「よろしく。」矢沢永吉写真集 1979
「今のキミはピカピカに光って」ミノルタ / 宮崎美子出演CM 1980
「君にクラクラ。」資生堂 1981
「不思議大好き」西武百貨店 1981
「おいしい生活」西武百貨店 1982〜83
「僕の君は世界一」パルコ 1986
「4歳と14歳で生きようと思った」映画「火垂るの墓」1988
印象に残っているものを、いくつか並べてみました。やっぱり、いろいろ思い出しますね。当時の街並みや、よく行ったお店やレストラン、大学のキャンパスに、付き合っていた彼女とのこと。
それ以外にも、雑誌ビックリハウスの「ヘンタイよいこ新聞」、週刊文春の「糸井重里の萬流コピー塾」。糸井さん連載ものは、欠かさず読んでました。時代の最先端だった作家やイラストレーター、ミュージシャンとの共同作業も多く、NHK教育テレビの「YOU」の司会、流行歌手のための作詞を手がけたり。有名なものでは、沢田研二さんの「TOKIO」など。
最近では(と言っても、もう20年前から)、「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトの運営を開始。名前とは裏腹に、創刊以来1日も休まず冒頭に掲載されている、エッセイ(のようなもの)「今日のダーリン」。私は、フィリピンに移住してから、今日のダーリンの大ファンになりました。
ずいぶんと前置きが長くなって申し訳ないことながら、ここからが今日の本論。数日前の今日のダーリンで、ちょっといいなぁと思う文章がありました。本当は直接リンクを貼りたいところが、今日のダーリンは、基本的にその日の分だけしか、閲覧できない仕組み。
以下、要約です。
山の向こう側とこっち側に離れてあった二つの村を、旅人が訪れるという寓話について。
「こっち村」を訪れた旅人が、先に行った「あっち村」について、無愛想で不親切だと言ったら、こっち村の村民が、それならここでも無愛想で不親切だと思うよ、と返答。旅人は長居は無用と、早々に立ち去ってしまいます。
ところが、別の旅人は、同じようにこっち村に来て、あっち村のことを、愛想が良くて親切でいい村だったと褒めたら、こっち村の人も笑顔で旅人を迎えた、というお話。
糸井さんは、ちょうどお仕事で大阪にしばらく滞在中。この寓話を例に、そういう姿勢でいたら、嫌な思いをしたことがないし、大阪のことを心から楽しんでいる、と結んでいます。大阪のことを良く言ってもらったから、でもないけれど、これは生きる流儀としては、かなり大事なことだと思いますよ。
私の経験に当てはめてみると、日本国内だけで、実家の尼崎を出て以来、大阪府の茨木市、横浜市、福岡市などに転宅しました。職場環境は良し悪しありましたが、どこも住む場所としては便利で快適。特に福岡なんて、事情さえ許せば、あと10年は居たかったぐらい。
糸井さんほどはっきり意識したわけではないにしても、どうせ住むんだったら、できるだけその土地のいい所を見つけて、機嫌良く住もうと思ってました。そんな視点を持つと、すぐに、散歩に最適な公園や、カフェやレストラン、本屋さんに文房具屋さんといった、居心地のいい、お気に入りの場所が見つかるもの。同様に、気分のいい人たちとの、たくさんの出会いも。
最後にたどり着いたフィリピン・ネグロス島など、終の住処にしようと強く思ったせいか、たった5年ぐらいで、まるで何10年も居着いている感じ。もっと昔から住み始めればよかったと、軽く後悔するほど。
なので、フィリピン人をパートナーに選んで、自分の意思でわざわざ日本から移り住んだ人が、この国の住み難くさや、人々の悪いところばかり、あげつらっているのを見聞きすると、たぶんどこへ行っても、愚痴ばかりなんだろうなぁ、と思ってしまいます。
気取った言い方ですが、人生を旅に例えるなら、私も糸井さんに倣って、いつまでも機嫌のいい旅人でいたいものですね。
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