2023年4月5日水曜日

鬱に響いた教授のピアノ 追悼・坂本龍一


坂本龍一さんのインスタグラムより

 このところ、1970〜80年代に青春時代を過ごした世代にとっては、ショックを受けるような訃報が相次いでおります。改めてご紹介するまでもない、世界的な作曲家にして、超絶的な腕前のピアニストである坂本龍一さんが亡くなりました。享年71。1952年のお生まれとのことで、私より、ちょうど10歳年上でした。

高校から大学にかけての最も多感な時期、YMOから始まって「オネアミスの翼」「戦場のメリークリスマス」のサウンドトラックなどは、レコードからダビングして、カセットテープが擦り切れるほど聴いたものです。フィリピンに住んでいる今も、iPhoneのプレイリストに全部入れているぐらい。

中でも、戦メリの楽曲をピアノ一本でセルフカバーしたアルバム「Coda」がお気に入り。実は当時の私、どちらかと言うとポップスよりもクラシック音楽が好きで、ドビュッシーのピアノ曲にはかなりハマっておりました。

この Coda は、映画音楽とかポピュラーミュージックと言うより、ドビュッシーやエリック・サティに連なる、クラシックの傑作だと思ってたら、当の坂本さんは、自らはドビュッシーの生まれ変わりじゃないかと思うぐらい、傾倒されてたんですね。

その後私は、就職・結婚して迎えた30代。仕事でのストレスに加えて離婚などなど、精神的に追い詰められて、抑鬱状態で医者通いの毎日を送る羽目に陥りました。そんな時、眠れない夜の入眠剤代わりに聴いていたCDが、坂本さんの「1996」。上記の戦メリのテーマを含む、過去の作品をピアノ・バイオリン・チェロのトリオで演奏したもの。

本当に気持ちがダメな時って、音楽さえ受け付けないんですが、ちょっと持ち直して来た時でも、音量の大きなシンフォニーや、ビートの効いたロック・ポップスは厳しい。その点、1996に集められた楽曲は、メロディも演奏も天上的な安らぎをもたらしてくれて、大抵は最後の曲を聴く前に眠りにつくことができました。

月日は流れて、フィリピン・ネグロス島に移住して、鬱が完治した今となっては、さすがに熱帯の日差しの中で聴くと、少々辛気臭く感じてしまうんですけどね。

それにしても、ネットに流れてくるものだけでも、坂本さんを偲んで書かれた文章がたくさん。その誰もが挙げる「私の坂本龍一」的な一曲やアルバムが見事にバラバラ。それだけ彼の活動領域は多岐に渡り、そのどれもが歴史に残るほどのインパクトを有していたってことなんでしょうね。

オネアミスの翼では、日本の雅楽やインドネシアのガムラン音楽を取り入れて、それが映像にぴったりな上に、単独の楽曲としても完成されているという、ほとんど神業みたいなこともされてました。なので、YMO時代のほんの一部だけを切り取って、電子音楽の代表選手みたいな書き方をされると、すごく違和感を覚えてしまいます。

そんな音楽家としての天賦の才に加えて、類い稀なる美貌の持ち主。映画「ラストエンペラー」では、その音楽で米国アカデミー賞は始めとして、数々の栄冠に輝いた坂本さんですが、元々は俳優として同作に出演したのがきっかけ。若い頃の坂本さんって、まったくのヘテロセクシャルの私でさえ、鳥肌が立つぐらいの美形でした。

ただ残念なのは、まだまだ活動ができるはずの年齢で亡くなられたこと。60歳になった自分の経験では、私が子供の頃は、今の実年齢に20年上乗せした感じ。つまり今の70代って昔の50代ぐらいなんじゃないでしょうか。そう考えると、これから坂本さんの最高傑作が生まれた可能性だって大いにあったはず。

坂本さんは、ある時期まで相当な愛煙家だったそうで、直接の死因となったのが、中咽頭にできた癌が、両肺に転移した結果。ニコチンやアルコールなどに依存しないと、創作活動のプレッシャーに耐えられない...という側面はあったかも知れません。実際、洋の東西を問わず、薬物依存で若死にするアーティストは数知れず。

最後に、坂本さんが好んだという、古代ギリシアの医学者ヒポクラテスの言葉を掲げます。

Ars longa, Vita brevis 芸術は長く 人生は短し




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