2022年10月3日月曜日

遂に60歳到達

 引っ張りに引っ張った還暦ネタも、今日で打ち止め。本日10月3日を持ちまして、とうとう私は、60歳になってしまいました。子供の頃、母が一つ話に聞かせてくれたところによると、出産当日の朝は、日本晴れだったそうです。まだ温暖化なんて言葉も流行るはるか昔なので、おそらく秋らしい爽やかな日だったんでしょうね。

さて、たいへん月並みな感想ながら、60歳になった実感というのがさっぱりない今日。確かに20代、30代の頃に比べれば、体力・集中力はずいぶんと落ちたし、若い頃は意識もせずにできてたことも、相当苦労しないとできなくなったり。早い話が、部屋の模様替えとか大掃除は、家族やメイドさんに手伝ってもらわないと、翌日寝込んでしまいそう。

それでも、相変わらず三度の食事は美味しく、睡眠時間は7時間以上。ここ半年ほど、3回目の50肩(60肩?)が来たようで、右腕上げると痛いけれど、それ以外は、全身普通に機能しております。これが今時のシニアというものらしい。そりゃ、元気を持て余して、一つ間違えれば立派な「老害」になるのも、分かる気がするぐらい。

そんな、若い人からすれば鬱陶しい「歳の割に元気」自慢も、フィリピンでは少々事情が違います。今年は誕生日が月曜日だったので、2日早く、一昨日の土曜日に還暦祝いをしたところ、予想以上にたくさん集まってくれた友人や親戚。友人と言っても、ほとんどは家内の高校や大学のつながりで、だいたい50代以上の近い世代。

個人差は大きいとは言え、ずいぶんと老けて見える人が多いんですよ。と言うとたいへん失礼ですね。正確には、年相応に年齢を重ねた結果だと思います。6〜7割ぐらいの人が肥満体型だし、髪は白いものが目立ち、それなりのシワも。そして久しぶりに会った人たちは異口同音に「あんた、変わらないねぇ。」と驚きます。

一番身近な、もうすぐ57歳の家内が、私もまったく歯が立たない童顔で、アラフォーと言っても騙せる風貌。なので日頃はあまり意識しませんが、フィリピンのアラ還ピープルの中では、ちょっと飛び抜けて若く見えるらしい。

まず理由として考えられるのは、ヤバい薬はもちろん、酒・タバコをやらないこと。50歳を過ぎてからは、筋トレとサイクリングを日課としていること。何より、意識的に自分より若い友人・知人とのリアルな会話が大きいんじゃないかと思ってます。ただ、髪が白くならないとか、歳の割に太りにくい体質は、ただただ両親と神さまに感謝するしかなさそうですが。

ということで、誕生日の今日は、朝から真っ青な南国の空が広がる、ここフィリピン・ネグロス島。秋晴れというような爽やかさはなく、エアコンが必要な真夏の暑さ。パーティはもう済ませちゃったので、普通に月曜なので、いつものように弁当作って家内を職場に送り出しました。

正直なところこの数ヶ月は、パーティ準備でいろいろプレッシャーがあったので、ようやく平和な日常が戻ったような気がして、ホっとしております。そのパーティについては、次回投稿で詳しく書きますね。


2022年9月27日火曜日

新任メイドは、家庭教師の母

 長らくこのブログで引っ張って、ほぼ「ネタ」化した、我が家のメイド探し。前任のライラおばさんが最後に出勤したのが8月の初めだったので、かれこれ2ヶ月近い空白。一度は決まったかと思った、ライラから紹介のギンギンは、結局一度も姿を見せず、回り々って落ち着いた先が、意外にも私の家庭教師、バンビとエイプリルの身内。

ギンギンが来ないとなって、最後に残った人脈のバンビ。再依頼にも嫌な顔せずに引き受けてくれたのは、多分当てがあったからでしょうね。紹介してくれたのが実のお姉さんのグレイス。バンビとエイプリルは叔母・姪なので、つまりエイプリルの母ちゃんというわけです。

元々、バンビが私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師になってくれたのは、バンビ家族が家内の元お隣さんだったから。そのバンビの姉なので家内は顔見知り。ただ、もう40年ぐらい前の話で、当時はまだグレイスは子供。家内のことはあまり覚えてないそうです。

さて、その後かなり苦労したという、今は50歳のグレイス。まずミュージシャンだったお父さんが酒浸り。さらにフィリピンあるあるの沢山の兄弟姉妹なので、当然のように家計は逼迫し、グレイスは、おそらくエイプリルを出産した直後ぐらいに、OFW(海外フィリピン労働者)として、サウジアラビア、シリア、トルコなので家政婦として働いたそうです。

ちなみに、最近事実上の離婚をしたエイプリルと同様、グレイスもシングルマザー。どうもバンビの一族の女性は、男運がない人が多いらしい。そう言えばライラもシングルマザーだったなぁ。

ライラもOFW経験者ながら、クエートで2年のみ。まぁそれでも大変だったろうとは思いますが、3カ国で10年も働いて、娘を始め、家族を支援し続けたのには、頭が下がります。そんなすごい経歴なので、家から通える場所でのメイド業なんて、やる気にさえなれば、決して難しくはないでしょう。

それでもエイプリルによると、初出勤前夜にずいぶん張り切って、ユニフォーム(?)のアイロン当てに余念がなかったとのこと。メイドのユニフォームと言っても、日本のメイド喫茶みたいのじゃないですよ。メイドだけじゃなく、マッサージ・セラピストでもあるグレイス。マッサージの時の作業着、ちょっと作務衣っぽい服を持ってます。

そしてやって来たのが、週明け月曜日の朝。8時の約束が、よほど気合が入っていたのか、1時間早く7時には出勤。床面積が約150平米の母家を、あっという間に掃除完了。つい先週に自分で大掃除をした台所を除くと、2ヶ月近く放置に近い状況だったのに、手際の良いことこの上なし。さすがOFW歴10年の大ベテラン。

ただし本人も白旗上げてる通り、料理は全然ダメ。昼・夜と私の料理アシスタントをやってもらいましたが、野菜を切るぐらいは大丈夫でも、ソーセージ炒めてもらったら、焦がされてしまった。得手不得手があるのは仕方がないか。

それ以外には、飼い犬ゴマの世話。幸いゴマはグレイスを気に入ったようで、特に吠えたりもせず、初対面から、いきなりの懐きよう。早速散歩にも連れていってもらいました。

ということで、予想以上の出来だった勤務初日。毎日じゃなくて週3回ですが、これぐらい集中してやってくれれば、それで十分。ようやく日常の生活リズムが復旧した感じです。やれやれ。


2022年9月26日月曜日

ひろゆき氏について

 今日のネタは、フィリピンとはあまり関係のない人のお話。

最近流行りの呼び方を使うと、日本を代表する「インフルエンサー」の一人である「ひろゆき」こと、西村博之氏。インターネット普及期に、良くも悪くも有名になった「2ちゃんねる」の創設者であることは、よく知られています。

現在はフランス・パリに拠点を移し実業家として活動する傍ら、ツイッターやユーチューブを通じて、一種の社会評論家としても広く認知され、ツイートする度に、マスコミがネット記事にするほどの人気ぶり。特に安倍元首相暗殺事件以降は、徹底した旧統一教会批判。以前から注目はしていた私ですが、ここ数ヶ月は、相当なひろゆき贔屓となっています。

ものの言い方が皮肉っぽくて煽り気味なので、毛嫌いする人も多いでしょうし、時には説明不足で理論が飛躍してると感じることもありますが、基本、言ってることは至ってマトモ。これはウクライナ戦争にしても、日本の政治に関することも、結構納得してしまう言説が多い。

面白いのは、もう一人私が支持している、明石市長の泉さんとも直接のやりとりをしているところ。両者ともやや過激な語り口ながら、直球の正論をベースにブレない点で、共感するからでしょうか。

さて、なぜ急にひろゆき氏の話を始めたかと言うと、日本から離れていて日本国内のことを知ろうとすると、ひろゆき氏や泉市長、あるいはホリエンモン、西野亮廣さん(お笑い芸人キングコング)のような、時事を独自の視点で語れる人の存在が、欠かせないと思うから。

20〜15年ほど昔なら、NHK、朝日、読売、毎日などの大手の報道機関は、それなりの権威があって、キチンと権力批判をしていたものでした。ところが、ちょうど私がフィリピンに移住した辺り、第二次安倍政権の発足以降、これらのマスメディアの腰が、軒並み抜けてしまい、伝えるべきことを伝えず、政府広報組織に成り果ててしまった。

特に強制的に料金を徴収しているNHKが、時の総理大臣や内閣に都合に悪いと、国会中継さえスキップするし、直近での統一教会への腰の引けようは、目を覆わんばかり。もし私がまだ日本にいたなら、手持ちのテレビを売っぱらっても、断固として視聴料未払いを貫いただろうと思うぐらい。

おそらく40代以下の若い世代は、情報をテレビ・新聞だけに頼ってる人の方が少数派でしょう。実際、朝日新聞の発行部数の凋落ぶりは、身から出た錆以外の何物でもない。

これは、言下に反論する人が山のようにいそうですが、ここ数ヶ月ほどのひろゆき氏の存在感って、かつて田中角栄元首相を辞任・逮捕にまで追い込んだジャーナリスト、立花隆さんに匹敵するんじゃないかと感じてます。

もちろん、超人的な広さの知識、深い洞察力、鋭い知性など、立花さんには遠く及ばないとしても、誰に忖度することもない自由な態度と、何よりツイッターでのフォロワー200万人という影響力はすごい。同時代の人々へのインパクトという点では、ひろゆき氏の一連のツイートは、立花さんが膨大な時間と労力で放った一冊の著作と、十分比肩するんじゃないでしょうか。

ということで、たとえ海外に住んでいたとしても、というより、日本に住所がないからこそ、過去の遺産にしがみく古い体質のマスメディアのみに依存して、狭く歪んだ視野を持ってしまうリスクを、日々感じている次第です。


2022年9月25日日曜日

地図を使ってくれ、ネグロス中央電力

 世界中の地図事情に精通するほど、あちこちに住んでわけでもなく、日本とフィリピン以外で最低でも合計1ヶ月以上滞在したのは、アメリカとマレーシアぐらい。中国も仕事でそこそこ行きましたが、全日程で運転手付きの社用車という、今では想像できないような重役待遇で、自分で移動したりすることがほぼなし。今思えば、中国でのビジネスが一番儲かっていた時期だからでしょう。

そう考えると、せいぜい4カ国だけの経験ながら、地図を読むのも描くのも、日本人が一番慣れてるんじゃないかと思います。考えてみれば、駅前の小さな書店でも、世界地図からロードマップに至るまで、かなりの品揃え。最近はスマホで地図見る方が便利だから、多少は減ったんでしょうか?

出先で誰かに道を尋ねたら、手持ちのメモ用紙さえあれば、簡単な地図を描いて説明する人も多い。ところがアメリカの場合、大抵が口頭だけで教えてくれる。「ここから〇〇ブロックまっすぐ歩いて、その右を曲がり、△△の橋を渡って...」という感じ。時には説明が長すぎて、最初の方を覚えられなかったり。親切なのは大いに有難いんですけどね。

ニューヨークのマンハッタン島内のように、街並みが碁盤の目だったら、それで何とかなっても、車移動が必須のロサンゼルスでは距離感が分からず、教えてもらってからがドツボにハマる、なんて事も。

それに比べると、ここフィリピン・ネグロス島では、家具や大物の家電を購入した際、配達場所の住所だけでなく、地図を描いてくれと言われる。なぜか呼び名が「マップ」ではなく「スケッチ」ですが、多少は地図を使う習慣があるようです。

自宅建設中だった頃には、あちこちの建材屋さんで同じ事訊かれて、面倒になってパソコンで地図描いて、たくさんプリントアウトしたりもしてました。

ところが同じネグロスでも、頑ななまでに地図を使わないのが、セネコ(CENECO)ことネグロス中央電力。実はこの投稿を書いている今日、日曜日もあった計画停電。短くて1〜2時間、長い時には6〜12時間も電気を停めてくれるので、いつどこで停電があるかは、重要な情報。

ここ最近は、フェイスブックのホームページに、数日前には計画停電のお知らせが掲示。ところが、どういうわけか、絶対に地図で示すことはせず、ひたすら地名やバランガイ(フィリピンの最小行政単位)名のみを羅列。それも何十個も並べるもんだから、自宅や勤め先があるかどうか探すのに一苦労。


老眼には厳しいセネコの掲示

我が家があるのは第5バランガイで、一通り見ても無さそう。でも、近隣の地名がだいたいあって、おかしいなと思って見直したら、最後の方に「その他シライの主要部分」って...そういうことは最初に書けよ。

こんなの、バランガイ区分図に色分けして図示したら、一発で分かるのにと思うのは、私が日本人だからでしょうか? 確かに、州都バコロドの大手ショッピングモール内に数軒しかない書店には、一枚物の大雑把なのを除くと、フィリピン国内を網羅した詳細地図って置いてるのを見た覚えがないし、ましてやネグロス島内やシライ市内となると、そもそも存在するのかどうかさえ疑問。

つまり、仮にセネコが地図で説明しても、自分の住んでる場所が地図上のどこか、イマイチ分かってない人の方が多いのかも? 気になって、高校生の息子に訊いてみると、地元の地図をベースに郷土の地理や歴史を学ぶこと自体、やってないらしい。

ちなみに私のいた兵庫県尼崎市の場合、約半世紀も前ながら、わざわざ小学校がバス仕立てて、社会見学と称した市内観光やりましたよ。市庁舎から始まって、ジェーン台風(昭和27年 / 1952年)の高潮被害後にできた尼崎港の防潮堤とか、北部にある弥生時代の田能遺跡とか。

ということで、日本の学校教育には、根本的な部分で否定的な私ですが、読み書き算盤(現代では暗算力)以外でも、基礎学習が社会全体の効率化に役立つもんだなぁと、感心しております。


2022年9月21日水曜日

還暦祝いの準備着々

 このブログで、すでに何度も触れている私の還暦。ざっと3ヶ月ぐらい前から、いろいろと準備し始めて、とうとう残り十日となりました。

いい歳をして(本当に!)、自分の誕生日を騒ぎ立てるなんて、日本人的な感覚からすると相当恥ずかしいことなのは分かっておりますが、幸か不幸か、ここはフィリピン・ネグロス島。クリスマスとバースディは、お祭り騒ぎするのが国民性と言っていいぐらいな場所。

9月に入ると、テレビの報道番組ですら「クリスマスまで〇〇日」とカウントダウンが始まるのは例年通り。今年はようやくコロナ禍が鎮静の兆しを見せて、街中に普通に人が出歩くようになったし、学校の再開も本格化。「もう幾つ寝ると...」と子供っぽいはしゃぎ方をする気持ちも、分かります。

さて、3ヶ月前からと書きましたが、具体的なアクションは会場の予約。まるで結婚式かという勢いで、4月に義妹ジーナの50歳の誕生日を祝ったのと同じ場所を押さえました。(義妹の誕生日にボルテスVを歌う

実はその場所というのが、はるか四半世紀前、私が家内と両親の前で「お嬢さんをください」をやったレストラン。ネグロス島シライ市内では、老舗にして最大の規模を誇るゴールデン・フードパークという名の郷土料理のお店。聞くところによると、私が生まれる前から営業しているらしい。

数年前までは、還暦祝いをするなら、隣街の州都バコロドのホテルでボール・ルームでも借りるかと、漠然と考えてました。ところが今年にオープンしたのが、フードパーク内の宴会スペース。規模はそこそこながら、それなりに綺麗で近いし料金も手頃。これならジーナのパーティスタイルを、丸パクリしてやろうと思った次第。

場所が決まると家内の動きは迅速。早速招待客のリストアップに、会場飾り付けのデコレーター業者へ連絡。「料理はこれとこれで...。」「やっぱりレッチョン・バボイ(豚の丸焼き)は注文する?」などなどと段取りの良いことこの上なし。そう言えば、私たちの結婚式も、家内に丸投げにしたけれど、フィリピン離れた計画的なマネージメントでしたね。

そしてこの2週間ほどで私がまとめたのが、パーティのプログラム。プロを雇う選択肢もありますが、家内の親戚にはいろんなタレントの持ち主がいます。まず司会は、親族で一番の外交家で、英語もフィリピン語も饒舌な従弟のパウロ君。最後の私のミニ・コンサートでダンスをお願いしたのは、プロ・ダンサーの、これまた従妹のサラ・ジェーン。

大きくは三部構成として、第一部はスライドショーによる私のライフ・ヒストリー。有難いことに、写真だけは母が大量に残してくれたので、ネグロスにまで持ってきたアルバムから、スマホでパソコンに取り込み作業。これをプロジェクターで投影しながら、パウロと掛け合いでプレゼンする手筈。

第二部は、同じくスライドショーで、私が移住後に描き溜めた「フィリピン美女図鑑」のイラストを紹介するデジタル・ギャラリー。フィリピンの有名女優や親戚・友人のポートレイトを中心に、約30枚を選びました。

最後の第三部が、前述のコンサート。5曲歌う予定ですが、所詮は素人ののど自慢レベル。なので、お客さんを退屈させないように、ダンサーの協力を仰いだわけです。他には、家庭教師のバンビのギター、エイプリルのキーボード伴奏も。この二人、本人以上にわくわくしてます。

ということで、ここまで書いた文章を読み返してみると、我ながらの「嬉しがり」ぶり。まぁ、そうそうある事でもないし、たまには、こういうのも良いですよね。


赤いちゃんちゃんこの代わりに
用意した衣装


2022年9月20日火曜日

振り出しに戻ったメイドさん探し

ちょっと 嫌な予感はしてたんですが、それが的中してしまいました。先週、我が家に来てくれるはずで待ちぼうけを食らった新しいメイドさん。翌週月曜日になっても梨の礫なので、紹介者にして前任のライラおばさんの家に行ってみたら、ライラにも連絡がないとのこと。

気が変わってやる気が失せたか、それともやっぱり、ワクチン打ってゾンビになるのが怖かったのか(フィリピンに流布されたワクチン・デマ)。それならそうと、連絡してくれよ。こっちは当てにして2週間以上も待ってるのに。

以前に4日働いて辞めちゃった若いメイドさんがいたし、もっと短くて、1日来てそれっきりという人も。これは、土日休みだったライラの代わりで、週末限定でライラの姪っ子に頼んだ時のお話。その上を行く就業0日っていうのは新記録。

さてこうなると、メイド紹介所がないネグロス島のシライ市。引き続きライラの伝手を頼んで、別の知り合いとか親戚に当たってもらうことになりました。さらに他のコネは、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師のバンビとエイプリル。

実は、なぜかこの二人がメイド探しにはとても協力的。僻地や経済的に問題がある児童のために、自宅まで出張授業をしている、教師にして教育省の職員であるバンビ。生徒のお母さんの何人かに、心当たりがあるらしい。前回はライラ経由の候補が先に見つかったので、そちらはゴメンなさいになりましたが、求人再開と連絡したらすぐに「探してみま〜す」と返事。

セクシーな家庭教師」こと、エイプリルに至っては「私がやりたいなぁ」と言ってるし。もちろんジョークなんですが、諸般の事情で、最近シングルマザーになったエイプリルは、ただいま就活中。24時間住み込みじゃなくても、週に3日とか、午前中か午後だけのフレックス勤務もOKだと伝えているので、家庭教師 兼 メイドも、ひょっとすると有りかも。

そしてどこまで本気なのは分からないけれど、バンビは家族・親戚に情報拡散しているらしく、バンビと同居している彼氏マイケルが「男はダメですか?」と訊いたとか、エイプリルの母ちゃんが考え中だとか。

その他に頼ろうとしたのが、最近ライラと友達付き合いしていた、家内の高校の同級生にして我が家の筋向かいの隣人ナンシー。ところが困ったことに、田舎のパタッグ(シライ市東部の山間部)に引っこんじゃったらしく、その隣のメイドさんに留守宅を任せて本人の姿が見えません。

ちなみに、ナンシーの隣人宅は、オーナーがアメリカ人。コロナ禍前に3階建ての豪邸を建てたのに、本人たちはアメリカ在住のまま、メイドさん家族に住まわせているという、お金持ち。そのメイドさんとナンシー、ライラが仲良くなって、バースディパーティとか一緒にやってましたね。

ではナンシーがいないなら、いっそのこと友達の友達つながりで、隣のメイドさんにも頼んでみるか? ここまで行くと、ヤケクソっぽいかも。

ということで、相変わらず5時半起きの弁当作りや掃除と洗濯は、もうしばらく続けないといけないようです。




2022年9月18日日曜日

世界的異常気象

 ここ数年、特に今年は、ネットでもテレビでも異常気象のニュースに接する頻度が、それこそ異常に高くなってます。夏場の熱波で森林火災が多発するとか、それまでは雨が少なかったはずの地域で、多くの死者を出すほどの大洪水。その逆の渇水で、ダムに沈んだ集落が姿を現した...等々。

日本の場合、7〜8月の酷暑ぶりは、もう20年ぐらい前から顕著になったように思います。私が子供だった1970〜80年代の大阪では、いくら暑くても33度。せいぜい35度までだったように記憶しています。いつ頃からか、夜間も25度を下回らない「熱帯夜」という言葉が定着し、以前は「熱射病」だった呼び名が「熱中症」に変わりました。

最近では、都心なら最高気温が40度はそれほど珍しくもないし、台風は強力になって迷走するパターンが増えました。そしてアメリカ軍が定義した、平均の最大風速が秒速67メートルの「スーパー台風」。私がフィリピンに移住した2013年、フィリピン中部に壊滅的な被害を出した、スーパー台風・ヨランダが襲来。

このブログを書いている今現在も、第二室戸台風とか伊勢湾台風の再来かと言われるほど、猛烈な14号台風が、まさに九州南部に上陸しようというタイミング。こんな時に書く内容ではないかもしれませんが、刻一刻と変化する気象状況が、詳細に報道されるのは、さすが日本の気象庁。これがヨランダ、あるいは昨年末のオデット時にあったら、あれほどの死傷者は出さずに済んだことでしょう。

それはさて置き、ここ数年の出来事って、1970年代末頃のオイルショックに伴う不況時に流行った、世紀末予測に当てはまるような内容ばかり。五島勉氏の「ノストラダムスの大予言」を彷彿とさせる、異常気象に大地震、原発事故や疫病の大流行、止めを刺すように大国での独裁者台頭と欧州での戦争勃発。

起こってないのは核戦争だけですが、それもウクライナの情勢次第では、あり得なくはない。まったく、予言が当たったと言いたくなるような時代。ちなみに「異常気象」という言葉が、最初に日本のマスコミで取り上げられたのが、同じく70年代だったと思います。当時はスキー場の雪不足など、主に「暖冬」を指してましたね。

さて、ここフィリピンでの異常気象ですが、確かに私たち家族がネグロスに移住してきた10年前に比べると、雨が多くなった印象はあるものの、意外と実感がありません。洪水と台風被害に関しては、ずっと昔からそうだし、元々年中暑いし。むしろ大阪や東京の夏場に比べれば、田舎のネグロスは緑が多いので、凌ぎやすいぐらい。

さらには、本来フィリピンに来るはずの台風が、全部...とまでは言わないにしても、やたら日本に向かっている印象。ネットで見ている限り、今夏以降の日本は、熱波と大雨に交互に襲われているようにすら見えます。

赤道直下に近い熱帯気候の場所って、降ったり照ったりが極端なので、さぞや異常気象の影響も大きいと思いきや、意外にも中〜高緯度地方よりも気候が安定しているのかも知れません。考えてみれば、昨今の日本で言われる「ゲリラ豪雨」なんて、ここネグロスでは頻繁に起りますからねぇ。大阪でのゲリラ豪雨を撮影したYouTube動画を見た時には「まるでネグロスやんか」と思ってしまったぐらい。


2013年に撮影された
大阪府枚方市でのゲリラ豪雨
ということで最近も私は、四季のある日本の気候が素晴らしいと書かれた記事を読んでも、夏は死ぬほど暑くて、春は花粉症、最初から寒い冬は嫌いなので、どこが素晴らしいんだとツッコミを入れてしまう、嫌ぁなジジイと化しております。