2019年10月3日木曜日

57歳の誕生日に思うこと


今日10月3日は、私の誕生日。昭和37年(1962年)生まれなので、今年(2019年)で57歳になります。このブログは、英語留学やボランティア活動で、ネグロス島に興味を持った若い人が読んだりすることも。そんな人たちからすれば、1962年なんて、もう歴史の一部という感覚でしょう。

この年は、ビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥー」でメジャーデビュー。戦後初の国産旅客機YS11(懐かし〜)が完成し、007ジェームスボンド映画の第1作「ドクター・ノオ」が公開。

世界情勢では、米ソ(アメリカとソビエト連邦のこと)冷戦真っ只中で、ベトナム戦争が激化。キューバ危機が起こって、全面核戦争の一歩手前まで行きました。

ちなみに10月3日、まさに私が生まれた当日には、阪神タイガースが2リーグ制後の初優勝。だからと言って、タイガースファンにはなりませんでしたけど。

マリリン・モンローが亡くなり、その後世界的な薬害事件の原因となった、サリドマイドの催奇形性が発覚して使用中止。つわりの症状改善で処方されたこともあり、私が被害者になっていた可能性もある、たいへん恐ろしい出来事。

同年生まれの有名人では、松田聖子ちゃんに、布袋寅泰さん。トム・クルーズボン・ジョヴィ。ノーベル賞を受賞した山中伸弥博士、脳科学者の茂木健一郎さん、叶姉妹の恭子さんもいます。

と、並べてみると、確かに歴史の1ページですなぁ。

ところで、日本生まれのこの世代って、結構激しい浮き沈みを経験してるんですよね。小学生ぐらいまでは、東京オリンピックだ、東海道新幹線開業だ(1964年)、大阪万博(1970年)だと、行け行けドンドンの高度経済成長だったのが、いきなりのオイルショックでエゲツないインフレに見舞われます。

一気に世相が暗くなって、「タワーリング・インフェルノ」に代表されるパニック映画や、1999年に世界が滅ぶとする「ノストラダムスの大予言」が流行ったり。と思ったら、学生時代から就職期の1980年代には、今では「神話」と化したバブル経済。そしてトドメに「失われた20年」。まるでジェットコースターみたい。

私の親世代も、浮き沈みという点ではもっと激しい。何しろ、原体験が敗戦後の焼け野原。その分、本当のドン底生活が骨身に染みているので、母親に言わせれば「もう、怖いもんあれへん」とのこと。打たれ強いこと、この上なし。

父親なんて、バブル後に自己破産まで経験しているのに、一度も「困った」という顔を見たことがありません。保証人になった私や、後始末をした弟の方が、よっぽど苦労した感じ。

多分そのせいでしょうね。嫌韓・嫌中を叫び、クール・ジャパン話が大好きで、現実逃避するネトウヨ連中に、50〜60代のオっさんが多いというのは。たまたま日本が調子のいい時代に、青春期、壮年期を謳歌し、精神論で頑張れば大丈夫との幻想を捨てられない人々。厄介なのは、自分の成功体験=日本の伝統と、思い込んでいるところ。

その上、最近の中高年は、私の祖父母の世代に比べると、10歳から20歳ぐらい肉体年齢が若くなっている。これは私の実感であり、そう思う同世代の方も多いのでは?

唯でさえ現実に不満タラタラの上に、なまじっか身体が元気なので、ちっとも達観の境地に至らない。やたら怒りっぽくて不寛容な老人が増えることになるわけです。お店やレストランで、従業員に偉そうにしてる人って、半分以上が中高年の印象。「老害」なんて言葉が流行るわけだ。

なので、50歳をいくつか過ぎたら、若い人たちの迷惑にならず、不要なストレスを溜めないよう、早めに引退することを強くお勧めする次第。それでは生活ができないなら、日本を脱出すればよろしい。できない理由を理路整然と述べる人は、相手にする必要はありません。

日本を出るかどうかは別としても、まだ先の長い残り人生を充実させるためには、できない理由ではなく、できるためにどうするかを考えるべき。そうでないと、1960年代、昭和30〜40年代生まれの同輩諸氏は、これからの日本で生きるのに、ずいぶんと困難が待ち受けていそうですよ。


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