2019年9月17日火曜日

南国映画館「この世界の片隅に」


本当に遅ればせながら、やっと観ました「この世界の片隅に」。日本で公開されたのが3年前の2016年。その時にはもう私はネグロス島に住んでいたので、ネット経由だけながら、それでもかなり話題になってました。

まず、クラウドファウンディングを使って、四千万円近くの製作資金を集めたというのがすごい。映画を観てから、キンドルで原作のコミックを読んだところ、確かに監督の片渕須直(かたぶちすなお)さんが惚れ込むのも分かるし、これをアニメで観たいと思う支援者がたくさん集まったのも、無理はないという出来栄え。

私がこの映画のDVDを購入したのが、一昨年(2017年)に一時帰国した時。去年、姪っ子が英語留学で我が家に逗留してた時に「これ観たい」と言われたけど、時間が取れず。

実は、原爆を扱ったものなので、何となく観るタイミングを逸してたというのが正直な所。恥ずかしながら、小学生の時に読んだ「はだしのゲン」がトラウマになっていて、一人で観るのを躊躇ってました。家族と一緒にしても、それなりに気合いが必要で、結局2年以上も居間の棚に放置状態。

満を辞してDVDを開封したのが、今年(2019年)の広島原爆の日8月6日。結果から言うと、もちろん一部に被爆直後の悲惨な描写はあったけれど、全体としては、何とも温かくて切なくて、心が安まるような映画。この作品を評するには、もう散々使われたであろう表現ながら、たとえ住んでいる国が非常時でも、人々の暮らしは同じように続き、嬉しいことも悲しいことも、平時と変わらなかったんですね。

広島弁の発音にも、相当な神経を使ったとのこと。そのせいか、まったく違う作風ながら、全編に方言を使い、とてもリアルに大阪の下町を再現した「じゃりン子チエ」を思い出してしまった。私は原作もアニメも、ネグロスに持って来てます。

さて、戦時中の日本というと、国中が上から下まで年中ピリピリ緊張していたようなイメージがあって、当時を舞台にしたドラマや映画では、誰もが戦争協力を第一に振舞っていた(あるいはそう見せるようにプレッシャーがかかっていた)と描かれることが多い。

でも考えてみたら、朝から晩までそんな状態なわけはなくて、実際、当時小学生だった両親の話を聞くと、辛い体験がある反面、意外と疎開先・信州の田舎生活を楽しんだ思い出もあるようです。そりゃそうですよね。

そして、原作にも映画にも一貫してるのが、日常生活のリアリティ。食材をどうやって調達し、料理し、衣服は、住居は...。ちょっとした一コマでも、おそらく当時の写真や書物を探したり、体験者からの聞き取りをしたりなど、たいへんな労力が必要だったでしょう。

素人ながら、時々イラストを描いている経験からすると、モデルのコスチュームや持ち物、背景など、かなりきちんと調べないと、想像だけでは全然リアルな絵にならない。たった一枚描くだけでそうですから、戦争を知らない、私とほぼ同世代の、こうの史代さん(原作者)と片渕須直さん、およびスタッフの熱意と苦労が偲ばれます。

さて、一緒に観た、中学一年生の息子の反応。
途中で飽きてしまわないかと思ってましたが、「スターウォーズ」や「宇宙戦艦ヤマト2199」に対するのと同様の集中力を最後まで維持。なるほど、子供には歴史の教科書より、よっぽど伝わるもんですね。良質な映像作品の持つ力を実感しました。今大学生の姪っ子が、絶賛してたのも頷けます。

それに、ただ昔の日本を興味深く、だけでなく、各所に今のフィリピン暮らしと重なる部分があって、同じシーンで親子がニヤリ。例えば大事に仕舞ってあった砂糖壺にアリがたかる場面。フィリピンの家庭では、映画と同じく、食材の入った器を水盆に置いたりするんですよね。

ところで、この映画、原作ではとても重要なピソードのひとつが、ほとんど丸ごとスキップされてました。当初から片渕監督は、もし映画がヒットしたら、その部分を追加した映画を作る、という意味の発言。

その言葉の通り、映画館によっては2年以上に及ぶ、異例の大ヒット・ロングランを記録し、世界中に配給。約束を守って、この12月、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」として、「完全版」が公開されるそうです。今度はネグロスの映画館でも観られるでしょうか?


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