2021年12月8日水曜日

或るフィリピン系日本人の死

 今日は一種の懺悔か告白みたいな内容で、書くのが少々気の重い投稿です。

先月(2021年11月)の末、家内の叔母の夫がマニラ空港で亡くなりました。この人、戦前にフィリピン・ネグロス島に渡って来た日本人男性と、現地の女性との間に生まれた日比ハーフで、仮にMさんとします。享年91歳、死因は末期癌でした。

このMさん、以前にもこのブログで少し触れたことがあって、実は私とネグロス島生まれの家内の出会いのきっかけを作った人。四半世紀前の1996年、兵庫県の私の実家近くにあるカトリック教会で、Mさん夫婦と知り合いになり、お盆休みを利用してネグロスの別荘に遊びに行くことになったのか発端。

最初からMさんは、姪っ子の花婿候補として、私を家内に紹介してくれたので、言ってみればお見合いみたいなもの。まんまとこれに乗った私と家内は、2年もしないうちに国際結婚となったわけで、Mさんとその連れ合いである家内の叔母は、私にとっては恩人。

ところが事は、かなりの紆余曲折を経ていて、まだ私たちが交際中だった時期に、何が気に入らなかったのか急に絶縁。大工の棟梁だったMさんは、以前から結婚相手がいなくて困ってる大工さんに、ネグロスの伝手でお見合いを世話していて、それまではフィリピンはおろか、海外旅行もしたことがなく、英語も全然ダメな人ばかり相手にしていたらしい。

幸か不幸か私は、フィリピンを含む東南アジア諸国が仕事の舞台。言葉は問題ないし、すでにフィリピン女性との恋愛も経験してました。何よりも私と家内は話も合ったし、双方一目惚れに近い状況だったので、初対面以降はMさんの助けはなくても、勝手に話が進んだのが面白くなかったようです。

後から聞いたところでは、家内の両親、特に義母は「紹介だけしてあとは放ったらかしってどういうこと?」と怒り心頭。仕方がないので、Mさんとは没交渉のまま、私と家内はゴールイン。

それでも結婚が決まってからは機嫌を直したMさん。披露宴にも出てくれたし、その後の日本での結婚生活でも、家内の手前もあってか、普通に付き合いが続きました。

やれやれ、これで一件落着かと思ったら、久しぶりに教会で会ったMさん夫妻になぜかシカト。挨拶しても目も合わさない子供のような完全無視。この時も理由は全然分かりません。

時を同じくしてMさんと義両親との関係も悪化。電話で義母と話をしたら「仲直りしてほしければ、娘をあの男と別れさせろ」と言われたと憤ってました。もう何様のつもりなんだか。

どう考えてもここまでの仕打ちを受けるような落ち度があったとは、まったく心当たりがない。いくら恩人とは言え理不尽に過ぎる。それ以来の約20年、絶縁状態が続きました。結局義母は、仲違いしたままその4年後に死去。私たち家族がネグロスに移住してからは、親戚の葬儀で一度顔を合わせたものの会話はなし。

これだけのことがあっても、家内やもう一人の叔母はさすがに血縁者なんですね。何度か私とMさんの間に入って関係改善を働きかけてくれましたが、こちらから詫びを入れる道理がない。そうこうしているうちに、日本に帰国していたMさん夫妻は、コロナ禍のためフィリピンに戻れなくなり、Mさんは癌にかかったという次第。

そして癌が末期になり、死ぬのなら生まれ故郷のネグロスでとの本人の強い希望で、叔母に付き添われたMさんが、マニラ空港に到着したのが11月の半ば。2週間のホテルでの隔離にも耐え、ようやくネグロスへの国内便に搭乗というタイミングで力尽きたそうです。

棺桶に入れられたMさんの亡骸がネグロスに戻った日が、何の因果か家内の誕生日。そして先週行われた通夜〜葬儀には、申し訳ないことながら家内だけが参列。どうしても叔母にすら会う気にならなかったんですよ。

「私たちの罪をお許しください。私たちも人を許します。」とは、カトリックで最も重要とされる「主の祈り」の一節。私もカトリック信徒の末席を汚す者としては、この言葉の実践者になるべきなのは百も承知なんですが、やっぱり無理でした。

ということで今日は、心に溜まった澱を吐き出す気持ちでの投稿です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



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