2020年9月12日土曜日

【再掲】日本・フィリピン交流史1「杉谷善住坊」

もう2年半以上も前に、8回連続の投稿で、自分なりにフィリピンと日本の交流史をまとめてみたことがあります。久しぶりに読み返してみて、かなり忘れていた部分もあり、自分でも面白く感じたので、自画自賛・我田引水の極みながら、もう一度、アップします。以前とは、読者の方もだいぶ入れ替わったようですし。

以下、再掲。


杉谷善住坊(すぎたに・ぜんじゅぼう)の名前を知っている人は、そんなに多くないでしょう。もし知っていて、あなたが女性ならば、今流行りの「歴女」と呼ばれるかもしれません。善住坊は、戦国時代のスナイパー(狙撃者)。その来歴は謎に包まれていて、忍者、雑賀衆、伊勢の国・杉谷城の城主など、いろいろな説が。

いずれにしても、火縄銃での織田信長の狙撃・暗殺を試みて失敗し、その科によって、鋸引きで刑殺されたのは確かなようです。でも、なぜその善住坊が「日比交流史」の最初に出てくるのか。

「交流史」と銘打ちながら、いきなりフィクションで申し訳ないのですが、1978年(昭和53年)のNHK大河ドラマ「黄金の日日」に、主人公の助左こと呂宋助左衛門(るそん・すけざえもん)の若き日の相棒という設定で、杉谷善住坊が登場。信長暗殺をしくじって捕まる前に、助左と共にルソン島に潜伏していたというストーリー。

呂宋助左衛門、本名・納屋(なや)助左衛門は、日本史上最初にフィリピンとの大規模な交易を行った人物。現地から持ち帰った数々の珍しい交易品、特に「呂宋壺」が珍重され、豊臣秀吉の保護で豪商としての地位を確立。太閤記にその経緯が記されているそうです。

ところが、呂宋壺は、名器の類でも何でもなく、庶民が便壺として使用していたものだと発覚し、秀吉の怒りを買って日本を追われフィリピンへ。のちにカンボジアで再び富を築きました。

そういった伝承の一部を踏まえたドラマでは、助左は一介の船乗りとして参加した最初の航海で難破。乗り合わせていた善住坊、そしてなぜか石川五右衛門の3人がルソン島東岸にあるアゴー村(Agoo 実在する地名)に漂着。そこから身振り手振りで日比交易が始まります。

善住坊役は、カップ麺「どん兵衛」のCMで少しづつ知名度が上がっていた、川谷拓三さん。凄腕のスナイパーなのに、気が小さくて怖がりで、全然格好よくない、とても人間臭い男を好演。この演技が素晴らしく、テレビ初出演だった、五右衛門役の根津甚八さんと並び、主役の松本幸四郎さん(現・二代目白鷗)や並み居るベテラン大物俳優を食って、ドラマの顔として脚光を浴びました。

劇中の善住坊は、族長の娘マリキッドの侍女、ノーラと恋仲になり、結婚。ところが婚礼の当日に、日本へ向かう交易船がアゴー付近を航行しているのを見つけ、新妻を残して帰国してしまう。結局善住坊は、フィリピン再渡航の夢叶わず、非業の死を遂げます。

放送当時、高校生だった私は、ノーラに思いっきり感情移入してしまい、可哀想で仕方なかった。と言いつつ、その十数年後に、私もフィリピン女性を泣かせるようなことを、やらかしたんですけどね。

ちなみにこの話、ジャパゆきと呼ばれた出稼ぎフィリピン女性が大挙来日して、社会問題になる前のこと。まるでその後の、日本男性とフィリピン女性の、典型的な恋愛パターンを予言しているよう。日本を食い詰めてフィリピンに逃亡。現地妻まで持ったのに、やっぱり日本が恋しくて、妻を残して日本へ。今では善住坊の気持ちが、痛いほど理解できます。

さて現実には、杉谷善住坊がフィリピンに渡った記録はありません。呂宋助左衛門の日比交易も、偶然ではなく、計画的に船を仕立てて、おそらく通訳も用意したんでしょう。それでも「黄金の日日」は、大河ドラマ史上最高傑作と言われ、日比の交易事始めに人々の興味を引きつけたという点でも、高く評価されるべき作品だと思います。

実は日本で購入した「黄金の日日」DVD-BOXを、ネグロスにまで持参しております。そろそろ息子と一緒に鑑賞しようかと思っている、今日この頃なのでした。(その後、毎週日曜日に1年かけて、息子と一緒に全話観ました。)



それでは、次回の日本・フィリピン交流史では、同じく戦国時代。キリシタン大名の高山右近を取り上げたいと思います。


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