移住から4ヶ月ほど経った頃に1泊したり、日本からの海外初渡航でネグロスに来た友人を迎えに、日帰りしたりはしてますが、いずれも駆け足。今回のように、仕事や所用抜きでマニラに2泊3日というのは、20年ぶりぐらいです。
実は土曜日に行われた、日本の落語家の桂かい枝さんの英語落語、マニラ公演を聴きに行く予定で、バコロド〜マニラの航空券を早手回しに買っていたけど、肝心の落語のチケットが抽選の結果、見事にハズれ。結果的にただのマニラ観光に。
それでもマカティを中心に、ゆったりした気分で家族と見て回れて、いい時間を過ごすことができました。
まず私にとって最大の変化点は、ここ何年かで、すっかりマニラ名物になってしまった交通渋滞。着陸時の飛行機からでもはっきり分かるぐらいの物凄さ。特に着いたのが金曜日の夜だったこともあり、市外へ向かう幹線道路は、どこも延々と続く光の帯状態。ひぇ〜。空港からマカティにあるホテルへも、タクシーで1時間ぐらいはかかりました。
ポジティブな話では、少なくとも私が見た範囲で、ずいぶん街並みが綺麗になったこと。フィリピン随一のオフィス街を擁するマカティだというのを差っ引いても、私がこの界隈をうろついていた1990年代の後半に比べると、見違えるよう。
高層ビルが立ち並ぶ、カマティやアヤラの通り近辺は、昔からそうだったにしても、ちょっと路地にで入れば、お世辞にも清潔とは言えない街並みに、ゴミだらけの路地。道行く車はポンコツが多く、中には何年エンジン整備してないのか分からんような、黒煙を上げる車両も珍しくなかった。
それが、私たちの泊まった、そこそこ安いホテルの周辺で、庶民が暮らすような場所でも、モワッとくる悪臭がないし、貧困に疲れ果てた無気力な表情の人もいない。乗り合いバスのジプニーが、古ぼけてはいても、まぁまぁ清潔感がある上に、排ガスも黒くない。
空港から乗ったタクシーの運転手さん(たまたま、お祖父さんが日本人で、日本で20年も働いた経験があり日本語が喋れる人)によると、やっぱりドゥテルテさんが大統領になってから変わったんだそうです。いろいろ問題はあっても、任期のど真ん中で、まだ高い支持率を維持するのも分かりますね。
さて、私的にこの旅のハイライトは、21年ぶりのザ・ペニンシュラ。マカティ通りとアヤラ通りの交差点に立つこのホテルは、私の知る限り、フィリピン国内でも五指に入るんじゃないかという格式の高さ。昔は業務出張で、こんな場所に泊まれたんですよね。今回は宿泊客を装って、1階ロビーにだけ入ってみました。
若い頃に豪華だと思っても、今行ってみると「あれ、こんなもんやったっけ?」になることが多いのに、ペニンシュラはまったく印象が変わりません。まずエントランスが表通りではなく、敢えて裏側の閑静な住宅地に向いているところに、設計者のセンスが光ります。
入ってすぐの、3〜4階分をぶち抜いた大広間の天井には、私が初めてここに足を踏み入れた1995年当時と同じく、太陽をモチーフにした巨大な装飾。壁も床も大理石を贅沢に使ってますね。スタッフも警備員まで含めて容姿端麗な人ばかり。これって、もし私が20代の頃だったら、気圧されてしまったかもしれません。
フィリピン風にCR(トイレ)どこですかって、格好いい制服のおねえさんに尋ねたら、”レスト・ルーム”は、あちらでございますと、サラっと言い直して答えてくれました。
トイレも美しい
それにしても、ここまで変わってないと、いろいろと思い出しますねぇ。フィリピン市場でヒットした家電製品の開発に携わったこと。一緒に仕事をした先輩社員のこと。その先輩に連れていってもらった盛り場のこと。そしてガールフレンドとの別れのことも。
その後、同じく20年前に、自前でフィリピン渡航時に定宿にしていた、ホリデー・インにも足を伸ばしてみました。こちらはマカティに比べると、かなり下町然としたパサイ市内。マカティほどではないけれど、やっぱり昔の、絶望的なまでに汚い感じは、ほとんど払拭されてました。残念なことにホリデー・インは閉鎖されて、解体を待っているような状況。もう少し早く来れば良かったと溜息。
とまぁ、昔の思い出に浸る感傷旅行記みたいになった今日のブログ。もちろんこれだけではなく、もう少し家族向けの場所に行きましたし、友達にも会いました。そのお話は、次回に投稿したいと思います。
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