2020年2月28日金曜日

汝の敵は、愛せません


今週の2月26日は「灰の水曜日」でした。以前にこのブログに投稿した、灰の水曜日についての説明は以下のようなもの。

2月中旬から3月初旬には、宗教行事である「灰の水曜日」があります。これは、カトリックで最も重要な復活祭(イースター)の46日前の節目。この日からイースターまでは四旬節(レント)と呼ばれ、イエス・キリストの荒野での40日間の断食を偲び、自らの信仰を省み、来るべき主の復活に向けて、心の準備をする期間。

復活祭は「春分の日から最初の満月の次の日曜日」で決まるので、連動する灰の水曜日も毎年日付が変わります。なお、四旬節が40日ではなく46日間なのは、途中の日曜日はカウントしないから。

ということなので、この日は我が家でも、肉や油モノは控えて、お粥と味噌汁の軽めの三食。ついでにブログも、久しぶりにカトリックに因んだことを書くつもりでしたが、ゲストハウスのお客さんが急病で予定変更。(救急車とフィリピノ・ホスピタリティ

さて、カトリックに因んだとは、他ならぬ聖書の一節。この日曜日(2月23日)のミサで朗読されました。毎週のミサで、聖書のどの部分を朗読するかは、世界中のカトリック教会で共通なので、約13億人の信徒が、それぞれの言語で読んだことになります。

とても有名な言葉で、クリスチャン以外の人たちにもかなり知られている、「汝の敵を愛せよ」。私たち家族か通うチャペルでは、英語でのミサで「Love your ememies」。

ネットでちょっと調べただけでも、字義の解釈はたくさん出てくる。ただ、あんまり独自の考えでひねくりまわして、受け入れやすいようにしても私は意味がないと思います。

マタイによる福音書の第5章には、これに前後して「右の頬を打たれたら、左の頬を向けろ」と復讐の禁止を説き、「(あなたを)迫害する者のために祈れ」とダメ押し。もう誤解のしようのない強い表現ですね。

この内容、クリスチャンは全員実践していると思っている人は、たぶんいないでしょう。もしそうだったら、キリスト教徒が多数派の、ヨーロッパやアメリカ諸国が戦争を起こすことはなくなってるはず。一応はカトリック信徒である私にしたって、この言葉通りに振舞うのは無理。

現実に、家族や親しい人が事故や犯罪で、大怪我を負ったり亡くなったりしても、聖書に書いてあるから加害者を愛するなんて、普通の人間にはできっこありません。真面目な信徒さんほど、信仰と感情の板挟みになって、余計に苦しむんじゃないでしょうか。

ただ、自分の経験から言えるのは、加害者の一方的な過失、あるいは悪意が原因だったにせよ、何年、何十年もネガティブな感情を抱き続けるのは、はなはだ疲れるということ。

当初は、心の中に怒りや憎しみが煮えたぎるのは仕方ないけれど、被った傷や亡くなった人が元に戻らないんだったら、あんまり長く引っ張るのは、結局自分の残りの人生を損なうことになる。要は信仰じゃなくて損得勘定。

私なんて、もう40年以上も前、中学生の時にいじめた奴らの顔と名前を思い出すだけで、不快感でいっぱいになるぐらい。イエスさまの心境の、足元にも及ばない。こんなダメ信徒には、「愛する」とか「許す」のは取り敢えず置いといて、忘れてしまうしかありません。時間薬とはよく言ったもので、それにはある程度の年月が必要になります。

さらに、ただ時間に委ねるだけでなく、ネガティブな感情を薄めるには、ポジティブな気持ちを追加していくのが、私には早道だったように思います。つまり、自分自身が幸せと思える状況に身を置くこと。

できるだけ我慢すること減らし、なるべく好きなことをして、好きな人とだけ会って、美味しいものを食べて暮らす。

先日、ゲストハウスに宿泊中の高校生の人に「これまでの人生で、いつが一番幸せでしたか?」と、なかなかデッカい質問をされたのですが、「今です。」と即答できたのは、我ながら気持ち良かったですね。


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