2017年6月2日金曜日

故郷の土に還る旅


昨日(201761日)、移住先のシカゴから帰国していた、家内の叔父「ダディ」ことロベルト・バトーが、肝臓癌のため入院先の病院で帰天しました。享年74歳。

家内の母方、オフィレニアの一族からは、ダディを含めて合計9人がシカゴに移住。ささやかながらアメリカン・ドリームを実現し、ネグロス島の実家に比べると、豪邸と言っていいほどの家に住み、乗用車も購入して何不自由ない暮らしを送っています。

ダディの死は、娘二人、その子供たちの孫二人の5人で、15年ぶりに一時帰国を果たした矢先のこと。実は、もう末期癌だったダディの、生まれ故郷のネグロスで人生の最期を迎えたいという、強い希望で実現したものなのでした。

帰国当日は、到着してすぐにまだ荷解きもしていないまま、空港から車で5分の我が家で歓迎パーティ。恰幅がよくて体が大きかったダディは、すっかり痩せて一回りほど小さくなったように見えました。黄疸が出て、歩くことも家族の介助が必要。それでも親戚や旧友たちとの再会に、表情はとても明るくよく喋る。

まだ何ヶ月かは残された時間はあるように見えました。素人ながら、なかなかの料理人ダディ。この機会に、お得意のフィリピン郷土料理の作り方を伝授してもらおうと、会話も盛り上がったのですが

故国の大地を踏んで、気が緩んでしまったのか、三日後には起き上がれなくなってしまったダディ。実家近くの州都バコロド市内の病院に入院し、十日目の昨日、家族に見守られながら天に召されました。

多くの出稼ぎ労働者、移住者を海外に送り出しているフィリピン。毎年、国家予算を上回ると言われる外貨を獲得する人たちは、OFWOversea Filipino Workers)と呼ばれる国の英雄。クリスマス休暇前、英雄たちが一時帰国する頃には、歴代の大統領が、マニラ国際空港の到着ゲートで出迎えをするのが恒例行事となっています。

それほど多くの海外在留フィリピン人がいるのですから、滞在先で不慮の病や怪我で亡くなるケースも多いことでしょう。故郷に戻り、懐かしい人々に囲まれて死を迎えたダディは、幸せだったのかも知れません。特にネグロスに残った奥さんとの再会は、さぞや嬉しかったろうと思います。

考えてみると、もう間違いなく人生の折り返し点を過ぎて、外国に住んでいる私自身。OFWの境遇とは違い、早期退職後の人生をのんびり過ごすための移住なので、悲壮感はまったくないし、その気になれば、その日のうちに帰国できる距離のフィリピンと日本。郷愁すらほとんど感じたことがありません。


ただそれも、今の私が健康で、家族と一緒に住んでいるから言えること。先のことは分かりませんが、死期を悟ったら、私も日本に帰りたいと願うことになるのでしょうか? 移住して丸4年。立て続けに親戚や友人の死に接して、そろそろ自分の身の処し方に思いを馳せてしまいます。


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