2015年1月26日月曜日

神父とシスターの恋



お正月に家内と出かけた隣島のパナイ。用事が済んで州都イロイロのショッピングモールで買い物をしている時、家内が昔の上司という人とパッタリと出会いました。大学出てすぐぐらいに勤めていた場所のことなので、もう30年近く前のことになります。

見た感じ初老の上品なご婦人といった雰囲気で、きれいな英語でご挨拶。家内に「あなたは変わらないわねぇ。昔と一緒。私はすっかりおばあちゃんになっちゃたけど。」と、とても懐かしげに微笑んでいました。三人いるお子さんはすべて独立し、一人は医師になって豊かな暮らしをしているとのこと。

その後、モールの中の点心のレストランで食事してる時、家内が「人目を憚る」ような風情で小声で言うには、「あの人は、昔はシスター(修道女)だったのよ」
え、シスターなのになんで子供がいるの?

夫は元神父で、イロイロを揺るがす一大スキャンダルだったらしい。詳しいことは分かりませんが、教会か修道院かで知り合い、道ならぬ恋に落ちてしまったんでしょうね。この二人は職を投げ打って正式に結婚をしたそうです。ドラマみたいですね。すごいなぁ。

日本語で、カトリックでは神父、プロテスタントでは牧師と呼ばれるキリスト教の聖職。牧師は妻帯できますが、神父は生涯不犯。もちろん修道士、修道女も同じでこれは世界共通の戒律。今も昔も破戒が発覚すれば大騒ぎになる話です。

しかし家内によると、どうもフィリピンでは必ずしもそうではない。さすがに大ぴらに結婚生活はしないけれど、子供がいる神父の話はたまに耳にする。これは、スペインの植民地になって、スペイン人神父がやってきた400年前からの悪しき伝統で、先日紹介したイメルダ・マルコスの伝記によると、その祖母も実は聖職者の娘で、当時は表向き許されないはずの神父の妻帯が、半ば公然と行われていたようです。

その流れがあるのかどうか、イロイロで会った元修道女の人は、そんな過去があるとは想像もできない、知的で明るい印象でした。この辺りが、日本人の私には窺い知れない、フィリピン・カトリックの影の一面なのかも知れません。


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