2018年10月4日木曜日

人生の撤退戦 退職編


前回の離婚編に続き、今日は退職についてのお話。

退職と言っても、次の職場が決まっている転職もあれば、病気で辞めざるを得ないとか、結婚や出産に伴うもの、定年など、いろいろあります。転職の場合は、撤退のイメージじゃないですね。せいぜい作戦変更という感じ。

約6年前に私がやった退職は、定年まで10年を残した50歳での早期退職。しかも、その後はフィリピン移住を控えて、少なくとも日本国内で再就職の予定はまったくなし。これを撤退と言わずして何と呼ぶ、ぐらいの勢いでした。

私が大学を卒業した、昭和60年(1985年)の日本は、バブル経済絶好調の時代。短大を出て、私より2年早く社会人になった、高校のクラスメートは、めでたく証券会社に就職。2年目の頃には、年収が500万円(30年前で!)ぐらいあったんじゃないでしょうか? ボーナスの金額が大きすぎて、年4回に分けて支給されたと言ってました。今となっては、夢のまた夢。

某電気メーカーに、デザイナーとして入社した私は、もちろんそんなに貰ってた訳はないけれど、現在の水準に比べれば、かなりの高給取り。しかも、銀行の定期預金で年5〜6%もの金利があった時代。郵便貯金の定期に至っては10%超えの時期もあったらしい。

とまぁ、そんな右肩上がりのイケイケドンドン。実入りのいい会社に入ってしまえば、もう人生は安泰だと思われておりました。終身雇用に年功序列。誰も文句言いませんよ。自分の食いっぱぐれがないんだから。

振り出しがバブルだった私たちの世代。ご存知のように、多少の紆余曲折はあっても、その後ほぼず〜っと下降線。カジノで最初に大当たりして、チップの山を築いたはずが、年々それが減っていくのを見ているようなサラリーマン人生。実際は、90年代に東南アジア市場担当だったので、少し長めに面白い仕事を経験できたのですが、それも1997年の、タイから始まったアジア通貨危機で、すっかりトーンダウン。

その頃からですね、仕事の不調に離婚などが重なり、精神的に厳しくなってきたのは。輪をかけて、商品デザイン現場の専門職を続けるのではなく、管理職にならないと居場所がなくなる、みたいなプレッシャーが、年齢と共に強くなる。美術系大学を出てデザイナーになったのは、課長や部長を目指したのではなく、絵を描いてメシが食えるからだったんですけどねぇ。

そんな経緯で、定年を待つことなく、再婚した今の家内のふるさと、フィリピン・ネグロス島に移住しようかと思い立った次第。もちろん、そう考えた40歳ごろ、すぐに辞めてしまったら路頭に迷うだけ。当時は50歳になると同時に、退職金がガ〜ンと上がるシステムだったので、最短でも10年は頑張ろう、と心に決めたわけです。

自分の中では、理路整然とした思考の末の結論でも、親兄弟や親戚、同僚に上司も含めて、周囲の人たちの反応は冷たかった。会社辞めたら、いかにたいへんで苦しいか、生き甲斐を失って、どんなに喪失感があるか、延々と言われましたね。

でも面白いのは、ネガティブな意見は、ずっと会社勤めしている永年勤続サラリーマンからばかり。独立してデザイン事務所をやってる友達などは、「なんとかなるもんやで」と軽いノリ。

そして迎えた50歳到達の2012年。まさに誕生日を迎えようとしていた10月に、私の所属する部門で、希望退職者を募集が発表されました。渡りに船とはこのこと。打ち気満々、思いっきり振りかぶっていたところへ、ど真ん中の甘い球が来たようなもの。そりゃフルスイングしますよ。

かくして、2012年の年末。オフィス内の身辺整理も、関係職場の同僚や先輩への挨拶も滞りなく済ませて、28年間勤めた会社を後にしたのでした。その日は気のせいか、世界が2割り増しぐらい明るく見えました。自分史上、最高の懐具合だったこともあるし。


日本で、中年以上の人間が、会社を辞めるとなると、かくのごとく一大決心の上に、用意周到な段取りがないと、次のステップに移るのが難しい。特に転職となるともっと面倒で、キャリアに空白があることを、雇う側も当の本人も、すごく問題視しますからね。

これがフィリピンだったら、私もここまで悩まなかったのは間違いなし。この国では、大学卒でも職探しが難しい割には、勤め先を辞めることに、あんまり抵抗がありません。嫌なら辞めたらええやんか、という感じ。我が家のメイドさんも、5人雇ったうちのアミーとネルジーは、長期休暇で里帰りしたままの離職。一番最近のジャジャは4日でギブアップ。

フィリピンで会社を経営する日本人の方の話を聞くと、そこそこの給料を払っていても、ある日突然来なくなる人は結構いるらしい。気がつけば、いなくなった社員が、いつの間にかライバル会社に転職してたり。

最近思うのは、日本人の仕事観って、深刻に過ぎるんじゃないかということ。基本は、生活の糧を得るだけが目的なのに、なにやら精神修行みたいな考え方をする人が多い。また、以前ほどではないにしても、社員を疑似家族扱いして、社員旅行やら飲み会参加を強制したり。これって大昔の、徒弟制の名残りなのかも知れませんね。


ということで、約10年の計画の末に決行した、人生の撤退戦。戦場離脱のタイミングも、撤退後の備えも、かなり上手くいきました。あれから6年。今のところは、後悔も喪失感もない、平穏で幸せな日々を送っております。

次回は、シリーズ最終回の「移住編」です。


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