2014年7月9日水曜日

マルチリンガルへの道

私の家族、家内に息子そして私は、三人とも幼少期の言語環境が違い、それぞれ第一言語以外の言葉の習得には苦労してます。敢えて第一言語以外と書いて外国語と記さないのは、家内の国フィリピンが国内にお互い意思疎通ができない言語を多数抱える、他言語国家だから。

まず私は、他の多くの日本人と同様、成人するまでほぼモノリンガル(単一言語話者)で過ごし、仕事の関係でどうしても英語が必要なため、これまた多くの日本人同様、苦心惨憺して何とか海外で単独業務ができるようになりました。とは言っても、英語の映画や歌は未だによく分かりません。

今、三つ目の言葉のフィリピンの方言「イロンゴ語」を学ぼうとしてますが、五十歳過ぎてからまったく新しい言葉を詰め込むのは苦行。移住後一年ちょっとで、ようやくそこそこの挨拶が何とかできる程度です。

そこへ行くと家内のマルチリンガルぶりは凄い。母語のイロンゴ語はもちろん、公用語のタガログ語(正式にはフィリピノ語)、第二公用語の英語は完全にネイティブ・スピーカーのレベルで、アメリカの映画もドラマも字幕なし(フィリピンでは英語には字幕付きませんが)で理解します。羨ましい限り。フィリピンで大学まで進学すれば、これが当たり前。

その上、イロンゴ以外にセブアーノというフィリピンでは最大言語も理解するし、スペイン語も少し分かる。しかし日本語では苦労しました。

結婚して来日当初は、日本語は片言。ここで変な日本語を覚えられると嫌なので、最初の一年間は学習塾で有名な「公文」が運営していた日本語教室に通わせました。案の定、漢字、敬語、数詞には悩まされたようで、未だに変な表現もしますが、今では家内との会話はほぼ日本語(正確には大阪弁?)。たまに分かりにくい時だけ英語になるぐらい。

さて、目下頑張っているのは、もうすぐ9歳の息子。英語は日本にいる時に幼稚園ぐらいで家内が絵本の読み聞かせしてたお陰で、もう私の読解力は追い抜かれそうです。7歳から突如彼の人生に入って来たタガログ語とイロンゴ語。これは大変でした。

本来ならば、移住当初には小学校2年生になる歳だったのですが、こちらの学校の編入試験で、質問がタガログ語だったため、まったく歯が立たず号泣。試験官の先生に「難しすぎる〜。」と英語で泣訴したそうです。そこで、このまま学校嫌いになっては困るので、先生と相談の上、1年生からやり直しになりました。

日本では優等生だった息子。プライドをいたく傷つけられて最初は抵抗しましたが、結果的にこれはうまくいったようです。全教科の試験の平均点が毎回90以上が1年続き、その都度、表彰状みたいなものを貰ってきました。(親馬鹿失礼)大好きとまでは言わないけれど、朝学校に行くのを渋るようなことには、なっていません。


フィリピンの教科書 フィリピノ語、英語、母語(イロンゴ語)
手前は日本で購入した国語の参考書


なんでこんな話を延々と書いたかというと、今日、日本にいる友人から、娘さんのクラスメートのフィリピン人の女の子が中学の勉強に付いて行けず、どうしようか?と相談されたことで、いろいろ思い出したり、考えたりしたからです。

聞くと、小学生の高学年でお母さんと一緒に来日してから、きちんとした日本語教育を受けていないらしい。可哀想なのは、英語をちゃんと習得し終わる前に日本に来たので、英語も日本語も中途半端なままなんだそうです。恐らく母語のタガログ語は、ネイティブなんでしょうが、たとえ帰国しても、英語がビジネスレベルで話せないと、就職はとても制限されてしまうのがフィリピンの難しさ。

昨今英語留学ブームで、フィリピン人は誰でも英語を喋れると思われているかも知れませんが、教育機会がなくて、フィリピン育ちでも母語しかできない人もたくさんいます。私たちの住むシライ市の目抜き通りに「子供をサトウキビ畑ではなく、学校へ通わせよう」というキャンペーンのポスターが貼ってあります。

実際、多いんですよ。小学校にも行けず超低賃金で重労働している子供が。事情は、様々あるでしょうけど、それぞれの社会で必要な言葉だけは、小学校卒業の年齢までにちゃんと勉強させるのが、親や保護者、広くはその社会全体の最低限の義務だと思います。その子の人生にとって、取り返しがつかないことですから。


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