2018年10月3日水曜日

人生の撤退戦 離婚編


前回の予告通り、私の人生における撤退戦について。まずは、いきなりヘビーな離婚編。この話を最初に持ってきたのは、別に深い理由があったわけではなく、実体験として、離婚・退職・移住の順番だったから。

私が最初の妻と別れたのは、34歳になったばかりだったので、もう22年前になります。正確な日付は覚えていませんが、ちょうど金木犀が香る季節でした。尼崎の実家に同居していた元妻は、自分で手配した引っ越し業者と一緒に、あらかたの家財道具をトラックに積んで、風のように去って行きました。

作業の間は、終始無言、無表情。ドラマとは違って現実の別れなんて、そんなものなんでしょうね。

思い起こしても、いろんな行き違いの積み重ね、というしかなかった。もちろんこれは私がそう思っているだけで、相手はまた違う気持ちだったのかも知れません。さすがに22年経っても、詳細を書くのは精神的にキツいので、その程度に留めておくとして、ただ言えるのは、どちらかが一方的に悪かったわけではないということ。お互いに気付かないまま、少しづつ負債を増やしていったのが実感。

夫婦の間のことなんて、どんなに近しい友達や、親兄弟、あるいは子供にすら入り込めない。日常生活のあらゆる事が、複雑に絡み合って、実に微妙な夫婦の歴史が作られます。それが上手く回っている状態ならば、どこも似たような仲良し夫婦に見えますが、不幸なカップルはそれぞれに個性的で千差万別だと、何かで読んだ記憶が。

ともかく少々喧嘩しても、何とか許せて我慢できて、時には適当に吐き出して、男女の営みで関係修復できるうちは、まだまだ大丈夫。よく、嫌な部分も含めて、ありのままを愛するのが、ただの恋人同士と違うところ、なんて言いますね。でも、人間の気持ちというのは、時と共に変化するのが常。残念なことに、修復不可能になっちゃうことだってあります。

これは飽くまで私個人の結婚観なので、誰にでも当てはまるかどうかは分からないけれど、本当にムリだと思ったら無駄な足掻きはせず、さっさと別居するべき。不和が決定的になった時、お互いに同じ空間にいることが苦痛で、心を病みそうでしたから。当時は二人とも仕事があって、元妻も私も、意識的に遅くまで残業。帰宅しても別室にこもってました。そんなに広い家でもなかったのに。

その後、置き手紙を残して元妻は出て行き、数週間の別居を経たある秋の週末、前述の寂しい引っ越しとなった次第。

さて、ここからが「撤退戦」とタイトルを付けた理由。古来、勝ちに乗じている時より、一旦兵を引いて形勢を立て直す方が、指揮は、はるかに困難だとされます。日本史上有名なのは、戦国時代の金ヶ崎の戦い。織田信長が、越前(福井県)の朝倉を攻めた際、浅井氏の裏切りのために総崩れとなった、俗に言う「金ヶ崎崩れ」。

この時、信長の判断は、撤退戦の手本とされるほど見事なもので、形勢不利と悟った時点で、信長本人は供わずか10名で戦場を離脱。殿軍(撤退の最後尾を務める部隊で、最大の犠牲を強いられる)を買って出たとされる木下藤吉郎(豊臣秀吉)にとっては、出世の足がかりになる、大きなターニングポイントでした。

とまぁ、ずいぶんと大風呂敷を広げてしまいましたが、離婚も撤退戦も、逃げ出すことを躊躇うと、後遺症が大きくなるもの。下手をすると脱出の機会すら失い、その後の人生に大きな禍根を残すことにもなりかねません。合戦ならば敢え無く討ち死に。

戦端を開くのも、結婚生活も、始める方は意外と簡単。それに引き換え、戦争を終わらせたり離婚するのは、何十倍もの労力と知恵が必要です。後先考えずに玉砕、その結果の無条件降伏だったり、離婚後に金銭的に破綻し、引き取った子供と一緒に貧困へ、というのは最悪の結末。

具体的な戦術は、それこそ千差万別の状況に合わせて、当事者が頭を絞って考えるしかありません。ただ、別れの経験そのものは、決して悪いばかりの事でもなかった。もう一度やろうとは思いませんけど、あの辛い時期を何とか乗り切れたとの思いは、いろんな意味で自信につながってます。夫婦関係は、お互いの努力なしには継続困難だという、手痛い教訓も、確実にセカンドトライには活きてくる。


さて、その私のセカンドトライ。離婚の後にカトリック信徒になり、その縁で出会った今の家内。今度はカトリック同士の結婚で、「死が二人を分かつまで」婚姻を継続することを、神さまの前で誓ってしまいました。フィリピンでの挙式だったし、仕方ないか。何しろ、法律上離婚という選択肢がないんだから。

と思ってたら、移住してから知ったのは、実はフィリピン人でカトリック同士でも、夫婦別れって結構多いこと。Divorce(離婚)はダメでも、Separate(別居)はOK。家内の親戚や友達で、新しいパートナーと普通に家庭を持ってる人はいるし、何を隠そう、メイドのライラも別居して子育て中。

生まれた子供は、両親の婚姻届がなくても、かつての日本とは違い、非嫡出子かどうかを出生記録に記載されることはありません。要するに実質的には、離婚・再婚が認められているようなもの。やっぱり、神ならぬ人の為すこと。失敗することもあります。たとえ結婚にしくじっても、残り人生全部を台無しにする必要がないのは、フィリピンでも同じ。

もちろん、幼い子供たちを放ったらかしにして、次のパートナーの元に走るのは、道義的に許されません。でも、私の周囲で、両親が別居した人たちって、少なくとも経済的には普通の暮らしをして、ちゃんと大学卒業したり、成人後自立して生活してるんですよね。以前に美女イラストのモデルになってもらったオフィレニア5人姉妹も、実は父子家庭で育ちました。


あの子たちを見ていると、無理して同居を続けて、家族全員が精神的にしんどい状態でいるより、たとえ親が一人であっても、別居した方がまだマシだったと思えるほど。まぁ、私の場合、離婚時には子供がいなかったので、あまり無責任なことも言えませんけど。

ということで、しないに越したことはない離婚も、次のステップに進むためには、敢えて前向きに「撤退戦」と考えてはどうでしょうか。人生の究極目標は、幸せになることだと思うんですよね。死にぎわになって、あの時我慢しなけりゃ良かった、なんてことにだけは、なりたくないですから。


次回の、人生の撤退戦は、「退職編」です。


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