成人してからの洗礼の場合、日本のカトリック教会では1〜2年ぐらい、代父母(いわゆるゴッドファーザー・マザー)の指導で勉強するものらしいんですが、私の場合は、耳学問の知識があったのと、代母になった家内の叔母という人が、とてもせっかちで思い込みもキツい人だったので「じゃあ、明日洗礼受けましょう!」と決めてしまいました。
このフィリピン人の叔母さん夫婦が日本に住んでいて、未信者ながら教会に通っていた私と友達付き合いをするようになり、フィリピンへの里帰りの時に現地の自宅に遊びにいったのが、家内と出会うきっかけだったのでした。
とまあ、不思議な縁(と仏教用語を使うのも変ですが)で、自覚も覚悟もきわめて希薄なままカトリックの信者になってしまい、今に至っております。このブログでのハンドル・ネームも、洗礼を授けてくれたスペイン国籍のバスク人神父のファーザー・パラシオスに付けてもらった「霊名」。日本史上初のカトリックを伝えた、有名な聖フランシスコ・ザビエルは、この神父さんと同じバスク出身です。
フィリピンに移住してから通っている最寄りの教会は、新居のある「ビレッジ」内にある修道院付属のチャペルで、それほど大きくもなくちょうど日本によくある教会のサイズ。お御堂は100人も入ったらいっぱいになるぐらいでしょうか?
日本と違ってカトリックが人口の9割以上を占めるフィリピンなので、別にここでなくても大きなカテドラルもあるのですが、ここに決めたのは英語でミサをやってくれるから。
ネグロス島の西半分の母語はイロンゴ語という方言で、神父さんも普段はこの言葉で生活しています。大きな教会では、イロンゴのミサが標準。カトリックのミサは、全世界同じ式次第なのでイロンゴで喋っても、何をやっているのかはだいたい分かるのですが、問題は、聖歌。日本では聖歌隊に入ったりしていたので、やっぱり歌いたいんですよ。
この修道院のチャペルでは、英語がメインなだけですなく、ちゃんとスライドで歌詞を映してくれるので、何とか合わせることができます。しかも、たまに「栄光の讃歌」や「主の祈り」をタガログ語で歌うこともあるのですが、表記はアルファベットなので、歌詞さえ見せてくれれば何とかなります。
さすがに説教だけは、いつも地の言葉のイロンゴなので、英語・イロンゴ語・タガログ語を変幻自在に使い分けたトリリンガル・ミサの毎週ですが、この頃は、どの言葉の聖歌でも、歌える曲のレパートリーがだいぶ増えてきました。
これで、もう少し説教の意味が分かるようになればなぁ。
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