2021年12月19日日曜日

SOSセブ


出典:ABS-CBN

 先週木曜日(2021年12月16日)午後から翌金曜日未明にかけて、フィリピンのミンダナオとビサヤ諸島を駆け抜けた、台風22号フィリピン名オデット。上陸直前に「強い」から「猛烈な」に急成長して、まるで不意打ちのように甚大な被害をもたらしました。

前回の投稿でも書いたように、ここネグロス島シライでも市内でも樹木が根こそぎになったり、電柱そのものが倒壊して各所で電線を切断。ネグロス中央電力管轄の州都バコロドやシライ、タリサイ、バゴ等々西ネグロス州の主要部が広域停電のブラックアウトに見舞われました。

電力の復旧には数日が必要とのことで、我が家では発電機用のガソリン20リッターを新たに買い込んで備えたところ、信じられないことに台風通過の当日夕刻、つまり前回の投稿をアップした数時間後に電気が戻りました。配電盤のグリーンのパイロットランプ点灯に気づいた時には、我が眼を疑うほど。

もちろん全カバーエリアで一挙に...というわけではなく、できるとこから少しづつだったようで、我が家と周囲の数軒は、その最初だったらしい。それでもその後二日で、順調に電気が回復して、昨夜(12月18日)には、2階の窓からは台風前とほぼ同等の灯りを見ることができました。

断水はまったく無かったし、やや繋がりにくくなったもののネットも無事。当初は稼働しているシステムが限られていたため、大行列だった銀行のATMも翌日には混雑が緩和され、家内はキャッシュを下ろしてスーパーで買い物することができました。

しかしこれは、今回の被災地域の中では、極めて幸運だったことが次第に明らかに。

まず、最初にオデットが上陸したミンダナオの北スリガオ州や、ボホール、ネグロスの反対側の東ネグロスや、同じ西ネグロスでも南部では、わずかに台風の中心に近かったためか、桁外れに大きな被害。

中でも大惨事になってしまったのが、フィリピン第二の大都会にして、数千名の邦人が住むセブ。貧困層の住むような簡素なトタン葺きの家だけでなく、しっかり作られたはずの立派な家屋や、規模の大きな商業施設でも屋根や門扉が吹き飛ばされる被害が続出。

セブ在住のユーチューバー、いくぴーさんが被災直後のセブ市街地の様子を、バイクで回って記録された貴重な映像によると、シライが受けたダメージをはるかに超える惨状。何度も旅行したことのあるセブなので「え、あの場所がこうなっちゃったの?」と驚きました。

深刻なのは、停電に加えて水道が使えなくなったこと。しかも何週間なのか何ヶ月なのか、復旧の目処が立っていない。ツイッターでのセブに住む日本人の方々からは、発電機の燃料がなくなった...飲料水を買うのに長蛇の列が...と言った悲痛なつぶやき。

日本でも東日本大震災や大規模な水害を知っている人は実感できると思いますが、何日もの停電は何とか凌げても、水が出ないのは本当に危機的状況。私も阪神淡路の地震で僅かに経験があります。ただあの時は、私がいた場所では数日で電気も水道も元に戻りました。

災害時ではなくても各種インフラが脆弱で、日本の自衛隊のように迅速な災害救助も期待薄なフィリピン。この状況がいつまで続くか分からないことほど、精神的に堪えることはありません。

それにしても、ここまでの被害が出て、たくさんの日本人が追い詰められているのに、日本では大して報道されていないのが驚き。8年前に、同じくビサヤ諸島を直撃したスーパー台風ヨランダの時は、高潮で壊滅したタクロバンの映像や、死者6,000名以上という、パッと見のインパクトが強かったため、連日大きく報じられたそうですね。

ネットが回復した時に、メールの受信箱やフェイスブックのメッセンジャーがパンクするかと思うほど、大量の安否問い合わせが届いてました。

それに比べると、特にフィリピン関係者とか、家族や親戚・友人がセブに住んでいるとかでもない限り、ほとんど日本では災害そのものが知られていないようです。私がヨランダの時に、日本からの励ましで元気づけられたことを思うと、これは逆に辛い。

フィリピン国内ですら何もできないので、日本で知ったところで、無力感に苛まれるだけかも知れませんが、せめて日本政府は早急に何らかのアクションを起こしてほしい。それこそ自衛隊の船舶を派遣して、港に停泊してシャワーだけでも提供するとか。

セブの日本領事館のホームページを見ても、月曜日(12月20日)から相談窓口を開設するとあるだけ。もう絶望的な気持ちになってます。


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