2018年11月1日木曜日

昔の実家再現プロジェクト


先日投稿した、裏庭にゲストハウスを建てて、フィリピンの地方に移住を検討をしている人たちのための、移住体験サポート用に使いましょうというお話。手前味噌ながら、まぁ悪くないアイデアだと思っておりました。私たち家族がネグロスに住むことを夢見ていた時期、そんなサービスがもしあったら、絶対利用してたでしょうからね。

ネット普及以前だったら、潜在的にそんな要望を持つ人を探し出すのがまず無理。マレーシアやシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどに比べて、フィリピン移住を考えている人そんなに多くないだろうし、さらにマニラやセブと言った、日本人が多い場所ではない田舎を希望となると、さらに何十分の一。

ところがいい時代になったもので、ブログにちょっと書いただけでも、数名の方から、楽しみにしているとか、泊まってみたいとのコメントを頂きました。もちろんコメントした方が、本当に来てくれるかどうかは分かりませんが、少なくとも、超ピンポイントで、届くべき人にメッセージが届いている感じ。

日本から英語留学やボランティアでネグロスに渡航し、時々我が家に来てくれる、若い人たちに、常日頃、私が話しているこのがまさにこれ。30年前の私が就職した頃ならともかく、今の時代は、オフィスを構えたり、大規模な宣伝を売ったりせずとも、アイデアとやる気次第で、いくらでもお客さんを見つけられる。資金が必要なら、クラウドファウンディングという手法だってある。

話を戻して、構想中のゲストハウス。まだ施工に移せるほどのプランはできてないけれど、間取り図は作成済み。もう1年ぐらい前に、自分で描きました。

実はこれ、私が生れ育った兵庫県尼崎の実家を再現したもの。おそらく終戦から間のない頃に建てらたもので、1993年に、当時流行り始めた3階の二世帯住宅に建て替え。もう今は、私と両親、弟2人の記憶の中にしか残っていない。

1995年に阪神淡路大震災があって、もし建て替えをしてなければ、建材事情の悪かった昭和20年代の木造建築などペチャンコに潰れて、私はとっくにこの世にいなかったかも知れません。

建て替えから20年以上経過しても、たまに見る夢に出てくるのは、新しい鉄骨3階建ての家ではなく昔の平屋。障子や襖、ドアノブに水道の蛇口の感触まで覚えています。やっぱり幼児期に過ごした環境って、何年経っても影響が残るものなんですね。

そして裏庭に離れを建てるなら、どんな間取りにしようかと考えた時、どうせなら懐かしい昔の家を再現できないか、と思いついた次第。ただ、サイズはやや拡大して、畳1枚分を1メートル×2メートルとしました。団地やマンションで使われるのが、0.85メートル×1.7メートルと言いますから、1〜2割広くなって、ざっと72平米。


浴室とトイレは一体型のフィリピン・スタイルにしたり、システムキッチンを入れたり。当時とまったく同じにするわけではありません。もちろん鉄筋コンクリート製で、床は畳ではなく常夏仕様の総タイル貼り。残念ながら障子と襖も入手不可能。他にも壁や扉を減らしたり、若干手を加えてます。

というわけで、昭和30〜40年代、日本の一般住宅に住んだ経験のある人なら、何となく郷愁を覚える間取りでしょう。フィリピンの建築家や大工さんから見れば、ずいぶんユニークな家ですね、と言われること間違いなし。

今住んでいる自宅を建てた時もそうでしたが、あれこれ構想を練っている時が一番楽しいもの。さて問題は、家内の決済をいかに取り付けるか...ですね。


2 件のコメント:

  1. こんにちは、いつも楽しく拝見しております。
    自分も、年に一度フィリピンはドマゲッティに行っているものですから、すごく親近感を持って読ませて頂いております。
    もう考えの中に入れていらっしゃるとは思いますが、フィリピンで一番高い電気代を節約するために、太陽光を取り入れられては如何ですか?
    太陽光パネルをRC住宅の屋根に取り付ければ、室内も多少は直射日光からさえぎられるので涼しくなりますし、建屋の屋根も紫外線が和らぐ為長持ちします。
    もし施工など考えていらっしゃるようであれば、フィリピンの私達のNGO所属のICCI(商工会議所)に相談して頂ければ、いつでもお話をさせて頂きます。 NGOもICCIもどちらも国連認可の組織です。
    余談ですが、来年も3月の15日から19日まで、総会がある為そちらに行きますが、その節には寄らせて頂いても良いでしょうか?
    また、日にちが近くなりましたら、ご連絡いたします。

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    1. ソーラーパネルは、一度業者さんに相談したことがありますが、あまりにも施工費用が高すぎて断念しました。

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