2018年10月5日金曜日
人生の撤退戦 移住編
前回に続き、今日はシリーズ、人生の撤退戦の最終回、「移住編」です。
どうも日本人は、生まれた国から出るのも、他から人が入って来るのも、特別扱いし過ぎる気がします。例えば、海外から労働者についての議論を聞いていると、受け入れた途端に、国の一部は外国人に占拠されスラム化し、治安は一挙に悪化、のような極端なイメージが先行してしまう。いい例が、池袋に最近できたチャイナ・タウン。
あの街並みって、別に日本人が入れない訳ではなく、単に同業のお店が集まっただけ。秋葉原や大阪・日本橋の電気屋街みたいなものなのに、簡体字の看板が並んでいたり、聞こえて来るのが日本語ではない、となった瞬間に、強烈な拒否反応を示す人が出てくる。
また、日本人が海外移住すると言うと、裕福なエリートと思われるか、日本にいては実現できない夢を追いかけて、無一文から血の滲むような努力をしに行くか。とにかく両極端だと思われがち。日本人は日本に住むのが当たり前で、外国人は珍しい。そうではない人は、何かよほど特殊な事情があるんだ、と言わんばかり。
さらに移住先がフィリピンの場合、企業の駐在員やその家族でもなければ、犯罪者が高飛びする、みたいな言い方をする人だっているぐらい。私も移住前には、「年老いた親を捨てて、フィリピンに逃げるのか?」と、真顔で言われたことがありました。
まぁ、私がフィリピンに初渡航した、1990年代に比べると、かなりマシにはなったとは言え、まだまだ、海外=観光旅行の経験しかない人は、退職後、フィリピンに住んでいる中高年(特に男性)は、人生の負け組で、文字通り、日本から撤退してしまったと見ちゃうんでしょうね。
この投稿も「人生の撤退戦」なんて、タイトルだけ見ると、ずいぶん後ろ向き。確かに日本から離れたのは間違いないし、敢えて「敗者復活」の意味合いも含めてます。でも私の正直な心境を吐露すると、他人よりちょっと早めに引退して、自分が一番住みやすいと思った土地に引っ越した。それがたまたま、家内の実家のネグロスだったというだけのこと。
前回・前々回に取り上げた、離婚や、28年も勤めた会社を退職したことに比べれば、決断に要した心理的負担は、お話にならないぐらいに軽い。この二つの撤退は、一度実行してしまえば、元の状態に戻すことが、事実上不可能ですからね。今は、日本での住民票を抹消し、フィリピンに住んでいても、帰ろうと思えばいつでも帰れる。日本国籍まで捨てたわけではありません。
移住すれば、国籍を含めた一切の日本国民としての義務も権利も消滅すると、誤解している人もいるようです。税金を払ってない奴が、日本の政治や教育に口出しするなと、このブログのコメントに書かれたり。
これって、日本で話題になっている、あまり利口とは思えない国会議員が、生産性のない人間に税金を使うべきではない、という意味のことを雑誌に書いたのと同じ発想。要するに国の役に立たなければ、日本国民としての権利は認めないということ。
そんなアホなことはない。投票までのプロセスは多少面倒ですが、今の私にだって選挙権はあるし、そもそも、子供が作れない、税金を払ってない、あるいは外国に住んでいるから、国民の権利が制限されるなんて、日本国憲法のどこにも書いてません。
それはさて置き、現実の移住については、実にあっさりしたもの。海外移住独特の手続きらしい手続きと言えば、最後に住んだ福岡市中央区の区役所で、転出届けを出す時に、健康保険や年金の支払いの中断を申告したぐらい。この二つは国内に住民票がなくなれば、支払いは任意となります。もちろん年金は、65歳になれば、満額ではなくても、28年間払い続けた金額に応じて(ネグロスで生活するには十分なほど)支給されるし、健康保険はいつでも、再開可能。
私には相当な思い入れがあったので、福岡空港から飛び立った時には、やや感傷的になったものの、着いた先は、勝手知ったる家内の実家。気候も食べ物のも慣れ親しんだ場所なので、故国を捨てて云々みたいな悲壮感は皆無。
フィリピンでの永住ビザ取得も、半年ぐらい待たされて面倒だったけれど、手続きそのものは、大したことはありませんでした。居心地のいい家を建てるのは、少々手こずりましたけどね。
離婚・再婚や定年前に会社を辞めることは、今時さほど珍しくもなくなった日本。海外移住こそ人生の一大事で、本当にやっちゃう人は少数派と思う人の方が多いでしょう。私にとって、その海外移住が、ごく自然で無理のない選択だったというのは、考えてみれば不思議な感じですね。
場所:
フィリピン シライ市
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大変勉強になりました‼南の国は昔からの憧れていました。何でも知りたい⁉
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