2019年5月20日月曜日

変わりゆく故郷

約一週間のご無沙汰です。

先週の火曜日(2019年5月15日)から、日本に一時帰国をしております。移住してから通算3度目で、家族三人全員揃ってというのは、今回が初めて。例によって、友達や親戚との再会に忙しく、ブログも少々滞っていた次第。

多忙というだけでなく、兵庫県尼崎の実家に、自分の部屋がもうなくなっていて、じっくりパソコンに向かう環境がないのも、ご無沙汰の原因。鉄骨造りの3階建で、日本平均からすると決して小さな家ではないんですが、床面積の割には部屋数が多過ぎな上に、80代の両親が長年溜め込んだ家財道具でぎゅうぎゅう詰め。

しかも、私の帰国に合わせて、二人の弟が、それぞれのパートナーやら子供やらを連れて帰って来たり。瞬間最大風速的とは言え、フィリピンの自宅に比べると、ちょっとした難民キャンプの様相を呈しております。

そんなわけで、到着翌日から会食続き。ネグロスではなかなかお目にかかれない、本物の職人さんが握るお寿司や、すき焼き、手打ちそば、カツオの叩きや天ぷら、などなど。何を食べても美味しいけれど、虎の子の円も、すごい勢いで財布から消えていきます。



それにしても、梅田、三宮、万博公園、どこへ行っても海外からの観光客が多いですね。新しいマッキントッシュのパソコンを買いに、心斎橋に出たら、すれ違う人が話すのは中国語6割、韓国語2割、残りが英語と日本語、みたいな状況。薬局店先の張り紙も、簡体字が目立つ。

ただ、中国を始めとする海外からの観光客が多いのは、私はいい事だと思っております。あの人たちがいなければ、道行く人は中高年ばかりで、ショッピングモールは寂れ、駅前は軒並みどこもシャッター街に。

実際、観光客が来ないような、私の実家がある尼崎の阪急塚口界隈は、昔に比べるとたいへんな寂れ具合。駅南側の一番いい場所にある旧ダイエーの三つ建物のうち、一番賑わっていた三号館が取り壊されて、更地になっていたのには、少なからずショックを受けました。

まぁ、私たち家族が日本にいた7年前、すでに地階の飲食店街は、ほぼ閉鎖状態だったし、テナントも歯抜け。そこそこお客さんがいるのは、1階のスーパーぐらいだったので、仕方がないでしょうね。

思えば、約40年前、私が中学生の頃に、駅前再開発でオープンした「塚口さんさんタウン」ことダイエー。買い物、食事、デートの待ち合わせ。ずいぶんとお世話になりました。時代の流れとは言え、寂しい限り。それだけでなく、自宅から徒歩数分の私立幼稚園がなくなっていたり、子供のころからのお馴染みで、最近も帰国時には必ず寄っていた蕎麦屋さんが店を閉めていたり。


ダイエー跡地は
マンションが建つようです


園田学園幼稚園だった場所

唯一の救いは、まだ両親が寝込みもボケもせずに健在なこと。私自身も、子供が中学生ということもあり、実年齢はもう数年で還暦にもかかわらず、30代ぐらいで止まっているような錯覚すら感じます。朝食もちゃんと作ってくれるし、これは本当に感謝しないといけませんね。

今、裏庭に建設中のゲストハウス。元々は高齢の両親を引き取ることが前提でした。でもこの調子だと、まだ10年やそこらは、その必要がなさそうです。今日も夫婦でゴルフに出かけたし。


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