今年のイースターは3月27日。カトリックにおいて最も意味深い、イエス・キリストの復活を祝う日。それに先立つ1週間前の日曜日は「枝の主日」と呼ばれ、イエスのエルサレム入城を、当時の人々がナツメヤシの枝を持って迎えたことに起因する行事です。
去年は、シライ市内最大のサンディエゴ大聖堂でミサに与り、その様子をこのブログでも投稿しました。今年は、自宅近くの神学校付属のチャペルでのミサ。大聖堂では省略していた、ミサ冒頭の屋外での聖書朗読と、持ち寄った枝(フィリピンでは、パーム・サンディの名前通り、ヤシの葉)への神父の祝福(聖水を振り掛ける)の儀式に参加することができました。
日本では、どの教会でも必ず行われていると思いますが、私はフィリピン移住後初めて。ちょっと感じが違ったのは、日本だと桜の咲く時期の枝の主日が、こちらでは真夏になります。今日もよく晴れて、南国の太陽が燦々と照りつける中のミサでした。
前回の大聖堂でのミサは、全部地元方言のイロンゴだったのが、今日のチャペルでは、神父さまの説教以外は全部英語。このチャペルは、通常のミサも基本は英語で行われ、月に一回ぐらいが「イロンゴ・ミサ」になります。もう移住して3年になろうかとしているのに、私はイロンゴはまだまだ片言しか分かりません。息子も、通っている小学校が英語での教育を信条にしているので、私よりはマシとは言え、ミサの進行はほとんど理解できない。やはり何を言ってるか分かる英語は、助かります。
さて、ミサの中で「答唱詩篇」という箇所があります。これは聖書の一部にメロディを付けて、先唱者が一節を独唱し、続く一節を信徒全員で答唱する、掛け合いの節付き聖書朗読のようなもの。日本にいた頃は、聖歌隊に所属していたので、私も時々先唱の役を仰せつかりました。特に枝の主日での先唱は、十字架上のイエス自身の言葉で綴られ「私の神、どうして私を見捨てられるのか?」という痛々しい内容。
こういう悲痛な歌詞の答唱詩篇は滅多にないので、結構難しい。さすがに笑顔で歌えるような歌詞ではなく、意識しなくても眉間にシワが寄ります。今日の先唱者は神学校の生徒さんで、やっぱり悲しそうな顔で歌ってました。それを見て、やっぱりどこへ行っても同じなんだなぁと、つい笑いそうになってしまった。
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