2020年8月31日月曜日

バランガイ封鎖


先週の金曜日(2020年8月28日)から四日間の予定で始まった、西ネグロス州の封鎖(ロックダウン)。州民の移動を止めて、大規模な集団検査の実施が目的です。そして案の定、あちこちで新規にコロナ陽性が報告され、とうとう、個別のバランガイで、自宅待機による厳しい検疫措置となってしまいました。つまり、二重封鎖状態。

対象となったのは、私たち家族の住む宅地から、トライシクル(オート輪タク)で、ほんの5分の距離にある、バランガイ・ギンハララン。我が家のメイド、ライラと、イロンゴ語の家庭教師、アンの家がある場所。この封鎖は、1週間。この土曜日(9月5日)まで続きます。

いつもはバランガイ(Barangay)のことを、サラっと「町内会」と訳してましたが、今日は、もう少し詳しく説明します。(出典:Barangay - Wikipedia

バランガイの歴史は、16世紀以前にまで遡ります。スペイン人がフィリピンに到達した時には、すでに村落の名称として存在し、スペインの植民地時代から、アメリカ統治を経て現在に至るまで続く行政区分。

最初は、50〜100家族の比較的小さなコミュニティーだったのが、次第に発展し、1604年のスペインによる調査では、パナイ島(ネグロスの隣島)には、人口20,000のバランガイもあったんだとか。この頃は、マニラやセブより、イロイロがあるパナイ島が貿易で賑わっていたようです。

その後、それぞれの時代の為政者により、法制化・近代化が行われ、スペイン語の「バリオ(Barrio)」から、現在のバランガイへ正式に改称させたのが、1960〜80年代の独裁者マルコスでした。

現在のバランガイは、バランガイ・キャプテン(リーダー)と8人の評議会メンバーで構成され、バランガイ内での争い事を、裁判所に代わって和解させることが主な役割。要するに金も時間もかかって、係争者間で大きな禍根を残しかねない裁判沙汰を回避して、できるだけ穏便に、事を済まそうということらしい。何となく日本的な考え方ですね。

このような調停機能だけでなく、予算もちゃんと付くし、非武装ながら警備員も配置。最小行政単位とは言え、もう立派な地方自治体。キャプテンと評議会メンバーは、選挙によって決められ、時には流血沙汰にもなる、激しい選挙戦が展開されます。

各バランガイには、バランガイ・ホールという公民館みたいな建物があって、なぜかバスケットボールのコートが隣接してることが多い。私が住んでいるのは、シライ市のバランガイ・シンコ(第五バランガイ)。永住ビザ申請時の住民登録証明書を発行してもらうために、一度行ったことがあります。

2020年3月現在、全国に42,046もあるバランガイ。伝統もあるし地域に密着しているので、よく言えばバランガイ内住民の結束は堅く、悪く言えば排他的な側面も。今回のコロナ騒ぎでは、入り口に「よそ者立ち入り禁止(Outsiders No Entry)」の張り紙をするところも。

今回の封鎖は、このバランガイが主体で行われているもの。なので拘束力は強く、逆らう住民はまずいない。

聞く所によると、封鎖となったバランガイ・ギンハラランの中心である、かなり大きな市場(公設市場の除くと、シライ市内最大と思われる)のオーナーが、陽性と判定されました。これが原因で、市場とその周辺が根こそぎのロックダウン。

ということでライラも、今週は強制的にお休み。前回4月の封鎖の時とは違い、州全体の規制は、明日(9月1日)で解除なので、家内はオフィスに出勤。今週は、私のワンオペ家事になってしまいました。


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