英語の勉強が終わった後も、大福を作ったり、豚の屠殺を見に行ったりと、いろいろ行動している姪っ子。昨日の午後と今日は、予てからの本人希望で、太平洋戦争に由来する旧跡を、自宅のあるシライ市内から、車で1時間程度の範囲内で巡りました。
最初は、ルーインズ(The Ruins)。
ずばり「廃墟(または遺跡)」と名付けられたこの場所。20世紀初頭、サトウキビ栽培で財を成した富豪、ドン・マリアーノ・ラクソン所有だった、イタリア様式による住宅建築。別名マンション(邸宅)と呼ばれ、妊娠中に不慮の事故で他界した、妻マリアを偲んで建てられました。
その後、戦争が始まり、日本軍によって利用されることを恐れた、アメリカとフィリピンのゲリラ兵により放火。火災は3日間続き、現在、保存・整備されているのは、焼け残ったコンクリート部分のみ。そこから「ルーインズ」の名称が定着したのでしょう。
つい最近、屋根だけは新たに補修され、内部には常設の説明パネルや、土産物店も開設し、西ネグロスの代表的な観光スポットとして、空港にもおおきなポスターが貼られているほど。
このように、日本による侵略の記憶を留める遺構ながら、広大な庭園は美しく手入れされ、洒落たカフェやレストランもオープン。各種イベントや結婚式などにも利用可能。戦争の悲惨さを伝えるような面影は、ほとんど見ることはできません。これには姪っ子も、少々当てが外れたようです。
とは言え、そこは何事も楽しんでしまう性格の姪っ子。平日の昼間で閑散としたカフェの、一番いい席に陣取り、ルーインズの風景を眺めながら、贅沢な午後のお茶の時間を過ごしました。
翌日は、シライ市内の山間部、ランタワンとパタッグ。
戦争末期の1944〜45年(昭和19〜20年)の戦闘で、海岸から迫る米軍の砲撃を逃れ、敗走する日本兵の多くが、ここで戦死・戦病死しました。その数、およそ8000。
こちらも、当時の状況を彷彿とさせるような遺構はほとんど残っておらず、最近、道路は舗装され、マンダラガンの山腹から山頂にかけては、キャンプ場やコテージ、レストランにカフェなど、すっかり観光地の様相。最初に立ち寄ったリゾートでは、ハート型のプールが作られていました。
唯一、古戦場を意識させるのは、パタッグにある旧病院。戦時中は、日本軍の司令部が設置され、現在は多目的施設として使用。家内もここに宿泊したことがあります。真偽のほどは定かではありませんが、夜半、正体不明の白い人影を目撃したんだとか。本人は幽霊だと信じている様子。
その旧病院に隣接する森の中には、日本人によって建立されたジャパニーズ・シュライン(日本神社)があります。神社と言っても社殿はなく、おそらくは現地の大工さんが作ったと思しき、奇妙なバランスのコンクリート製鳥居と、御神体を模した石棺のようなものが安置されているだけ。
出典:DEVIANT ART
案内してくれた、施設の管理人のおばさんによると、現在、敷地内は撮影禁止。やたらとフェイスブックに写真がアップされ、観光地でもないのに、マナーに欠けた物見遊山の人々が押しかけるから。
それにしても、日本本土から何千キロも離れた外国のこんな山の中まで、現地の人にとっては迷惑千万な戦火を撒き散らし、しかもほとんど見殺し同然に、兵士たちを無残な死に追いやったとは。なんと愚かなことをしたのかと、今更ながら溜息が出てしまいます。
ということで、5年以上ネグロスに住む私も、何箇所かは初めての場所。しかも、戦争の跡を追うという、今までにない視点で旧跡巡りができたことは、姪っ子に感謝しなければなりませんね。
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