2015年8月16日日曜日

フィリピンでの終戦記念日

今年は第二次世界大戦で日本が、アメリカを始めとする連合国に降伏してから、ちょうど70年目。私は戦争が終わって17年後に生まれたので、もちろん当時のことは知りません。それでも終戦時に小学生だった両親から空襲のことや学童疎開、食糧難などについての生々しい話を幼い頃から聞かされていたので、戦争に対する恐怖や嫌悪の感情はかなり強く持っています。

しかし、日米戦の巻き添えを食ったフィリピンの被害について知ったのは、大人になってからでした。先の大戦での日本人犠牲者全部で310万人。それに対してフィリピンでの日本人の死者が51万人とのこと。実に第二次大戦で亡くなった日本人の、6人に1人がフィリピンで命を落としたことになります。私の父方の親族にも、出征後フィリピン近海で戦死した人がいました。

フィリピンに住んでいる日本人としては本当に心が痛みますが、さらに辛いのはフィリピン人が100万人以上も殺されたという事実。人間の死を数の多寡であれこれ言うのはあまり意味がないと知りつつも、この数字の前には呆然とするしかありません。



シライ市内に保存されている旧日本軍によるトーチカ

結婚してから家内に聞いてみたところ、戦争中のことは学校で詳しく学んだそうです。バタアン死の行進やマニラ市街戦。マッカーサーや日本の山下大将のこともちゃんと知ってました。(ゼネラル・ヤマシタの話は「隠し埋蔵金」の方で有名)

ところが今の対日感情の良さはどうでしょう。比較的最近でも日本人による買春ツアーや、じゃぱゆきさんなどネガティブな話題には事欠かないはずなのに、初めてフィリピンに来てから20年、一度も面と向かって非難されたりしたことはありませんし、日本人とのハーフである息子が、学校でいじめられたこともない。

理由はいろいろあるとは思います。日本の車やオートバイ、アニメやファッションなど日本のテクノロジーやカルチャーは憧れの存在。マニラにも、ここネグロス島にも日本の援助で建った空港のターミナルビルがあります。

でも、仕事やレジャーでフィリピンに来る人は、少なくともこの国と日本の間に、過去どんな経緯があったかの概略ぐらいは知っておくべきだと、強く思います。別に本一冊読まなくても、インターネットで簡単に調べられる範囲でいいですから。フィリピンで迎える終戦記念日に、そんなことを思いました。


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