2017年7月9日日曜日

フィリピン許しの精神 「キリノ大統領の決断」

先週投稿した「これがフィリピン・カトリック」で、フィリピン人のメンタリティに、カトリックの教義が与えたであろう影響を、自分なりの視点でまとめました。私としては、表面的にはエエ加減に見える一部のフィリピンの人々が、実はカトリックの教えに忠実なのではないかと、少々の皮肉とフィリピンへの愛情を込めたつもりの執筆内容。

ところが私の筆力が及ばず、「だからフィリピン人やカトリック社会は、日本人には理解できない」なんて、当方の意図とはずいぶん外れたコメントも頂戴してしまいました。そもそも1億人以上もいるフィリピン人や、12億7千万人もいるカトリック信徒を一括りにして「日本人には理解できない」と言うのも乱暴な話なんですけどね。

以下、前回の投稿で書いた内容と矛盾するじゃないか、との批判を承知で書きます。よく耳にする「フィリピン人は約束/時間を守らない」「借金を返さない」「自分に甘い」といった、フィリピン人のネガティブなメンタリティの本質的な原因は、カトリックの教義に由来するだけの、単純な話ではなさそうです。

どちらかと言うと、カトリックにおける「許し」は、原因よりも言い訳に使われている気がします。実際はもっともっと根の深い問題で、300年に及ぶスペインから搾取や、その後の日本とアメリカの戦争に翻弄された歴史、マルコス一族によって20年間も奪われた言論の自由など、自分の意思とは無関係に、運命を他人に決められ続けたことへの諦めが、一種の国民性として根付いてしまった。

なので少々頑張っても、結局思った通りにはならなくて、貧乏からも抜け出せない。生きるためには、法に触れることも仕方ないし、少しぐらい不義理なことをしても、神さまは許してくださる...。

なんだか書いていて切なくなってきました。私の知る限りでは、ちゃんと教育を受けた人たち、つまり経済的に余裕のある家庭に育った人は、そんな風には考えない人が多いと感じます。親の世代も自分も、それ相応に努力が報われてきた、成功体験があるからなんでしょうね。この話も結局のところ、突き詰めてしまえば、歴史と貧困問題に行き当たる。

考えようによっては、どうにも自尊心を保てない人々にとって、神の許しが自暴自棄にならずに済む、唯一にして最後の支え。そうでなければ、日本以上に自殺者を生み出す社会になっていたのかも知れません。

フィリピン社会には、そんな自己憐憫のような許しがある反面、遥かに崇高な許しもあります。中でも私たち日本人が忘れてはならないのが、キリノ大統領による日本人戦犯への許し。


第6代フィリピン共和国大統領
エルピディオ・キリノ Elpidio Rivera Quirino
出典:Lahing Pinoy

第二次大戦後の1953年、当時のフィリピン大統領キリノ氏が、日本からの助命嘆願の中、国内のモンテンルパにBC戦犯として収監されていた、元日本軍兵士105名に恩赦を与えました。キリノ大統領は、戦時中のマニラ市街戦で、奥さんと二人の幼い子供を日本兵に殺害された過去を持つ人。(詳しくは、まにら新聞の記事をご覧ください。)

その背景には、政治的な思惑が皆無だった訳ではないでしょうけれど、私は「主の祈り」の一節「我らが人を許す如く、我らの罪をも許し給え」こそが、決定的な影響力を持っていたと思います。それにしても、これは苦渋の末の決断だったでしょう。生半可なカトリック信徒である私には、とても真似ができない。

戦勝国が敗戦国のリーダーや兵士たちの罪状を、「人道に対する罪」として裁いたことは、茶番に過ぎないし、非戦闘員である女性や子供まで焼き殺した、アメリカを含む連合国側に裁く資格があったとは到底思えません。しかし、日米の戦いに巻き込まれたフィリピン市民には、そんなことは無関係に、当時の日本と日本人の存在自体が憎しみの対象だったことでしょう。それを考えるとキリノ大統領の行為は、最初に書いたのとはまったく違う意味で、理解の範囲を超えています。もうこれは神の領域。

それにしても、キリノ大統領については、これだけネットに情報が溢れているのに、現在日本での知名度は高いとは言えません。そして日本国内で顕彰の碑が建立されたのが、なんと昨年(2016年)6月。恩赦から60年以上も経過しています。

苦渋の許しを行ったキリノ大統領が、後世での栄誉を期待したはずはないと分かっていても、この忘却ぶりは、日本人としては寂しい限り。フィリピン人の許しの精神は、決して自分にだけ向けられるわけのではなく、他者である私たち日本人も、その恩恵に浴しているのです。


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