、壁や天井に臭いが残りそうなので、いつものダイニングではなく、2階のベランダで開放的なディナー。天気もよく風が適度に通って気持ち良かった。

残念なことに、ここシライではタコが入手困難。なので、タコ焼きならぬ、茹でたエビの皮をむいて、小さく刻んだものを具を使っての「エビ焼き」。そんなのは邪道だと、お叱りを受けそう。でも普通に美味しかったですよ。

ここまでは、日本からのお客さんの対応としては、通常コース。ただ昨夜は、たまたまそういうトピックに感心の高い人が集まったこともあり、日本やフィリピンの歴史、特に太平洋戦争中のことが話題になりました。

図らずも、私が熱く語って若者たちが質問するという、ちょっとした講義のような感じ。フィリピンでは日本人の将兵だけで50万以上の死者が出たとか、このネグロス島も激戦地の一つだったとか。あるいは我が家のメイド、ライラの祖父が日本兵だったという逸話。話は広がって、シライ市内の幹線道路「リサール・ストリート」に名を残す、ホセ・リサールのことも少々。

日本の歴史教育の貧弱さに、日頃からこのブログで不満を述べていた私。実際にその教育を、つい数年前に受けた人たちと話してみると、授業の問題点はちゃんと意識している。ただの暗記モノで面白くなく、一番大事な明治以降が、時間切れで駆け足になるという点。今の若者だって、もっと歴史について知りたいし、興味を持っているんですねぇ。

退屈そうだったら、すぐに話題を変えようと、最初は相手の様子を見ながら。ところが案に相違して、ずいぶん熱心に聞いてくれました。中には学校の勉強に飽き足らず、自分でかなり歴史の勉強していて、良いタイミングで合いの手を入れてくれる学生さんも。

一番意外だったのは、姪っ子の反応。それまで、ボホール島に行ってターシャ(世界最小のネガネザル)に会いたいと言ってたのが、ネグロス島での古戦場巡りに予定変更。

戦時中に日本軍に接収された旧富豪邸で、今は鉄筋コンクリートの骨組みだけが保存展示されている、ルーインズ(バコロド市)。日本軍が遺棄した機関銃が残る、山間部のパタッグ。敗走途中で、多くの日本兵が餓死、戦病死したという温泉地(仮称・地獄谷)などなど。

自分の身内ながら、人は見かけによらぬものだと感心することしきり。今の若いもんは...的な言葉を、フィリピンに来る日本の若者に、投げかけるオっさんは多いけれど、そういう人は、本当の若いもんと話をしてないってことですね。若いフィリピーナだけを目的に、日本からの渡航を繰り返す連中に比べれば、はるかにしっかりしてるし、自分の頭で物事を考えてます。

ということで、そんな殊勝な態度に出られたら、これは全力でバックアップしないわけにはいきません。どうやら来週は、姪っ子と周るネグロス歴史探訪の旅になるかも知れません。


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