2019年10月24日木曜日

身近の異文化


異国の人と家族を作り、異国に住んでいると、あまりに当然過ぎて意識することもなくなってくるのが文化の違い。言葉や宗教観、歴史への認識はもちろん、細かいところでは、食事の作法に味の好み、笑いのツボや怒りの逆鱗まで、指摘しだしたらキリがない。

特に私みたいに、意味なく日本人同士で群れるのが嫌いという偏屈な性格だと、否応なしに大多数のフィリピン人の中で、日本人は私ただ一人になるシチュエーションが普通。6年半もこれなので、慣れざるを得ません。

それでも最初はストレスが溜まったものです。一番多いのは、こっちが客だったりクライアントの立場になった時。スーパーのレジで長蛇の列が出来ていても、係のお姉さんは鼻歌混じりでチンタラ仕事してたり。頭数が多いのに、他にたくさん空いているレジを開けるわけでもなし。

今、自宅裏庭でゲストハウスを作ってくれている大工さんにしても、アラを探せばいくらでもあります。タバコの吸殻や空き箱をポイ捨てするし、道具は出しっぱなしで帰っちゃうし。(本当に高価な工具は仕舞いますけど)

昔、父親が監督を務めるビルの工事現場でバイトした時、一日中掃除ばっかりやらされた身にすれば、ゴミを散らかしたままにできるメンタリティが理解できない。見た目のきれいさも去ることながら、危ないでしょうが。実際、古釘を踏み抜いて休んだ人もいるし。敷地内で立ちションするのだけは、さすがに注意しましたけどね。

さらに身近では、メイドさん。
サンダル脱いだら右はあっち左はこっち。買い物頼んだら、お釣りのお札はグチャっと丸めて財布の中。照明の付けっ放しも時々やってます。

こんな場面に出会すと、陥りがちなのが、日本人は優れていて、フィリピン人の民度が低いという一面的な思考。でも考えてみれば、レジ係の人たちなんて、安月給の上に半年でクビになる。そんな待遇で優秀な労働者が集まるわけがない。

大工さんにしても、それに近い状況。家を建てる腕さえ許せるなら、後は誤差の範囲と思わないと、こっちが疲れる。メイドさんに至っては、毎日顔を合わせる点では、家族に準じる存在。毎日ガミガミやったら、すぐに辞めてしまいます。

安全のために整理整頓とか、節電ならばまだしも、脱いだ履き物を揃えるのがなぜ必要なのか、ちゃんと理詰で説明しろとなったら、困ってしまう。

ところが最近、そんなフィリピン在留邦人的な状況が、日本でもジワジワと押し寄せているようです。日本の友人が、コンビニで100円の印鑑を買おうとしたら、順番がバラバラに置かれていた。店の人に言おうとしたら、ノン・ジャパニーズの店員さんばかり。これは仕方がないなと諦めたそうです。

それでもベトナムやネパールの人を相手に、罵詈雑言を吐く輩がいるらしい。ただ、ツィッターでの投稿を見ていると、あからさまに差別意識丸出しの客には、毅然とした態度で臨む店も増えている。そりゃ利益に繋がらない客(とも言えない)を出禁にして、貴重な労働力を守った方が合理的だし、マトモなお客さんは増えるとのこと。

これは、フィリピン人の家内と一緒になった時にも思った事ですが、最初から文化も思考形式も違うと思ったら、細かい事は気にならなくなります。もっと言えば、そもそも国籍がどうあれ、人間って一人一人別人格。違うのが当たり前。

こんな「世界の常識」が、異常なまでに同質性を要求する日本にいると、なかなか見えなくなるんですよね。


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