2020年6月25日木曜日

西ネグロスのコロナ禍近況

私の住むネグロス島の西半分。シライ市や、州都バコロド周辺だけに限って言えば、収束に向かっているように見えるコロナ禍。子供と老人の外出禁止や、公共の場でのマスク着用、ソーシャルディスタンス順守など、いろいろ規制はあっても、経済活動は6割ぐらい戻った印象。

昨日(6月24日)の火曜日は、本当に久しぶりに、バコロド最大のショッピングモールに出かけました。パソコン用の外付けのハードディスク、日本からの輸入食材を扱っているスーパーで、キューピーのマヨネーズ、ユニクロでは下着、などなど。


人影がまばらな、バコロドのSMシティ


今の日本ならば「不要不急」と言われそうな品物を、やっと購入できました。ついでに座れる席は半部ながら、営業を再開した行きつけの日本食レストラン、ラーメンの一康流で、約3ヶ月ぶりの豚骨ラーメン。少しづつ、普通の日常が戻っているようで、幸せな気分。



ところが、マニラやセブなどの人口が集中している大都会を中心に、新規コロナ患者数が、連日500人以上。時には1000人にも達するそうで、フィリピン全体で見れば、パンデミックの勢いは、まだまだ衰える気配もない。

ネグロス島の空港には、マニラやセブを経由するしないと、海外からの直通便がないこともあって、バコロドでは感染が下火になっても、外国人相手のビジネスは完全に休止状態。とうとう我が家の近所にある、英語学校の若き日本人経営者のお二人は、最後まで残っていた生徒さんの帰国を期に、シライからの一時撤退となってしまいました。

オンライン英会話は続けられるとしても、多くの英語教師や賄いのおばさんは失職の憂き目に。よく知っている人も結構いるので、何ともやりきれない気持ちです。聞くところによると、マニラからも帰国する在留邦人が相次いているとか。残っているのは、私のような退職者か、地元に完全に根を張ってしまい、日本にはもう居場所がない人ばかり。

そして、下火になったとは言え、ネグロスでも油断はできません。つい先日、セブから国内航空便でシライに戻った人が、コロナ陽性と診断され、その患者がいた、我が家から輪タクで10分ほどの、海岸線に沿ったバラリン地区が、閉鎖となってしまいました。

この頃は、週二回来てもらっている、マッサージセラピストのおばさんが、このバラリンの隣、ランタッド地区在住。心配してたら、私から聞くまで、閉鎖のことを知りませんでした。ただし隣と言っても、市街地から離れた集落のこと。サトウキビ畑や魚の養殖池の中に、ぽつんぽつんと点在する感じなので、まぁ仕方ないか。

ちなみに、今回のセブ〜バコロド便のように、検疫の影響で取り残された人を運ぶ臨時便のことを「スィーパー・フライト(Sweeper Flight)」と呼ぶんですね。スィープとは散らかったゴミを掃除するという意味で、サッカーでは自陣ゴール前のボールを一掃する、防御のポジションの名称がスィーパー。なるほど。

ということで、第二波の可能性も考えれば、2020年内どころか、この先数年ぐらいはコロナの影響が続くんじゃないかと、憂鬱になっております。


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