2017年3月31日金曜日

電動トライシクルの挫折...していなかった【追記あり】

【追記】
この投稿をアップしてから約1週間後、読者の方から、元になったネット記事の一部が正確ではない、とのご指摘がありました。アジア開発銀行からの融資はキャンセルになっても、トライシクルの電動化事業そのものが、中止になったのではないようです。
詳細が明らかになり次第、この場に投稿します。


昨年(2016年)の11月のこと、フィリピンのエネルギー省というお役所から、それまで進められていた電動トライシクル事業の中止が発表されました。

フィリピンに縁のある人なら、お馴染みのトライシクル。英語で Tricycle というと三輪車のことで、子供用のものも含まれますが、フィリピンではエンジン排気量100cc程度のバイクに、サイドカーを取り付けた、輪タクを意味します。フィリピン全土に普及していて、数百メートルから数キロぐらいの移動は、ほとんど誰でもこのトライシクルを利用。

日本人なら、それぐらいの距離は歩いたらいいのに、と思う人も多いでしょう。私もそう思って、多少暑くても歩くようにしています。そうして途中知人に出会うと、大抵怪訝な顔をされてしまう。車があるのにどうした、と言いたいらしい。近所に住むオジさんなど、私が歩いている横を車で通ると、わざわざ停車して乗って行きなさいと勧めてくれます。

まぁ確かに、メイドさんに買い物を頼むときには、トライシクル代を渡すのが当然だし、学校の行き帰りに子供を歩かせたりしたら、虐待だと言われかねないお国柄。それほどまでにトライシクルは、フィリピンの日常生活に溶け込んでいます。


ネグロス島の自宅付近を走るトライシクル
地域によってデザインもさまざま

このトライシクル、フィリピンだけの専売特許というわけでもありません。インドの「リクシャー」、タイの「サムロー」、インドネシアの「バジャイ」など、呼称は違っても、南〜東南アジア諸国では、だいたい同じようなスタイルの輪タクがあるそうです。

さて、庶民の足と呼ぶべきトライシクルの電動化。これは、マニラ首都圏に本部を置き、歴代総裁を日本人が務めるアジア開発銀行から融資を受けての国家プロジェクト。2011年から実証実験が始まっていて、当初計画では2016年までに、10万台の電動トライシクルの導入の予定。ちょうど私がフィリピンに移住する直前頃には、日本の渦潮電機を始め、各国メーカーが受注合戦の真っ最中でした。

これで私が移住した後何年かしたら、フィリピン都市部の大気汚染も、少しは緩和されるかもと期待していました。ところが最初に書いたように、それから5年でプロジェクトは敢え無く挫折の憂き目に。

その理由はと言うと、高価過ぎて手が届かないだとか、すぐ故障するとか...。そもそもトライシクルドライバーに、そんなにお金がないことや、炎天下や洪水での冠水が多い過酷な環境で、大人を5人も6人も乗せて走ることは、最初から分かりきった話。アジア開発銀行が融資を決める時点で、問題が解決できる目処は立っていなかったのかと、言いたくなります。ネットの記事でも「アジア開発銀行の大失態」と手厳しい論評。

先進国で使いこなされ低コストになった「枯れた技術」が、フィリピンで短期間のうちに爆発的普及を見るのは、よくある話。代表的な例が携帯電話。ところが今回の電動トライシクルは、もし何十万台の単位で交通機関としての普及に成功すれば、おそらく世界初だったでしょう。フィリピンでそんな取り組みが行われるとは、時代も変わったと喜んでいたんですけどねぇ。

考えてみれば、21世紀に入って20年近く経った今でも、電力の安定供給が実現できていないフィリピン。首都圏ではかなり改善されたとは言え、地方都市でたくさんのトライシクルが一斉に充電したりすれば、停電が頻発する心配もあります。トライシクルの電動化以前に、解決するべき問題が山積しているのが現実。

それにしても勿体ないのは、フィリピンでトライシクルの電動化はダメというイメージが固定してしまうこと。一度こうなってしまうと、外国で成功事例が出ても、簡単にはやり直せないかも知れません。特に今回、率先して電動トライシクルを購入して、大損してしまったオーナーやドライバーは、金輪際、新しい物には手を出さないという心情になっていることでしょう。

ちなみに、この事業の一翼を担うはずだった渦潮電機。中止発表から半年経った今も、ホームページでは受注成功のアナウンス以降、この件については何のコメントもありません。


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