2021年7月25日日曜日

アップデートしなかった日本


とうとう東京オリンピックが始まってしまいました。いろいろ「大人の事情」があるんでしょうけど、私は今でもこのタイミングでは、開催するべきではなかったと思ってます。どう考えたって、それどころじゃない。ワクチンの目処も立ったのだから、もう半年ぐらい延期って、それほど無理なことだったんでしょうか?

そして、オリンピック開催が決まった当初からのゴタゴタ続き。ここに改めて書くまでもなく、一度決まったはずのプランやデザインがやたらと引っくり返るし、相次ぐ責任者の降板や解任。「呪われたオリンピック」と言われるのも仕方がない。

ただ、新型コロナの世界的流行は不可抗力だとしても、仕事の進め方や物事の決め方に致命的な欠陥があったように思います。これは何もオリンピック組織委員会だけのことではなく、日本全体の問題。私の見るところ、もう100年は引きずっている「宿痾」のようなもの。それが今回のオリンピックで炙り出された感じ。

たまたま昨日読んだ、安川新一郎さんという人の書いた記事によると、相次いだ辞任劇は、理不尽な要求を連発する組織委員会の体質に原因があったと言います。世界的にも名が知れた、その道では超一流の著名人が、次々と組織委員会に見切りを付けて辞任。結果的に、十分な身辺調査を行う余裕もないまま、慌てて任命した人たちの過去のスキャンダルが、開催直前になって噴出してしまったとのこと。

こういうのって、日本の企業に勤めていた私にも、思い当たる節があります。現場の意見に基づいて練り上げ、各部門責任者レベルの承認も得たプランが、会議にも参加しなかったトップの思いつきで、全部やり直し。あるいは「今になってそれを言うか?」的な変更要望。

おそらく、個々のリーダーの資質というより、原理原則に則り、理詰めで議論して結論を出す、そしてその結論は、それを覆すだけの状況の変化がない限り尊重されるという、当たり前のことが訓練されてないから。すぐに感情が表に出てしまい、議論じゃなくて口論になりがちな日本人の悪い癖。これは自戒も多いにあります。

ここ最近、出したり引っ込めたりの緊急事態宣言を見てると、その感が強くなるばかり。何を基準に宣言を出して、何がどうなったら解除なのか、さっぱり見えてこない。「雰囲気」や「空気」を読み「感情」で決めてるとしか思えません。

そんな日本でも、何とかGDP世界第3位を保っていられるのは、現場の優秀さのお陰。少し前にも書いた通り、ワクチンの開発では周回遅れで、買い付け交渉も、お世辞にも手際良かったとは言えないのに、いざ接種が始まったらワクチン供給が追いつかないほどのスピード。

ただ不眠不休で頑張るだけでなく、システムの見直し・改善が驚異的な速さで進められているそうです。こうなるとフィリピン在住者としては、羨ましい限り。7月20日(2021年)現在で、日本の累計接種回数が約7,400万回に対して、フィリピンはまだ1,500万回。ちょっと前まで同じぐらいだったんですけどね。

先日のオリンピック開会式にしたって、ビジョンがないなどの批判はあれど、私の友人を含めて、ネット上の意見を見る限り多くの人が、夜更かしして見る価値があったと評価しています。さぞかし現場は大変だったでしょう。ご苦労お察しいたします。

結局のところ、現場のマネージメント力、つまり戦術は世界最高水準なれど、その上の戦略や政略では三流としか言えない日本。政治・文化・産業のすべてにおいて、欧米を手本にすればよかった1980年代までのやり方を、バブル崩壊の痛手を受けてなお、30年以上もアップデートしなかったツケが、一気に回ってきてます。

その戦術面でも、長年それだけに頼ってきた弊害、行き過ぎた長時間労働やメンタルヘルスの問題が表面化して久しい昨今。私が日本から逃げ出したのも、まさにこれが原因。

最後に、私がツィッターでフォローしている岩田健太郎さん(神戸大学大学院医学研究科教授)の言葉を引用します。

私が思い描く最悪のシナリオは「大会が運良く成功してしまうこと」です。万にひとつでも東京五輪が成功したら、日本の進歩はありません。長期的にはさらなる手痛いダメージを負う可能性があります。ただでさえ、「安心・安全」「成功だった」と片付けることのできる余地を残した東京五輪です。間違った教訓を植え付けないためにも、私はこの時期の開催には反対です。


 

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